24 / 44
三章 絡新婦(じょろうぐも)の恋
三章 1
しおりを挟む
「なあ。カクテル言葉には、愛に関するものがあるだろ」
桂男の蘇芳はカウンターテーブルで頬杖をつき、バーテンダーのマルセルを流し見た。いつものように鍛え抜かれた逞しい肉体を見せつけるように、シャツの胸元を広く開けている。一般の男女ならフラリと引き寄せられそうな色香が漂っているが、吸血鬼で美貌のマルセルには通用しない。
「もちろん、ジャンルとしてはそれが一番多いですね。『純愛』『誠実な愛』『無償の愛』」
「もっと刺激的なメッセージはねえのかよ」
マルセルは三本刃のアイスピックで丸氷を作る手を止めて、しばし考える。
「『死んでもあなたと』『あなたの心を奪いたい』『あなたと夜を過ごしたい』」
「おっ、いいのがあるじゃねえか。最後のやつを作ってくれ」
「ビトウィーン・ザ・シーツですね。ベッドに入ってと誘うようなカクテルです」
「ますますいいね」
蘇芳は身を乗り出した。
「……おや、残念です。ホワイト・キュラソーが切れています。いつものギムレットでいいですね」
「おいおい」
慣れてきた二人の会話を聞きつつ、毬瑠子はつまみのミックスナッツを皿に盛っていた。
蘇芳の隣りには露草色の着流し姿の青藍が座っている。正面にノートパソコンを置いていて、画面を見つめていた。
「青藍、なにをしているの?」
毬瑠子は尋ねた。凛とした一重の瞳が毬瑠子を見上げる。頭部にはさらりとした黒髪に小さい角が二本生えていた。
青藍がこの店にやって来てから一週間ほどが経ち、名前を呼び捨てにできる仲になった。
「蘇芳にプログラミングを教えてもらっている」
毬瑠子は目を丸くした。
「そ。俺が複数やっているビジネスの一つに、あやかしの派遣業もある」
「派遣業」
毬瑠子は繰り返した。意味がわからないのではない。「あやかしの派遣」という言葉に頭がついていけなかった。
「今日日、あやかしも人の社会で生きていかないといけねえからな。青藍みたいに人里離れた場所から街に出てきて、右も左もわからないってヤツも珍しくない。それをサポートしてやるんだよ」
蘇芳は顔が広そうだと思っていたが、そんな仕事柄のせいだったのかもしれない。
「人に化けられるヤツは人前に出る仕事を紹介するし、青藍のように化けられなければリモートワークの仕事に就かせる。一昔前と変わって、顔を合わせなくてもいい仕事が増えたから便利だよな。こいつは覚えもいいし、エンジニアに育てているところだ」
その言葉に反応して、青藍は蘇芳に小さく頭を下げる。
「鬼のエンジニア……」
毬瑠子は呆気にとられた、やっぱりオウムのようにただ言葉を繰り返してしまう。
しかし思えばマルセルだって吸血鬼のバーテンダーなのだ。あやかしは人間社会に溶け込んでいるともマルセルは言っていた。
「あやかしも働かねえと食えねえのよ。世知辛いよな」
そう言って蘇芳はギムレットに口づける。
驚きはしたが、今後はあやかしとして生きねばならない毬瑠子としては朗報だ。既に人とあやかしを結ぶシステムは構築されているらしい。
それに、このバーでアルバイトを始めて三週間がすぎたが、恐ろしいあやかしは一人も来店しなかった。これもマルセルの言ったとおりだ。
突然、自分は半妖なのだと言われて不安になったが、マルセルたちといればやっていけるかもしれない。そんな安心と信頼感が芽生え始めていた。
「青藍、それ、難しい?」
ちらりと英単語が羅列する画面を見せてもらったが、毬瑠子にはちんぷんかんぷんだ。
「そうでもない。蘇芳は教え方が上手い」
「よく言った。指導のしがいがあるな」
蘇芳が大きな手で青藍の頭をくしゃりとなでると、青藍は嬉しそうにはにかんだ。膝の上には猫の姿でクロがくつろいだように眠っている。
長年孤独に過ごしていた青藍は、こうして誰かと関わっているだけで楽しいようだ。
そのとき、ドアベルがカランと鳴った。
桂男の蘇芳はカウンターテーブルで頬杖をつき、バーテンダーのマルセルを流し見た。いつものように鍛え抜かれた逞しい肉体を見せつけるように、シャツの胸元を広く開けている。一般の男女ならフラリと引き寄せられそうな色香が漂っているが、吸血鬼で美貌のマルセルには通用しない。
「もちろん、ジャンルとしてはそれが一番多いですね。『純愛』『誠実な愛』『無償の愛』」
「もっと刺激的なメッセージはねえのかよ」
マルセルは三本刃のアイスピックで丸氷を作る手を止めて、しばし考える。
「『死んでもあなたと』『あなたの心を奪いたい』『あなたと夜を過ごしたい』」
「おっ、いいのがあるじゃねえか。最後のやつを作ってくれ」
「ビトウィーン・ザ・シーツですね。ベッドに入ってと誘うようなカクテルです」
「ますますいいね」
蘇芳は身を乗り出した。
「……おや、残念です。ホワイト・キュラソーが切れています。いつものギムレットでいいですね」
「おいおい」
慣れてきた二人の会話を聞きつつ、毬瑠子はつまみのミックスナッツを皿に盛っていた。
蘇芳の隣りには露草色の着流し姿の青藍が座っている。正面にノートパソコンを置いていて、画面を見つめていた。
「青藍、なにをしているの?」
毬瑠子は尋ねた。凛とした一重の瞳が毬瑠子を見上げる。頭部にはさらりとした黒髪に小さい角が二本生えていた。
青藍がこの店にやって来てから一週間ほどが経ち、名前を呼び捨てにできる仲になった。
「蘇芳にプログラミングを教えてもらっている」
毬瑠子は目を丸くした。
「そ。俺が複数やっているビジネスの一つに、あやかしの派遣業もある」
「派遣業」
毬瑠子は繰り返した。意味がわからないのではない。「あやかしの派遣」という言葉に頭がついていけなかった。
「今日日、あやかしも人の社会で生きていかないといけねえからな。青藍みたいに人里離れた場所から街に出てきて、右も左もわからないってヤツも珍しくない。それをサポートしてやるんだよ」
蘇芳は顔が広そうだと思っていたが、そんな仕事柄のせいだったのかもしれない。
「人に化けられるヤツは人前に出る仕事を紹介するし、青藍のように化けられなければリモートワークの仕事に就かせる。一昔前と変わって、顔を合わせなくてもいい仕事が増えたから便利だよな。こいつは覚えもいいし、エンジニアに育てているところだ」
その言葉に反応して、青藍は蘇芳に小さく頭を下げる。
「鬼のエンジニア……」
毬瑠子は呆気にとられた、やっぱりオウムのようにただ言葉を繰り返してしまう。
しかし思えばマルセルだって吸血鬼のバーテンダーなのだ。あやかしは人間社会に溶け込んでいるともマルセルは言っていた。
「あやかしも働かねえと食えねえのよ。世知辛いよな」
そう言って蘇芳はギムレットに口づける。
驚きはしたが、今後はあやかしとして生きねばならない毬瑠子としては朗報だ。既に人とあやかしを結ぶシステムは構築されているらしい。
それに、このバーでアルバイトを始めて三週間がすぎたが、恐ろしいあやかしは一人も来店しなかった。これもマルセルの言ったとおりだ。
突然、自分は半妖なのだと言われて不安になったが、マルセルたちといればやっていけるかもしれない。そんな安心と信頼感が芽生え始めていた。
「青藍、それ、難しい?」
ちらりと英単語が羅列する画面を見せてもらったが、毬瑠子にはちんぷんかんぷんだ。
「そうでもない。蘇芳は教え方が上手い」
「よく言った。指導のしがいがあるな」
蘇芳が大きな手で青藍の頭をくしゃりとなでると、青藍は嬉しそうにはにかんだ。膝の上には猫の姿でクロがくつろいだように眠っている。
長年孤独に過ごしていた青藍は、こうして誰かと関わっているだけで楽しいようだ。
そのとき、ドアベルがカランと鳴った。
1
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
誰も知らない幽霊カフェで、癒しのティータイムを。【完結】
双葉
キャラ文芸
【本作のキーワード】
・幽霊カフェでお仕事
・イケメン店主に翻弄される恋
・岐阜県~愛知県が舞台
・数々の人間ドラマ
・紅茶/除霊/西洋絵画
+++
人生に疲れ果てた璃乃が辿り着いたのは、幽霊の浄化を目的としたカフェだった。
カフェを運営するのは(見た目だけなら王子様の)蒼唯&(不器用だけど優しい)朔也。そんな特殊カフェで、璃乃のアルバイト生活が始まる――。
舞台は岐阜県の田舎町。
様々な出会いと別れを描くヒューマンドラマ。
※実在の地名・施設などが登場しますが、本作の内容はフィクションです。
岩清水市お客様センターは、今日も奮闘しています
渡波みずき
キャラ文芸
若葉は、教職に就くことを目指していたが、正月に帰省した母方の祖父母宅で、岩清水市に勤める大叔父にからかわれ、売り言葉に買い言葉で、岩清水市の採用試験合格を約束する。
大学を卒業した若葉は、岩清水市役所に入庁。配属は、市民課お客様センター。何をする課かもわからない若葉を連れて、指導係の三峯は、市民の元へ向かうのだが。
第三回キャラ文芸大賞奨励賞(最終選考)
「お節介鬼神とタヌキ娘のほっこり喫茶店~お疲れ心にお茶を一杯~」
GOM
キャラ文芸
ここは四国のど真ん中、お大師様の力に守られた地。
そこに住まう、お節介焼きなあやかし達と人々の物語。
GOMがお送りします地元ファンタジー物語。
アルファポリス初登場です。
イラスト:鷲羽さん
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/chara_novel.png?id=8b2153dfd89d29eccb9a)
闇に堕つとも君を愛す
咲屋安希
キャラ文芸
『とらわれの華は恋にひらく』の第三部、最終話です。
正体不明の敵『滅亡の魔物』に御乙神一族は追い詰められていき、とうとう半数にまで数を減らしてしまった。若き宗主、御乙神輝は生き残った者達を集め、最後の作戦を伝え準備に入る。
千早は明に、御乙神一族への恨みを捨て輝に協力してほしいと頼む。未来は莫大な力を持つ神刀・星覇の使い手である明の、心ひとつにかかっていると先代宗主・輝明も遺書に書き残していた。
けれど明は了承しない。けれど内心では、愛する母親を殺された恨みと、自分を親身になって育ててくれた御乙神一族の人々への親愛に板ばさみになり苦悩していた。
そして明は千早を突き放す。それは千早を大切に思うゆえの行動だったが、明に想いを寄せる千早は傷つく。
そんな二人の様子に気付き、輝はある決断を下す。理屈としては正しい行動だったが、輝にとっては、つらく苦しい決断だった。
鬼の御宿の嫁入り狐
梅野小吹
キャラ文芸
▼2025.2月 書籍 第2巻発売中!
【第6回キャラ文芸大賞/あやかし賞 受賞作】
鬼の一族が棲まう隠れ里には、三つの尾を持つ妖狐の少女が暮らしている。
彼女──縁(より)は、腹部に火傷を負った状態で倒れているところを旅籠屋の次男・琥珀(こはく)によって助けられ、彼が縁を「自分の嫁にする」と宣言したことがきっかけで、羅刹と呼ばれる鬼の一家と共に暮らすようになった。
優しい一家に愛されてすくすくと大きくなった彼女は、天真爛漫な愛らしい乙女へと成長したものの、年頃になるにつれて共に育った琥珀や家族との種族差に疎外感を覚えるようになっていく。
「私だけ、どうして、鬼じゃないんだろう……」
劣等感を抱き、自分が鬼の家族にとって本当に必要な存在なのかと不安を覚える縁。
そんな憂いを抱える中、彼女の元に現れたのは、縁を〝花嫁〟と呼ぶ美しい妖狐の青年で……?
育ててくれた鬼の家族。
自分と同じ妖狐の一族。
腹部に残る火傷痕。
人々が語る『狐の嫁入り』──。
空の隙間から雨が降る時、小さな体に傷を宿して、鬼に嫁入りした少女の話。
鎮魂の絵師
霞花怜
キャラ文芸
絵師・栄松斎長喜は、蔦屋重三郎が営む耕書堂に居住する絵師だ。ある春の日に、斎藤十郎兵衛と名乗る男が連れてきた「喜乃」という名の少女とで出会う。五歳の娘とは思えぬ美貌を持ちながら、周囲の人間に異常な敵愾心を抱く喜乃に興味を引かれる。耕書堂に居住で丁稚を始めた喜乃に懐かれ、共に過ごすようになる。長喜の真似をして絵を描き始めた喜乃に、自分の師匠である鳥山石燕を紹介する長喜。石燕の暮らす吾柳庵には、二人の妖怪が居住し、石燕の世話をしていた。妖怪とも仲良くなり、石燕の指導の下、絵の才覚を現していく喜乃。「絵師にはしてやれねぇ」という蔦重の真意がわからぬまま、喜乃を見守り続ける。ある日、喜乃にずっとついて回る黒い影に気が付いて、嫌な予感を覚える長喜。どう考えても訳ありな身の上である喜乃を気に掛ける長喜に「深入りするな」と忠言する京伝。様々な人々に囲まれながらも、どこか独りぼっちな喜乃を長喜は放っておけなかった。娘を育てるような気持で喜乃に接する長喜だが、師匠の石燕もまた、孫に接するように喜乃に接する。そんなある日、石燕から「俺の似絵を描いてくれ」と頼まれる。長喜が書いた似絵は、魂を冥府に誘う道標になる。それを知る石燕からの依頼であった。
【カクヨム・小説家になろう・アルファポリスに同作品掲載中】
※各話の最後に小噺を載せているのはアルファポリスさんだけです。(カクヨムは第1章だけ載ってますが需要ないのでやめました)
願いの物語シリーズ【天使ましろ】
とーふ(代理カナタ)
キャラ文芸
その少女はある日、地上に現れた。
――天使ましろ
少女は願う「みんなを幸せにしたい」と。
これは天使ましろと、彼女を取り巻く人々の物語。
☆☆本作は願いシリーズと銘打っておりますが、世界観を共有しているだけですので、単独でも楽しめる作品となっております。☆☆
その為、特に気にせずお読みいただけますと幸いです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる