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二章 引きこもりの鬼

二章 4

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「おい、そこの吸血鬼」
 二人は足を止めて、少年のような声がした先を見る。そこには犬とカワウソを足して二で割ったようなあやかしがいた。
「あれは山彦です。害はありません」
 マルセルが毬瑠子に教える。
「その先には鬼がいるぞ。危険な鬼だ」
 山彦が言うと周囲から「そうだ危険だ」「あいつは疫病神だ」「災いが起きるぞ」と声が上がる。森自体がざわめいているようだった。
 毬瑠子は脅えて肩をすくませる。
「大丈夫です、わたしがついています」
 見上げると、マルセルが優しく微笑んでいた。毬瑠子は小さくうなずいて肩の力を抜いた。
「あの鬼は気性が荒いから、近づかないほうがいい」
「忠告をしてくれるのですね、ありがとうございます。その鬼は、なぜこの森から動かないのでしょう」
「知らない。オレたちもはじめは、同じ森に住む仲間として話しかけようとしていた。でもあいつは暴れてオレたちを追い返した。凶暴だ。負傷した者もいる。でも近づかなければ平気だ。麓にはおりてはこない」
 毬瑠子は眉をしかめた。どうやら鬼は凶暴らしい。この山彦の忠告どおり、近づかないほうがいいのだろう。
「マルセルさん、帰りましょう」
 やはり鬼は怖いあやかしなのだ。
「せっかくここまで来たのですから、会ってみましょう」
「でも……」
「おまえたち、行くのか。昨日は桂男が来た。あの鬼を退治してくれるのか?」
 毬瑠子が躊躇していると、さらに山彦が話しかけてきた。
「まだわかりません。まずは話を聞こうと思います」
「話にならないと思うけどな。怪我しないようにな。警告はしたぞ」
 山彦は姿を消した。
「マルセルさん、危険ですよ」
 筋骨隆々の赤や青の鬼が鋭い棘だらけの金砕棒を振り回す――。毬瑠子にはそんな妄想が広がっていった。
「毬瑠子のことは必ず守ります。しかしあなたを脅えさせることはわたしの本意ではありません。山をおりますか?」
 毬瑠子は昨日の蘇芳の言葉を思い出す。
 ――鬼を連れてこようと思ったんだ。しかし、頑なに動かなくてな。
 この言葉からすると、おそらく蘇芳は鬼に会い、交渉するところまではいったはずだ。まったく話せない相手ではないのかもしれない。
「鬼に会って、話してみたいです」
「そうですか」
 マルセルは微笑んだ。二人は再び山を登り始める。
 山道はどんどん険しく、そして暗くなっていく。
「あれは人の女か?」
「美味そうだな」
「食いたい」
 どこからともなく毬瑠子に囁きかける。
 さっきの山彦とは違い、悪意を感じた。その声は耳の中に直接触れられているようで気持ちが悪い。
「これは力の弱い、下級霊などのあやかしです」
 マルセルは毬瑠子に微笑んでから森の周辺に視線を向けると、瞳を赤く光らせた。
「失せなさい」
 鋭い一声に、マルセルを中心として放射線状に風が一気に駆け抜けた。マルセルのマントや毬瑠子の髪が大きくなびく。
 風がやんだときには、下級霊たちの声が消えていた。
「すごいです」
 マルセルは笑みを浮かべて、毬瑠子を先に促した。マルセルは力が強いあやかしなのかもしれない。
 もうしばらく歩いていると、暗かった先に光が見えた。
 森が途切れるようだ。
「そろそろ、鬼がいるという頂上に到着します」
 マルセルの言葉にうなずきながら、毬瑠子は気を引き締めた。
 大丈夫、マルセルさんがいるし、私だって怪力なんだから。
 そう思いながら毬瑠子は手袋をした手を握った。緊張で少し汗ばんでいる。
 樹木の波を越えると、緑のじゅうたんが広がる平地があった。一気に周囲が明るくなる。
 汗ばんだ身体を涼やかな風が吹き抜ける。
 毬瑠子は大きな目を見開いた。
 突如、無音になったようだった。
 緑の広場の中央には小さい社があり、雲間から日が一筋差し込んでいる。
 社の隣りには、日除けのために植えられたのだろうクスノキの大木がどっしりと構えていた。
 ――その太い木の根元に、一人の青年が座っていた。
 年齢は毬瑠子くらいに見える露草色の着流し姿の青年は、木の枝にとまっている鳥を柔らかな瞳で見上げていた。
 白い肌、通った鼻梁、薄い唇、小さな顎。そこから滑らかに続く細く長い首。
 線の細いその横顔が今にも消えそうなほど儚げに見えて、毬瑠子は目が離せなくなった。
 造形の美しさだけならば、マルセルや蘇芳を間近で見ている毬瑠子の心をこんなにも捕らえなかっただろう。
 諦観したような表情をしていながら、彼は愁苦を帯びていた。
 なにをそんなに苦しんでいるのだろうか。力になってあげたい。
 そう毬瑠子に思わせた。
 そんな青年の頭には、サラリとした黒髪に見え隠れするように二本の角が生えていた。
「あの人が、噂の鬼なんだ」
 毬瑠子はつぶやいた。
 聞いていたイメージと全く違った。
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