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序章 謎の紳士の正体は……
序章1
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広瀬毬瑠子は我が目を疑った。
「ウソ、牙が生えてる」
毬瑠子は朝起きて、いつものように洗面台に向かった。
顔を洗う際に、生まれつきの紅茶色の長髪をバレッダでまとめる。二重のクリッとした瞳で、透けるように肌が白く、鼻はすっと高い。
自分でも純粋な日本人には見えない容姿だと思っていたが。
「昨日まで、普通の歯だったのに」
毬瑠子は鏡の前で大きく口を開けた。中央から三番目の両歯が長く尖っている。
八重歯、なんて可愛らしいものではない。まさに犬歯。歯茎から氷柱が生えているようだ。
鏡をよく見ると、目の色も変わっている。髪と同じ紅茶色だったはずが、写真の赤目現象かというくらい光彩が赤い。
一気に眠気が吹っ飛んだ。
「なんなの、これ」
口元を押さえると、鏡の中の毬瑠子も口元を押さえる。当然だ、自分なのだから。慌てて自室に移動して全身を鏡に映して調べてみたが、ほかに異常はなさそうだ。
少しだけほっとしながらも、寝間着姿でベッドに腰掛ける。
一体どうなっているのだろう。昨日はいつもどおり大学と家を往復しただけで、特別なことはしていないのに。
なにかの病気だろうか。病院に行くべきか。このまま様子を見るべきか。
もしも登校するのなら、目が目立ちすぎるので色付き眼鏡かコンタクトを……。
「ああもう、面倒くさい!」
毬瑠子は投げやりになってベッドに横たわった。
そもそも大学に入学したころから昼間活動するのがつらくなっていた。特に太陽の眩しい日中はコンニャクのようにふにゃふにゃに力が抜ける。そこに喝を入れて一年半も通っているというのに、なぜこんなめにあわなければならないのか。
「もういいや、今日はお休み! あとでなんの病気か検索しよう」
毬瑠子は起き上がってベッドサイドに腰かけ、ローテーブルに置いていた缶コーヒーを手に取った。
「えっ」
缶コーヒーを握った瞬間、手の中でベコリと音を立てながら缶コーヒーが潰れた。あまりに驚きすぎて、亀裂から流れ出して寝間着の膝を濡らすコーヒーを呆然と見つめた。
この缶、丈夫なスチール缶なのに。
両手で思い切り握ってもびくともしないはずがないスチール缶が、ただ持ち上げただけで潰れてしまった。
「あっ、拭かなきゃ」
床はフローリングだからいいが、寝間着はすぐに洗わないとシミになってしまう。寝間着を脱ごうとして窓を見ると、ビクリと毬瑠子は肩を強張らせた。
カーテンにはひさしやら隣りの建物やらの影が落ちている。そこに楕円形の影が混ざっていた。
まただ。
毬瑠子は眉を吊り上げる。
巣でも近いのだろうか、毬瑠子の部屋のひさしに、よくコウモリが逆さまにへばりついているのだ。黒猫ではないが、なんだか不吉な気がしていい気持ちがしない。
しかも今朝は、わけのわからないことが次々と起こっている。プチリと怒りの沸点を超えた。
「あっちにいって!」
近くにあったぬいぐるみを窓に投げつけると、音に驚いたのかコウモリは飛び立っていった。柔らかいぬいぐるみを軽く投げただけなのに窓がミシリと鳴った。もし力を込めていたら、窓が割れていたかもしれない。
「あわわ。ちょっと、これって……」
毬瑠子は広げた両手を愕然とした思いで見つめた。
私、もしかして、怪力になってる……?
牙が生え、目が赤くなり、怪力になった。
こんな病気を聞いたことがない。
友達に相談しても冗談だと思われるだけだろう。かといって、親身になってくれるはずの両親はいなかった。
母親は高校三年生のときに他界。父は物心ついたころからいなかった。母の両親も既に亡くなっているため、毬瑠子には身内がいない。
とはいえ、毬瑠子は母親と仲が良く、何不自由なく育った。唯一の悩みと言えば、名前が書きづらく、呼びづらいことくらいだ。
毬瑠子と書いて、マリルコと読む。
なぜマリで止めなかったのか。母が理子と書く「リコ」なので、「ルコ」でもよかった。十九年の付き合いなので自分は慣れたが、人に名前を説明するときには、やっぱり面倒だと思う。
母が早くに亡くなってしまった時にはさすがに落ち込み、その心の痛みはまだ癒えきってはいないが、これは一生抱えていくものだろう。
十七歳で天涯孤独となった毬瑠子を、不幸な少女だと同情する者もいるだろう。しかし毬瑠子は持ち前の明るさとバイタリティーで前向きに日々を過ごしていた。
それなのに。
「どうすればいいの」
困惑していると、玄関の呼び鈴が鳴った。
誰だろう?
毬瑠子は時計を見た。まだ朝の七時台だ。通販をした覚えはないし、そもそもこんなに早く宅配が届くものだろうか。
毬瑠子は着替え終わったTシャツとジーンズ姿で玄関に向かった。一DKなのですぐだ。
ドアスコープで外を見ると、一人のスーツ姿の男性が立っていた。背が高いせいかドア近くに立っているからなのか、顔までは見えない。
「はい、どなたですか?」
「ウソ、牙が生えてる」
毬瑠子は朝起きて、いつものように洗面台に向かった。
顔を洗う際に、生まれつきの紅茶色の長髪をバレッダでまとめる。二重のクリッとした瞳で、透けるように肌が白く、鼻はすっと高い。
自分でも純粋な日本人には見えない容姿だと思っていたが。
「昨日まで、普通の歯だったのに」
毬瑠子は鏡の前で大きく口を開けた。中央から三番目の両歯が長く尖っている。
八重歯、なんて可愛らしいものではない。まさに犬歯。歯茎から氷柱が生えているようだ。
鏡をよく見ると、目の色も変わっている。髪と同じ紅茶色だったはずが、写真の赤目現象かというくらい光彩が赤い。
一気に眠気が吹っ飛んだ。
「なんなの、これ」
口元を押さえると、鏡の中の毬瑠子も口元を押さえる。当然だ、自分なのだから。慌てて自室に移動して全身を鏡に映して調べてみたが、ほかに異常はなさそうだ。
少しだけほっとしながらも、寝間着姿でベッドに腰掛ける。
一体どうなっているのだろう。昨日はいつもどおり大学と家を往復しただけで、特別なことはしていないのに。
なにかの病気だろうか。病院に行くべきか。このまま様子を見るべきか。
もしも登校するのなら、目が目立ちすぎるので色付き眼鏡かコンタクトを……。
「ああもう、面倒くさい!」
毬瑠子は投げやりになってベッドに横たわった。
そもそも大学に入学したころから昼間活動するのがつらくなっていた。特に太陽の眩しい日中はコンニャクのようにふにゃふにゃに力が抜ける。そこに喝を入れて一年半も通っているというのに、なぜこんなめにあわなければならないのか。
「もういいや、今日はお休み! あとでなんの病気か検索しよう」
毬瑠子は起き上がってベッドサイドに腰かけ、ローテーブルに置いていた缶コーヒーを手に取った。
「えっ」
缶コーヒーを握った瞬間、手の中でベコリと音を立てながら缶コーヒーが潰れた。あまりに驚きすぎて、亀裂から流れ出して寝間着の膝を濡らすコーヒーを呆然と見つめた。
この缶、丈夫なスチール缶なのに。
両手で思い切り握ってもびくともしないはずがないスチール缶が、ただ持ち上げただけで潰れてしまった。
「あっ、拭かなきゃ」
床はフローリングだからいいが、寝間着はすぐに洗わないとシミになってしまう。寝間着を脱ごうとして窓を見ると、ビクリと毬瑠子は肩を強張らせた。
カーテンにはひさしやら隣りの建物やらの影が落ちている。そこに楕円形の影が混ざっていた。
まただ。
毬瑠子は眉を吊り上げる。
巣でも近いのだろうか、毬瑠子の部屋のひさしに、よくコウモリが逆さまにへばりついているのだ。黒猫ではないが、なんだか不吉な気がしていい気持ちがしない。
しかも今朝は、わけのわからないことが次々と起こっている。プチリと怒りの沸点を超えた。
「あっちにいって!」
近くにあったぬいぐるみを窓に投げつけると、音に驚いたのかコウモリは飛び立っていった。柔らかいぬいぐるみを軽く投げただけなのに窓がミシリと鳴った。もし力を込めていたら、窓が割れていたかもしれない。
「あわわ。ちょっと、これって……」
毬瑠子は広げた両手を愕然とした思いで見つめた。
私、もしかして、怪力になってる……?
牙が生え、目が赤くなり、怪力になった。
こんな病気を聞いたことがない。
友達に相談しても冗談だと思われるだけだろう。かといって、親身になってくれるはずの両親はいなかった。
母親は高校三年生のときに他界。父は物心ついたころからいなかった。母の両親も既に亡くなっているため、毬瑠子には身内がいない。
とはいえ、毬瑠子は母親と仲が良く、何不自由なく育った。唯一の悩みと言えば、名前が書きづらく、呼びづらいことくらいだ。
毬瑠子と書いて、マリルコと読む。
なぜマリで止めなかったのか。母が理子と書く「リコ」なので、「ルコ」でもよかった。十九年の付き合いなので自分は慣れたが、人に名前を説明するときには、やっぱり面倒だと思う。
母が早くに亡くなってしまった時にはさすがに落ち込み、その心の痛みはまだ癒えきってはいないが、これは一生抱えていくものだろう。
十七歳で天涯孤独となった毬瑠子を、不幸な少女だと同情する者もいるだろう。しかし毬瑠子は持ち前の明るさとバイタリティーで前向きに日々を過ごしていた。
それなのに。
「どうすればいいの」
困惑していると、玄関の呼び鈴が鳴った。
誰だろう?
毬瑠子は時計を見た。まだ朝の七時台だ。通販をした覚えはないし、そもそもこんなに早く宅配が届くものだろうか。
毬瑠子は着替え終わったTシャツとジーンズ姿で玄関に向かった。一DKなのですぐだ。
ドアスコープで外を見ると、一人のスーツ姿の男性が立っていた。背が高いせいかドア近くに立っているからなのか、顔までは見えない。
「はい、どなたですか?」
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