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五章 閉ざされた扉
閉ざされた扉 3
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「……危なかった」
気が抜けて、そのまま壁に寄りかかるように座り込んでしまう。今更ながら、身体が震えた。
「クリスがおかしな動きをしているから気になって来てみれば……。それにしてもアレックス、あれだけの人数を相手に、おまえは大したやつだな」
ロバートは感心したように改めて船倉を見回した。
「お咎めなしでよかったのか、アレックス」
ロバートはアレクサンドラの隣りに腰かけた。
「そもそも私が蒔いた種だ。私が女であることが波風を立てた」
アレクサンドラは膝に額をのせてため息をついた。
「性別なんてどうだっていいと思うのに、女であることが人生の障害となって、たびたび邪魔をする」
「男であろうと女であろうと、おまえはおまえだ」
ロバートはアレクサンドラの形のいい頭に大きな手をのせた。アレクサンドラが顔を上げると、魅惑的な碧眼と視線が合った。
「障害なんて、さっきみたいに蹴散らせばいいだろ。欲しいものはしがみついてでも掴み取れ。無理だと決めるのは他人じゃない、自分だ」
「ロバート」
まるでアレクサンドラの悩みを見透かしているかのようだ。アレクサンドラはすぐ近くにある逞しい肩に額をのせてみた。そして静かに目を閉じる。緊張と恐怖と怒りで燻ぶっていた胸が、風のない海のように凪いでくる。
――なにもかも捨てて、この人について行けたらいいのに。
「あんなことがあったあとだ、大部屋で寝るのは怖いだろう。オレの部屋に来るか? 鍵がかかるし、オレが信頼している者しかいないから安心だ」
船長室は副船長のネイサンと医師が一緒に寝泊まりしているはずだ。一度内部を見たいと思っていた。ロバートの出生のヒントがあるかもしれないからだ。
しかしアレクサンドラは首を横に振った。
「一人だけ特別扱いをされたら、また余計な波紋が広がるかもしれない。大部屋で寝るよ」
「……本当に、大した度胸だな」
ロバートは愉快そうにアレクサンドラの頭をかきまわした。
翌日、朝六時に鳴る鐘で目が覚めた。まずは全員で清掃だ。
大部屋にはアレクサンドラを襲ったクリスやその取り巻きたちもいるはずだが、無事に朝を迎えることができた。人数が多すぎて、どこにいるのかすらわからない。
ハンモックを丸めて甲板にある置き場にしまっていると、ロバートが声をかけてきた。
「アレックス、操舵はできるか」
「できるけど」
操舵は海軍で学んでいた。
話を聞くと、航海士であるネイサンが昨日の戦闘で傷を負っていた。怪我自体は大したものではなかったが、明け方になり倒れたそうだ。夜中は熱を堪えて操縦していたらしい。
「菌に感染したようだ。二、三日寝ていれば治るようだが、その間舵をとれる者がいない。こういうときはブッチャーに任せていたが、あっちの商船にいるからな」
「……私でよければ」
むしろ歓迎だ。航海士に憧れていたのだ。基本的な知識はある。
操舵の詳しい説明は本人に聞いてほしいと船長室に行くように言われる。入ることが叶わなかった部屋に、あっさりと案内されてしまった。
アレクサンドラはノックをして「失礼します」と声をかけながら部屋に入った。奥のベッドにネイサンが横になっており、傍に初老の医師がいた。ここではハンモックではなくベッドを使っているようで、離れて設置されたベッドはカーテンで仕切られるようになっている。一部固定されている大きな荷があるのは今までの戦利品か。
中央には執務室があり、その後ろの壁には大きな海図が貼ってあった。
「これは……」
アレクサンドラは目を奪われた。
市販の海図よりも、はるかに広い地域が書き込まれている。しかも精密な図は、アレクサンドラの理想そのものだった。
「それはネイサンが描いたものだ」
後ろにロバートが立っていた。
「この海域にまで行ったことがあるの? 私が読んだ本によると、ここに大陸があるはずが……」
「その話はあとだ。まずは向かう方角とか地形の注意点なんかをネイサンに聞いて来いよ」
質問攻めにしようとするアレクサンドラにロバートは苦笑した。
「そんなに海図が描きたいなら、うちで航海士になればいい。なあネイサン」
「そうですね。こういうとき、航海士が一人では困ります」
ネイサンが答えた。いつもより声が息交じりで、話し方からも熱っぽいのが伝わってくる。
「ここで航海士に……」
考えてもいなかったことだ。新しく示された将来の道筋に、アレクサンドラは感動にも似た衝撃を受けた。
やりたい。
しかし自分は帝国軍人だ。できるはずがない。
アレクサンドラは頭を振った。何度この問答をしたのだろうか。
――欲しいものはしがみついてでも掴み取れ。無理だと決めるのは他人じゃない、自分だ。
ロバートの言葉を思い出した。
「といっても、おまえがここに残れるかは、港に戻ってからの多数決の結果次第だけどな」
カラカラと笑うロバートに、アレクサンドラは神妙に俯いた。
そろそろ自分がなにを欲して、なにをなすべきか、決めるときだ。
気が抜けて、そのまま壁に寄りかかるように座り込んでしまう。今更ながら、身体が震えた。
「クリスがおかしな動きをしているから気になって来てみれば……。それにしてもアレックス、あれだけの人数を相手に、おまえは大したやつだな」
ロバートは感心したように改めて船倉を見回した。
「お咎めなしでよかったのか、アレックス」
ロバートはアレクサンドラの隣りに腰かけた。
「そもそも私が蒔いた種だ。私が女であることが波風を立てた」
アレクサンドラは膝に額をのせてため息をついた。
「性別なんてどうだっていいと思うのに、女であることが人生の障害となって、たびたび邪魔をする」
「男であろうと女であろうと、おまえはおまえだ」
ロバートはアレクサンドラの形のいい頭に大きな手をのせた。アレクサンドラが顔を上げると、魅惑的な碧眼と視線が合った。
「障害なんて、さっきみたいに蹴散らせばいいだろ。欲しいものはしがみついてでも掴み取れ。無理だと決めるのは他人じゃない、自分だ」
「ロバート」
まるでアレクサンドラの悩みを見透かしているかのようだ。アレクサンドラはすぐ近くにある逞しい肩に額をのせてみた。そして静かに目を閉じる。緊張と恐怖と怒りで燻ぶっていた胸が、風のない海のように凪いでくる。
――なにもかも捨てて、この人について行けたらいいのに。
「あんなことがあったあとだ、大部屋で寝るのは怖いだろう。オレの部屋に来るか? 鍵がかかるし、オレが信頼している者しかいないから安心だ」
船長室は副船長のネイサンと医師が一緒に寝泊まりしているはずだ。一度内部を見たいと思っていた。ロバートの出生のヒントがあるかもしれないからだ。
しかしアレクサンドラは首を横に振った。
「一人だけ特別扱いをされたら、また余計な波紋が広がるかもしれない。大部屋で寝るよ」
「……本当に、大した度胸だな」
ロバートは愉快そうにアレクサンドラの頭をかきまわした。
翌日、朝六時に鳴る鐘で目が覚めた。まずは全員で清掃だ。
大部屋にはアレクサンドラを襲ったクリスやその取り巻きたちもいるはずだが、無事に朝を迎えることができた。人数が多すぎて、どこにいるのかすらわからない。
ハンモックを丸めて甲板にある置き場にしまっていると、ロバートが声をかけてきた。
「アレックス、操舵はできるか」
「できるけど」
操舵は海軍で学んでいた。
話を聞くと、航海士であるネイサンが昨日の戦闘で傷を負っていた。怪我自体は大したものではなかったが、明け方になり倒れたそうだ。夜中は熱を堪えて操縦していたらしい。
「菌に感染したようだ。二、三日寝ていれば治るようだが、その間舵をとれる者がいない。こういうときはブッチャーに任せていたが、あっちの商船にいるからな」
「……私でよければ」
むしろ歓迎だ。航海士に憧れていたのだ。基本的な知識はある。
操舵の詳しい説明は本人に聞いてほしいと船長室に行くように言われる。入ることが叶わなかった部屋に、あっさりと案内されてしまった。
アレクサンドラはノックをして「失礼します」と声をかけながら部屋に入った。奥のベッドにネイサンが横になっており、傍に初老の医師がいた。ここではハンモックではなくベッドを使っているようで、離れて設置されたベッドはカーテンで仕切られるようになっている。一部固定されている大きな荷があるのは今までの戦利品か。
中央には執務室があり、その後ろの壁には大きな海図が貼ってあった。
「これは……」
アレクサンドラは目を奪われた。
市販の海図よりも、はるかに広い地域が書き込まれている。しかも精密な図は、アレクサンドラの理想そのものだった。
「それはネイサンが描いたものだ」
後ろにロバートが立っていた。
「この海域にまで行ったことがあるの? 私が読んだ本によると、ここに大陸があるはずが……」
「その話はあとだ。まずは向かう方角とか地形の注意点なんかをネイサンに聞いて来いよ」
質問攻めにしようとするアレクサンドラにロバートは苦笑した。
「そんなに海図が描きたいなら、うちで航海士になればいい。なあネイサン」
「そうですね。こういうとき、航海士が一人では困ります」
ネイサンが答えた。いつもより声が息交じりで、話し方からも熱っぽいのが伝わってくる。
「ここで航海士に……」
考えてもいなかったことだ。新しく示された将来の道筋に、アレクサンドラは感動にも似た衝撃を受けた。
やりたい。
しかし自分は帝国軍人だ。できるはずがない。
アレクサンドラは頭を振った。何度この問答をしたのだろうか。
――欲しいものはしがみついてでも掴み取れ。無理だと決めるのは他人じゃない、自分だ。
ロバートの言葉を思い出した。
「といっても、おまえがここに残れるかは、港に戻ってからの多数決の結果次第だけどな」
カラカラと笑うロバートに、アレクサンドラは神妙に俯いた。
そろそろ自分がなにを欲して、なにをなすべきか、決めるときだ。
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