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一章 旅立ち

旅立ち 8

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「ひったくりだ。エド、荷を取られた。追いかける!」
 アレクサンドラは逆方向の流れに入り、ひったくり犯を追った。
「待てアレックス!」
 エドワードは人波をかき分けながら、慌ててアレクサンドラを追いかけた。
「捕まえたぞ!」
 フードの小男の肩を掴んだアレクサンドラは、足払いを仕掛けて男を投げ飛ばした。携帯していた腰のレイピアを抜いて、男の鼻先に突き付ける。
「荷物を置いて、さっさと消えろ」
 憲兵にでも突き出したいところだが、これから海賊になろうとしている身で目立ちたくはない。
 男が逃げ出したので、アレクサンドラはレイピアを一振りして鞘に収めた。荷物の中身を確認して道具が壊れていないことを確認する。
「油断も隙もあったものじゃないな」
 大事そうに荷物を抱えつつ、男が剣で抵抗してこなくてよかったと内心ほっとした。路地が狭くて長剣は扱いにくい。といって、ダガーでは心許なかった。
「どこだ、ここは」
 陽の差し込まない、大人二人が並ぶのがやっとの細い路地だった。飲み屋街の裏なのか、あちこちから陽気な笑い声が聞こえてくる。
 男を追いかけている時間は、それほど長くはなかった。遠くには人ごみと喧騒が聞こえるので、メインストリートから一本入り、並行に走っている路地裏だろうと判断した。
「止められた裏路地に来てしまうとは、エドに怒られるな。早く戻らなきゃ」
 これは不可抗力だと心の中で言い訳をする。それでもばつが悪い。メインストリートで、抱えている荷物を堂々とひったくられると思っていなかった。
「新入りか。荷物をそこに置いて行きな」
 石階段の死角になって見えなかったが、男たちが道端でダイスを使って賭博をしていたらしい。六人のうちの一人が立ち上がり、アレクサンドラに話しかけて来た。髭を生やした四十代ほどの男で、日に焼けた逞しい肉体を誇っていた。この町に滞在する海賊の一人なのだろう。空いた酒瓶がいくつか転がっていることから、かなり酔っているようだ。
「通行料が必要? なら別の道を探すよ」
「おっと、逃がさねえぜ」
 別の男が機敏な動きでアレクサンドラの背後に回る。あっという間にアレクサンドラは男たちに挟まれた。
「金目のものは入っていないというのに、よく狙われる荷だ」
 アレクサンドラはレイピアの柄に手をかけるが、抜くか迷う。
「頼りない剣だな。大人しく言うこと聞いとけ」
 男たちはカトラスを手にして、下卑た笑いを浮かべている。カトラスは刀身に幅があって湾曲し、小回りが利く刀だ。こういう狭い路地や船上で威力を発揮する。切りつけられたら、ひとたまりもないだろう。
「賑わっていても、やっぱり荒くれの街か。まいったな」
 腕に覚えがあり、多少のことがあっても大丈夫だと高を括っていたアレクサンドラだったが、不利な地形に飛び込んでしまい、内心焦っていた。見くびられないように表情には出さないようにしていたが、握った手に冷や汗が滲んでいた。素直に荷物を渡した方がいいと思うが、愛用の航海道具は貴重なものもあり、手放すのは惜しかった。
「こっちだ」
 後ろから声が聞こえたのと同時に、腕を引っ張られた。
「エド!」
「こいつら、さっきのひったくりじゃないだろ。なんでこんな短時間に、何度も襲われるんだ」
「私が知りたいよ」
アレクサンドラを囲っていたうちの二人が、エドワードに伸されて湿った路地に転がっていた。アレクサンドラたちが後退したことで、四人の男たちと対峙することになった。
「おっ、荷物がもう一つ増えたな。手荒なことはしないでやろうと思っていたが、先に手を出したのはそっちだぞ」
 男たちが本格的に剣を構える。エドワードはアレクサンドラを背後に庇いながら、自身のカトラスを抜いた。エドワードもアレクサンドラと同じく普段はレイピアを帯刀していた。しかし海賊島で必要になることを見越して準備していたのだ。
「四人を相手にするのは厳しいな。逃げるにしても土地勘がない」
「ごめん、荷物を渡しておくべきだった。私は助けを呼んでくるよ」
「下手なのを捕まえたら、逆にこいつらの仲間を増やすことになるかもしれないぞ」
 八方塞がりだった。
「私のせいでエドに怪我をさせられない。エドは逃げて」
 アレクサンドラはダガーを抜いて、エドワードの隣に並んだ。
「そんなもので相手になるか。危ないから下がっていろ」
「やってみなきゃわからないよ」
 二人の掛け合いに、男たちはじれてきた。
「やっちまえ!」
 ――その時、アレクサンドラの目の前に、赤い疾風が走った。
 次の瞬間には、四人の男たちが倒れていた。
「なにがやっちまえだ。何様のつもりだ!」
 膝まである深紅のジュストコールを翻した人物が叫んだ。先頭の男を蹴り倒し、他の男たちはドミノのように押し倒された。
 豪奢な深紅のダマスク織りのジュストコール。黒い乗馬パンツに革のロングブーツ、肩近くまである金髪の頭には黒いバンダナを巻いていた。指や首回りには豪華な宝石が光り、左目に眼帯をしている。
 アレクサンドラは目を見開いた。
「まさか」
隻眼の赤い死神。
「……ロバート?」
 アレクサンドラの呟きは、蹴り倒された男の叫び声にかき消された。
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