海賊王と麗人海軍~海洋恋愛浪漫譚~

じゅん

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一章 旅立ち

旅立ち 3

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「失礼いたします、閣下」
 アレクサンドラは敬礼をしながら執務机に座る海軍卿に目を向けた。深いしわが刻まれ、白髭を蓄えて恰幅がよい。書類を書く手を止めた海軍卿は視線を上げる。
「中尉は、“赤い死神”を知っているか」
「はい、閣下」
 アレクサンドラは表情を引き締めた。海軍に所属していて、その通称を知らぬ者などいない。
 派手な赤い服を身にまとった、隻眼の海賊、ロバート。
海賊が跋扈するこの時代の中でも最強最悪、残虐な船長だと名高い男だった。ロバートに狙われたら最後、命を奪われ、船は沈没させられるか、丸ごと奪われると伝えられている。
 だから“赤い死神”の由来は、衣装の色とも、血に染まった海の色とも言われていた。
「海賊どもによる我が国の被害は甚大だ。討伐隊を出しているが、どうしても捕まらない。海賊を擁護している国があるからだ」
「ジャスターク国ですね」
 海賊の寄港を受け入れている唯一の島国で、通称は“海賊島”。初めは港町が海賊に襲われて乗っ取られたようだが、富を持つ海賊が金を消費することで、港湾都市に急成長したといわれている。しかし、そこで栄えた商売といえば違法なものばかりで、犯罪が横行しているらしい。
 らしい、というのは、あまりにも情報が少ないからだ。
 小さな島国だが法治国家を名乗っている以上、海賊討伐のためだといって勝手に軍隊を向けるわけにはいかなかった。
「海賊島で討てないのなら、ロバート海賊団のアジトを見つけ、そこを叩きつぶせばいい。海賊島に必ずロバートは現れる。中尉の任務は、海賊団の内部に入り込むことだ」
「任務」
 アレクサンドラの胸が高鳴った。久しく聞いていない言葉だった。
 しかし、「海賊団の内部に入り込む」という意味を理解するのに、しばし時間がかかった。
「私に、海賊になれと言われるのですか」
「諜報活動だ。任務の期間は、ロバートの尻尾を掴むまで。いや、どうしても根城がわからなければ奴の首を討てばいい。あれだけのカリスマがいなくなれば、海賊団は四散するだろう」
 残虐な船長の首を取る。それは海軍としてなによりの栄誉だ。
「どれほどの規模で向かうのですか?」
「中尉一人だ」
「私、だけ」
アレクサンドラの瞳は見開かれ、そして白い顔から血の気が失せた。
「それは……」
 体のいい左遷だ。いや、追放だ。
アレクサンドラは、そう喉まで出かかった。
 海軍卿は立ち上がり、背後の壁一面に張られた世界地図を振り返った。アレクサンドラの手書きの海図よりも書き込まれている市販品だが、未完成だ。
 世界すべてを知る者は、まだ誰一人いない。
それを見るたび、アレクサンドラは背筋にゾクゾクとした感覚が走る。誰も到達できていないその空白には、どんな世界があるのだろうか、願わくば自分が地図を完成させたい。
――今はそれどころではないが。
 海軍卿は地図に手を添えた。海賊港のあるジャスターク国だ。四年前に行ったオルレニア王国への航海は一週間だった。ジャスターク国は、更に倍以上の距離がある。
「我が国は、海賊島への立ち入りを禁止している」
「当然の措置です」
 治安の悪い国ではなにが起こるかわからない。囚われて身代金を要求されるかもしれないし、命を取られるかもしれない。
「しかし、市井の者は、勝手をしているようだ」
 それは軍の後ろ盾なしに行動しろということだろう。つまり、アレクサンドラになにがあっても、軍は動いてくれない。
「非常に危険な任務だ。正直、なぜ君に令が出たのかわからない」
「わからない?」
 海軍統轄機関のトップがなにを言っているのだろうか。
 アレクサンドラは厳つい海軍卿の顔を思わず凝視してしまった。その顔は演技でも皮肉などでもなく、本気で困惑しているようだった。どうやら海軍卿の意思による任ではないようだ。
「どうするかね、中尉」
 白い髭をさすりながら海軍卿は目を細めた。「断ってもいいのだ」と、その目は言っている。
 屈強な犯罪者たちが巣くう港町。
 衛生的であるはずがない。感染症などが蔓延しているかもしれない。残虐な犯罪が繰り返されているかもしれない。
 国交がなく情報が入らない分、怪しげな噂話しか聞こえてこない土地だった。
 そんな場所に一人で乗り込み、なにができるのかと逡巡した。
 なによりアレクサンドラを悩ませているのは、犯罪者たちの仲間になれという命令だった。人一倍正義感が強いアレクサンドラには酷な話だった。海軍としての矜持もある。
 だが一方で、胸の高鳴りも感じる。
 ――憧れの海に出られる。
そう思い至れば決断は早かった。
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