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遺棄事件と見えないドア14
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深呼吸をした私は、異臭を感じた。森林の香りに混じって、腐った溝のような、排泄物のような臭いがする。
「気を引き締めて行こう」
私は頷いた。
私たちは周囲を観察しながら、ゆっくりプレハブに近づいた。山に続く斜面になる手前、雨が降っても柔らかくならなそうな、黄土色の粘土のような土の上にプレハブが建っている。その鉄板の壁は、全体的に錆びついていた。
一見して違和感があるのは、プレハブの隣に大型トラックが停まっていることだった。四トントラックと呼ばれるものだろうか、二十坪ほどありそうなプレハブの半分ぐらいの大きさで、目立った汚れもない。さびれた景色の中で、トラックだけが周囲から浮いていた。
車といえば、写真に写っていたあの黒いミニバンは見当たらなかった。
「このトラック、気になるね」
私はトラックを見上げた。運転席や助手席に誰もいないことは、近づきなら確認済みだ。
「このトラックで、犬が運ばれるのかな?」
私は銀のコンテナを小さくノックしてみたけれど、中からはなんの音もしなかった。
「……」
私たちは黙って顔を見合わせた。十メートルと離れていないこの距離に来ると、異臭がプレハブからしていることがよく分かる。
青い空の下、深い緑が風に揺れている。プレハブに近づくほど異臭が増した。
どちらともなく、私たちは手を繋いだ。涼子の体温が伝わってきて、それだけで心強かった。冷静に考えてみると、誰かと手を繋ぐという行為は、小学校下級生の学校行事以来かもしれない。
私たちは、砂埃すら立たない固く乾いた土を歩き出した。
近づくにつれ、更に異臭がきつくなっていく。糞尿の臭いと、腐ったような饐えた臭い。臭いが目に染みて、のどに詰まり、むせそうになった。臭いでこんな感覚になるなんて、初めてだった。
犬の嗅覚は人間の一億倍とも言われていたはずだ。こんなところにいるのなら、早く助けてあげなくちゃいけない。
「誰か、いますか?」
私は呼びかけてみる。返事はなかった。
「誰もいないのかな」
「それじゃあ、入り口を探そうよ。山口さん、ドアがないって言ってたけど」
「そんなはずないよね」
私たちは、廃屋のようにも見えるプレハブを一周した。壁の一面は縦に四分割されている。それが四面あるので、十六板あるということだ。分割された板は、丁度ドアくらいの大きさだった。
日陰となっている一方の壁際は荷物置きになっていて、古新聞や段ボール、壊れたケージに棚、シャッター棒や汚れた簀子などが一角に積んであった。
「本当に、窓もドアもない」
涼子が唖然としたように呟いた。
「外壁全ての鉄板が扉くらいのサイズで区切られてるんだから、どこか一部が開くような気がするけど」
私と涼子はもう一周しながら、壁を押したりスライドさせようとしたりと力を加えてみたけれど、びくともしなかった。
「素手で触ると、錆びた鉄が指に食い込むね」
手を払いながら、涼子は唇を窄めた。
「テレビでさ、叩いた音で壁の厚さが違うって見極めるの、あるじゃない。周囲をぐるっと叩くと分かるかも」
素手では痛そうだったので、先が鉤形になっているシャッター棒を拾い上げて、錆びて茶色に変色した鉄板をノックしてみた。
金属同士がぶつかる甲高い音と同時に、複数の犬の鳴き声と不快な羽音が響き、建てつけの悪いプレハブの隙間から、無数のハエが飛び出してきた。
「きゃあ!」
そのおぞましさにシャッター棒を放り出し、私たちは慌ててプレハブから距離をとった。
「気持ち悪いっ。犬はこんなところにいるんだね」
「早く助けてあげなきゃ」
「気を引き締めて行こう」
私は頷いた。
私たちは周囲を観察しながら、ゆっくりプレハブに近づいた。山に続く斜面になる手前、雨が降っても柔らかくならなそうな、黄土色の粘土のような土の上にプレハブが建っている。その鉄板の壁は、全体的に錆びついていた。
一見して違和感があるのは、プレハブの隣に大型トラックが停まっていることだった。四トントラックと呼ばれるものだろうか、二十坪ほどありそうなプレハブの半分ぐらいの大きさで、目立った汚れもない。さびれた景色の中で、トラックだけが周囲から浮いていた。
車といえば、写真に写っていたあの黒いミニバンは見当たらなかった。
「このトラック、気になるね」
私はトラックを見上げた。運転席や助手席に誰もいないことは、近づきなら確認済みだ。
「このトラックで、犬が運ばれるのかな?」
私は銀のコンテナを小さくノックしてみたけれど、中からはなんの音もしなかった。
「……」
私たちは黙って顔を見合わせた。十メートルと離れていないこの距離に来ると、異臭がプレハブからしていることがよく分かる。
青い空の下、深い緑が風に揺れている。プレハブに近づくほど異臭が増した。
どちらともなく、私たちは手を繋いだ。涼子の体温が伝わってきて、それだけで心強かった。冷静に考えてみると、誰かと手を繋ぐという行為は、小学校下級生の学校行事以来かもしれない。
私たちは、砂埃すら立たない固く乾いた土を歩き出した。
近づくにつれ、更に異臭がきつくなっていく。糞尿の臭いと、腐ったような饐えた臭い。臭いが目に染みて、のどに詰まり、むせそうになった。臭いでこんな感覚になるなんて、初めてだった。
犬の嗅覚は人間の一億倍とも言われていたはずだ。こんなところにいるのなら、早く助けてあげなくちゃいけない。
「誰か、いますか?」
私は呼びかけてみる。返事はなかった。
「誰もいないのかな」
「それじゃあ、入り口を探そうよ。山口さん、ドアがないって言ってたけど」
「そんなはずないよね」
私たちは、廃屋のようにも見えるプレハブを一周した。壁の一面は縦に四分割されている。それが四面あるので、十六板あるということだ。分割された板は、丁度ドアくらいの大きさだった。
日陰となっている一方の壁際は荷物置きになっていて、古新聞や段ボール、壊れたケージに棚、シャッター棒や汚れた簀子などが一角に積んであった。
「本当に、窓もドアもない」
涼子が唖然としたように呟いた。
「外壁全ての鉄板が扉くらいのサイズで区切られてるんだから、どこか一部が開くような気がするけど」
私と涼子はもう一周しながら、壁を押したりスライドさせようとしたりと力を加えてみたけれど、びくともしなかった。
「素手で触ると、錆びた鉄が指に食い込むね」
手を払いながら、涼子は唇を窄めた。
「テレビでさ、叩いた音で壁の厚さが違うって見極めるの、あるじゃない。周囲をぐるっと叩くと分かるかも」
素手では痛そうだったので、先が鉤形になっているシャッター棒を拾い上げて、錆びて茶色に変色した鉄板をノックしてみた。
金属同士がぶつかる甲高い音と同時に、複数の犬の鳴き声と不快な羽音が響き、建てつけの悪いプレハブの隙間から、無数のハエが飛び出してきた。
「きゃあ!」
そのおぞましさにシャッター棒を放り出し、私たちは慌ててプレハブから距離をとった。
「気持ち悪いっ。犬はこんなところにいるんだね」
「早く助けてあげなきゃ」
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