【完結】神柱小町妖異譚

じゅん

文字の大きさ
60 / 64
終章

終章 1

しおりを挟む
 二十畳ほどの床の間は静かだった。
 鶯と梅が描かれた掛け軸の前には椿を中心とした花が生けてあり、どちらも春らしい。
 それらを背後に光仙が座っている。
「小藤、肩の力を抜いて楽にしなさい」
「はい、ありがとうございます」
 そう言われても、と内心、小藤は思う。
 簡単に力が抜けるものではなかった。それは光仙がどこか張りつめているものがあるからで、それを小藤も感じ取っているのだ。
 今日は日課になっている朝の散歩はなしだ。朝餉が終わり、落ち着いたころに光仙に呼ばれた。
 阿光と吽光は出かけている。人払いでもしたかのようだ。
 神社には光仙と小藤しかいない。だから余計に静かなのだ。
「手を出して」
 いつものように光仙に言われて小藤は右手を差し出した。光仙はその手に視線を落とし、手の平をひとなでした。
「もう傷ひとつないな」
 小藤の手には傷どころか、数年かけて大きく固くなっていた、まめやたこすらも消え去っていた。
「身体のほうもなくなっているだろう」
「はい」
 身体には一生残るような傷があったのに、すっかりなくなった。
 光仙に手を解放されて、まだ正座の膝の位置に手を戻した。
「おまえが来てから、二か月ほどが経った」
 人柱になった時は三月だった。それに比べて今は随分と温かくなり、日も長くなった。
「あの雨の日、わたしはおまえを助けた」
「ありがとうございます」
 おかげで小藤の今がある。
「言葉のとおり、助けたのだ。おまえは死んだと思い込んでいるが、生きている」
「……はい?」
 小藤はまばたきを繰り返した。
 光仙の言葉がのみこめなかった。この神社に住むようになってからの様々なことが思い出される。どう考えても、自分が生きた人間だとは思えなかった。
「でも私は人には見えませんし、声も届きません」
「あのまま“あちら側”に置いていては、おまえの命は尽きていた。だから生身のまま“こちら側”に連れてきたのだ」
 あちら側とこちら側。
 その区別はなんとなくついた。
 たとえば小藤は、菊や松蔵の枕元に立ち、名前を呼んだ。するとどちらも半透明になり起き上がった。元々の身体の方が光仙の言っている“あちら側”で、半透明になって起き上がったほうが“こちら側”なのだろう。
 そして、「生身のままこちら側に連れてきた」と言ったのだから……。
「ですから、それが死んだということなのでは?」
「そうではない。あちらとこちらは次元が違う。流れる時間が違う」
 それは以前も聞いた覚えがある。人と神とは生きる次元が違う。同じものであって同じものでない。見えるようで見えていない。
 それを聞いて小藤は、手習いに通っていた時期に読んだ『御伽草子(おとぎぞうし)』に収録されている『浦島太郎』を思い出した。
 亀を助けた浦島太郎は、礼にと龍宮でもてなされる。故郷に戻って土産にもらった玉手箱を開けると、浦島太郎は老人になったという話だ。
 浦島太郎が老人になった理由は、竜宮とは常世のことで、流れる時間が違うために、常世で過ごした時間よりはるかに故郷の時間は経っていたと解釈できるそうだ。
 光仙の言うあちら側とこちら側の違いは、それと近いものなのだろうと小藤は思った。
「てっきり私は、死んで神のような存在になったものかと思っていました。いままでになかった力も得ました」
 悪意を取り除く力のことだ。
「それにはわたしも驚かされた」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

処理中です...