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四章 父親の記憶(やや不条理)
四章 12
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化け物の巨体が近づいてくる。
死んだ身で再び死んだら、その先どうなるのだろうか。小藤はちらりとそう思ったが、鋭いかぎ爪が風を切る勢いで迫ってきて、それどこではなくなった。
もうだめだ。
小藤はきつく目を閉じた。
その時、一陣の風が巻き起こった。同時に鈍い衝撃音が近くで鳴り響く。袴や髪が風で広がった。
小藤は思わず両手で顔をかばいながら薄く目を開ける。目の前には頭一つ背の高い神が、檜扇で化け物のかぎ爪を受け止めていた。
「わたしに断りもなく小藤に手を出そうとは、いい度胸をしている」
光仙は何倍もの大きさの化け物を涼しい顔で払いのけた。
「光仙さま、どうして……」
「おまえの声が聞こえた気がしてな」
光仙が肩越しに小藤に微笑んで、そして正面の化け物に視線を戻した。
「久しいな」
光仙は薄く微笑んではいるが、その目は少しも笑っていない。
――おまえは土地神……。
――その娘、土地神に世話になっているというのは本当だったのか。
化け物たちは動揺しているようだ。
――先日、人を食ったことでわれらを責めるならお門違いだ。
――人のほうが、勝手にわれらの領域に踏み込んできたのだ。
――領域内の人やあやかしは食っていいと合意したではないか。
化け物はそれぞれ言い訳を口にし始めた。
「そうだ。わたしの土地で生きるものは平等に扱う。生きるための捕食も必要だと考えている」
――そうであろう、そうであろう。
「しかし、ざわざわ親の死を子供に見せつけることもあるまい」
――いや、あれは。
――久しぶりになぶりがいのある気骨ある男だったから、どこまで耐えるかと……。
――黙れ、それ以上言うのではない。
「ほほう」
光仙は閉じた檜扇で手の平をとんと叩いた。
「万能薬になる花があると噂を広げ、人やもののけを誘い込んでいることも聞いている」
――われらとて美味いものを食いたいのだ。
――甘い蜜で獲物を誘って捕食するのは自然の摂理。
――それを責められるいわれはない。
化け物たちはだんだん開き直ってきた。
「私の土地であまり目立って悪質な行いをするのなら、常世送りにしてもいい」
化け物たちに動揺が走った。
――やめてくれ、あそこには人間がいない。
――こちらより決め事が多くてあやかしも食いにくい。
――ならばこちらで、今までどおり迷い人を待つほうがよほどいい。
――われらはこの山に五百年以上住んでいるのだ。離れたくはない。
化け物たちは弱々しく背中を丸めた。
「そうか。ならば今宵は帰るとしよう」
光仙は踵をかえした。
控えていたらしい阿光と吽光は人間に化けて松蔵を支えている。松蔵は戦意を失ったようだが、悔しそうに泣いていた。
「命を粗末にしてはいけませんよ」
「父親の分まで幸せに長生きするのが最大の親孝行だ。もう二度とここには来るなよ」
肩を貸している神使が松蔵を戒めている。
「助けてくださってありがとうございました。でも、あの、松蔵のおっとうにあんなにひどいことをして、化け物たちはおとがめなしなのでしょうか」
おずおずと小藤は尋ねた。
「基本的には、あの者たちの言い分は正しい。小十郎は危険を承知であの者たちの領域に踏み込んだのだ。そして見事、息子の病を治してみせた。本望だろう。……小十郎はいい男だった。わたしも残念に思う。その心根は松蔵が引き継いでいくと信じよう」
土地神は人のためだけにいる神ではないのだ。わかってはいるがそれでも胸が痛み、小藤はうつむいた。
「さて小藤」
「は、はい」
光仙の声が改まったので、思わず小藤は背筋を伸ばした。
「この件、わたしは放っておけと言ったはずだが」
死んだ身で再び死んだら、その先どうなるのだろうか。小藤はちらりとそう思ったが、鋭いかぎ爪が風を切る勢いで迫ってきて、それどこではなくなった。
もうだめだ。
小藤はきつく目を閉じた。
その時、一陣の風が巻き起こった。同時に鈍い衝撃音が近くで鳴り響く。袴や髪が風で広がった。
小藤は思わず両手で顔をかばいながら薄く目を開ける。目の前には頭一つ背の高い神が、檜扇で化け物のかぎ爪を受け止めていた。
「わたしに断りもなく小藤に手を出そうとは、いい度胸をしている」
光仙は何倍もの大きさの化け物を涼しい顔で払いのけた。
「光仙さま、どうして……」
「おまえの声が聞こえた気がしてな」
光仙が肩越しに小藤に微笑んで、そして正面の化け物に視線を戻した。
「久しいな」
光仙は薄く微笑んではいるが、その目は少しも笑っていない。
――おまえは土地神……。
――その娘、土地神に世話になっているというのは本当だったのか。
化け物たちは動揺しているようだ。
――先日、人を食ったことでわれらを責めるならお門違いだ。
――人のほうが、勝手にわれらの領域に踏み込んできたのだ。
――領域内の人やあやかしは食っていいと合意したではないか。
化け物はそれぞれ言い訳を口にし始めた。
「そうだ。わたしの土地で生きるものは平等に扱う。生きるための捕食も必要だと考えている」
――そうであろう、そうであろう。
「しかし、ざわざわ親の死を子供に見せつけることもあるまい」
――いや、あれは。
――久しぶりになぶりがいのある気骨ある男だったから、どこまで耐えるかと……。
――黙れ、それ以上言うのではない。
「ほほう」
光仙は閉じた檜扇で手の平をとんと叩いた。
「万能薬になる花があると噂を広げ、人やもののけを誘い込んでいることも聞いている」
――われらとて美味いものを食いたいのだ。
――甘い蜜で獲物を誘って捕食するのは自然の摂理。
――それを責められるいわれはない。
化け物たちはだんだん開き直ってきた。
「私の土地であまり目立って悪質な行いをするのなら、常世送りにしてもいい」
化け物たちに動揺が走った。
――やめてくれ、あそこには人間がいない。
――こちらより決め事が多くてあやかしも食いにくい。
――ならばこちらで、今までどおり迷い人を待つほうがよほどいい。
――われらはこの山に五百年以上住んでいるのだ。離れたくはない。
化け物たちは弱々しく背中を丸めた。
「そうか。ならば今宵は帰るとしよう」
光仙は踵をかえした。
控えていたらしい阿光と吽光は人間に化けて松蔵を支えている。松蔵は戦意を失ったようだが、悔しそうに泣いていた。
「命を粗末にしてはいけませんよ」
「父親の分まで幸せに長生きするのが最大の親孝行だ。もう二度とここには来るなよ」
肩を貸している神使が松蔵を戒めている。
「助けてくださってありがとうございました。でも、あの、松蔵のおっとうにあんなにひどいことをして、化け物たちはおとがめなしなのでしょうか」
おずおずと小藤は尋ねた。
「基本的には、あの者たちの言い分は正しい。小十郎は危険を承知であの者たちの領域に踏み込んだのだ。そして見事、息子の病を治してみせた。本望だろう。……小十郎はいい男だった。わたしも残念に思う。その心根は松蔵が引き継いでいくと信じよう」
土地神は人のためだけにいる神ではないのだ。わかってはいるがそれでも胸が痛み、小藤はうつむいた。
「さて小藤」
「は、はい」
光仙の声が改まったので、思わず小藤は背筋を伸ばした。
「この件、わたしは放っておけと言ったはずだが」
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