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四章 父親の記憶(やや不条理)
四章 7
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「違うんじゃ……」
小さな声が聞こえた。
小藤は周囲を見回した。聞き違いだろうか。
「それは違うんじゃよう」
もう一度、か細い女の子の声が近くで聞こえた。驚いて振り返ると、小藤の後ろにおかっぱ頭の女の子が屈んでいた。三歳くらいだろうか、小さな両手で目を覆っている。
「小十郎はすくみ上っていたわけじゃない」
「あなたは……」
少女は手をおろした。
小さな顔に大きな瞳と小さな鼻と口がちょんとのっている、可愛らしい少女だった。まるで市松人形が生きて動いているようだ。小藤がそう思ったのは、少女の瞳に白目がないからだ。とても愛らしい容姿だが、それは人間ではなかった。
「わしは小十郎の友達じゃ。小十郎が小さいころからよう遊んだ。人は子供のころは遊んでくれるが、大人になってまでわしが見える者は珍しい。小十郎の心は美しく、大人になっても遊んでくれる大好きな友達じゃった」
少女はまた泣き出した。
「だから、小十郎のお願いをよく聞いてたんじゃ。でも、言わなきゃよかった」
「お願いってなに?」
少女は松蔵を見た。
「松蔵の病を治すことじゃ」
「おれの?」
松蔵は驚いたように少女を見た。いままで湯治などの情報を小十郎に伝えていたのは、この少女だったようだ。
「松蔵を丈夫な身体に産んでやれなかったことを、小十郎は嘆いておった。健康な身体になって幸せに生きてほしいと口癖のように言っていたんじゃ。だからわしも協力した」
少女は着物の裾で涙を拭った。
「だから、どんな病もたちどころに治る万能薬の場所を知ったときも、小十郎に教えてやった。わしは少々迷ったんじゃ。ずいぶんと危険な場所にあったから」
「万能薬」
松蔵は繰り返して前のめりになった。小十郎が命を落としたきっかけのものだからだ。
「松蔵、おまえは肝心なところを忘れておる。わしは呼びかけておったが、おまえにはわしの声が届かなかった」
「肝心なところとは、なんだ」
松蔵は食い入るように少女を見た。小藤も二人を見つめていた。
「松蔵。あの日、おまえが家に持ち帰ったものを思い出せないのか」
「おれが持ち帰ったもの? そんなものが……」
松蔵の言葉が止まった。松蔵はこめかみに指を当てて考える仕草をする。
「確かに、おれはなにか持っていたような気がする」
握りしめ、泣きながら山を下りた。
家に帰ると、父が死んだと松蔵は母親に泣きついた。
母親は、石のように固まっている松蔵の拳を、指一本一本そっとはがした。
松蔵が握っていたものを母は受け取った。
それはいままで見たことがない、どんな植物にも似ていない、自ら発光する美しい一輪の花だった。
花を見つめた母の頬に、一筋の涙がつたった。
「なんとみごとな。これがあの人の言っていた万能薬なのね」
「……おれは持ち帰っていたのか、万能薬を」
「おまえは記憶を失っていたわけではない。忘れたかっただけじゃ。父が万能薬を取りに行ったその日、おまえは健康な身体になった。小十郎から万能薬を受け取って持ち帰ったからだと、考えればすぐに思いつくはずじゃ」
「いや、それはおかしい。おれはおっとうから、なにかを受け取ったりしていない。そんな時間はなかった」
松蔵は山をのぼっている途中で倒れた。
目が覚めると場所が変わっており、遠くに父が立っていた。
そして目の前で、父はあやかしに嬲り殺された。
「おまえは忘れたいだけじゃ。思い出せ。小十郎が勇敢な男だということは、おまえが一番よくわかっているだろう」
松蔵は思い出そうと両手で頭を押さえた。小さく呻く。
小さな声が聞こえた。
小藤は周囲を見回した。聞き違いだろうか。
「それは違うんじゃよう」
もう一度、か細い女の子の声が近くで聞こえた。驚いて振り返ると、小藤の後ろにおかっぱ頭の女の子が屈んでいた。三歳くらいだろうか、小さな両手で目を覆っている。
「小十郎はすくみ上っていたわけじゃない」
「あなたは……」
少女は手をおろした。
小さな顔に大きな瞳と小さな鼻と口がちょんとのっている、可愛らしい少女だった。まるで市松人形が生きて動いているようだ。小藤がそう思ったのは、少女の瞳に白目がないからだ。とても愛らしい容姿だが、それは人間ではなかった。
「わしは小十郎の友達じゃ。小十郎が小さいころからよう遊んだ。人は子供のころは遊んでくれるが、大人になってまでわしが見える者は珍しい。小十郎の心は美しく、大人になっても遊んでくれる大好きな友達じゃった」
少女はまた泣き出した。
「だから、小十郎のお願いをよく聞いてたんじゃ。でも、言わなきゃよかった」
「お願いってなに?」
少女は松蔵を見た。
「松蔵の病を治すことじゃ」
「おれの?」
松蔵は驚いたように少女を見た。いままで湯治などの情報を小十郎に伝えていたのは、この少女だったようだ。
「松蔵を丈夫な身体に産んでやれなかったことを、小十郎は嘆いておった。健康な身体になって幸せに生きてほしいと口癖のように言っていたんじゃ。だからわしも協力した」
少女は着物の裾で涙を拭った。
「だから、どんな病もたちどころに治る万能薬の場所を知ったときも、小十郎に教えてやった。わしは少々迷ったんじゃ。ずいぶんと危険な場所にあったから」
「万能薬」
松蔵は繰り返して前のめりになった。小十郎が命を落としたきっかけのものだからだ。
「松蔵、おまえは肝心なところを忘れておる。わしは呼びかけておったが、おまえにはわしの声が届かなかった」
「肝心なところとは、なんだ」
松蔵は食い入るように少女を見た。小藤も二人を見つめていた。
「松蔵。あの日、おまえが家に持ち帰ったものを思い出せないのか」
「おれが持ち帰ったもの? そんなものが……」
松蔵の言葉が止まった。松蔵はこめかみに指を当てて考える仕草をする。
「確かに、おれはなにか持っていたような気がする」
握りしめ、泣きながら山を下りた。
家に帰ると、父が死んだと松蔵は母親に泣きついた。
母親は、石のように固まっている松蔵の拳を、指一本一本そっとはがした。
松蔵が握っていたものを母は受け取った。
それはいままで見たことがない、どんな植物にも似ていない、自ら発光する美しい一輪の花だった。
花を見つめた母の頬に、一筋の涙がつたった。
「なんとみごとな。これがあの人の言っていた万能薬なのね」
「……おれは持ち帰っていたのか、万能薬を」
「おまえは記憶を失っていたわけではない。忘れたかっただけじゃ。父が万能薬を取りに行ったその日、おまえは健康な身体になった。小十郎から万能薬を受け取って持ち帰ったからだと、考えればすぐに思いつくはずじゃ」
「いや、それはおかしい。おれはおっとうから、なにかを受け取ったりしていない。そんな時間はなかった」
松蔵は山をのぼっている途中で倒れた。
目が覚めると場所が変わっており、遠くに父が立っていた。
そして目の前で、父はあやかしに嬲り殺された。
「おまえは忘れたいだけじゃ。思い出せ。小十郎が勇敢な男だということは、おまえが一番よくわかっているだろう」
松蔵は思い出そうと両手で頭を押さえた。小さく呻く。
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