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三章 七郎兵衛とシロ(人情もの)
三章 9
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「光仙さま!」
小藤は光仙の胸の中でくぐもった叫びをあげた。腕の中から這い出ると、横たわった光仙の背中の衣は破れ、そこから血が溢れだしているのが見えた。
「すみません光仙さま、私……っ」
「だから、わたしの前に出るなと言っただろう。小藤、怪我はないか?」
光仙が優しく問いかけた。痛むのだろう、軽く眉を寄せながらも小藤に微笑みを見せる。
「光仙さまが守ってくださったのですから、私は無傷です。大怪我をしているのは光仙さまです」
小藤は涙ぐんだ。自分の浅はかな行為で光仙に傷を負わせてしまった。シロならば話せばわかると思い油断した。
「これくらいなら大丈夫だ。おいで小藤」
光仙は立ち上がって土を払い、念のために七郎兵衛の敷地からしばし離れた。
屋根より高い位置に頭のある獣は、警戒しながらまだこちらを見ている。しかし、家から離れるつもりはないようだ。
「思っていた以上に凶暴になっているな。なあ七郎兵衛」
「はい。うちのシロが申し訳ありません」
思わぬところから声が聞こえて、慌てて小藤は振り返った。
「えっ、七郎兵衛さん?」
そこには銀杏髷で紺色の着流し姿の七郎兵衛が立っていた。髪には白髪が混じり、頬はこけて痩せている。一重の目は細く唇は薄い。鼻は高く通っていて顎は尖り気味だ。若いころは二枚目と言われたであろうが、黙っていると冷たく神経質な印象がある。
「やっと来てくださいましたね、土地神様」
七郎兵衛の声音には、安堵と皮肉が混じっている。
「仕方があるまい。わたしはこの土地の生きとし生けるものを守る土地神だ。死者の願いまで聞いていてはきりがない」
「では、今日来てくだすったのは、もしかして」
「おまえの兄が、この家に入れるようにしてほしいと頼みに来たのだ。立派な手土産を持ってきた。本来わたしの土地とは所縁のない者だが、おまえのこともあったから様子を見に来た」
「なるほど、神様も現金なものだ。あっしも貢げばよかったんでしょうかね」
七郎兵衛は両袖の中に手を入れて、やれやれというように光仙を見た。
「しかしあの業突く張り、よくもこんな田舎のあっしの家を探し当てたと呆れておりましたが、神様が動いてくだすったのだから、少しは役に立った」
七郎兵衛は冷ややかに笑った。
小藤は二人の会話が聞こえてはいたが、頭に入っていなかった。
光仙の後ろに立ち、白い背中から流れる血をどうすればいいのかと、ただおろおろとしながら見ていた。拭いたほうがいいのか、止血として押さえたほうがいいのか。それでは余計に痛むだろうか。
「小藤、それは大丈夫だと言っただろう。こちらに来なさい」
促され、小藤は光仙の隣りに立たされた。
「あ、あの、ご無沙汰しております、七郎兵衛さん」
小藤は頭を下げた。
「覚えているよ、シロを可愛がってくれたね」
小藤は軽く瞠目した。七郎兵衛は話しかけても挨拶をしても返事がなかった。応えがあると思っていなかったのだ。
こんな声だったのかと改めて思う。少し高めで、思ったよりも歯切れがよい。
小藤の心を読んだように、七郎兵衛は薄く笑った。
「皮肉なものです、この村に来て生きている間は、あっしは一度も人には口を開きませんでした。なのに、死んでからこんなに話すことになるなんてね」
死んでからも相手にしているのは人ではありませんがね、と言って七郎兵衛はまた自嘲する。
「七郎兵衛さん、どうしてシロはあんなことになってるんですか?」
小藤は光仙の胸の中でくぐもった叫びをあげた。腕の中から這い出ると、横たわった光仙の背中の衣は破れ、そこから血が溢れだしているのが見えた。
「すみません光仙さま、私……っ」
「だから、わたしの前に出るなと言っただろう。小藤、怪我はないか?」
光仙が優しく問いかけた。痛むのだろう、軽く眉を寄せながらも小藤に微笑みを見せる。
「光仙さまが守ってくださったのですから、私は無傷です。大怪我をしているのは光仙さまです」
小藤は涙ぐんだ。自分の浅はかな行為で光仙に傷を負わせてしまった。シロならば話せばわかると思い油断した。
「これくらいなら大丈夫だ。おいで小藤」
光仙は立ち上がって土を払い、念のために七郎兵衛の敷地からしばし離れた。
屋根より高い位置に頭のある獣は、警戒しながらまだこちらを見ている。しかし、家から離れるつもりはないようだ。
「思っていた以上に凶暴になっているな。なあ七郎兵衛」
「はい。うちのシロが申し訳ありません」
思わぬところから声が聞こえて、慌てて小藤は振り返った。
「えっ、七郎兵衛さん?」
そこには銀杏髷で紺色の着流し姿の七郎兵衛が立っていた。髪には白髪が混じり、頬はこけて痩せている。一重の目は細く唇は薄い。鼻は高く通っていて顎は尖り気味だ。若いころは二枚目と言われたであろうが、黙っていると冷たく神経質な印象がある。
「やっと来てくださいましたね、土地神様」
七郎兵衛の声音には、安堵と皮肉が混じっている。
「仕方があるまい。わたしはこの土地の生きとし生けるものを守る土地神だ。死者の願いまで聞いていてはきりがない」
「では、今日来てくだすったのは、もしかして」
「おまえの兄が、この家に入れるようにしてほしいと頼みに来たのだ。立派な手土産を持ってきた。本来わたしの土地とは所縁のない者だが、おまえのこともあったから様子を見に来た」
「なるほど、神様も現金なものだ。あっしも貢げばよかったんでしょうかね」
七郎兵衛は両袖の中に手を入れて、やれやれというように光仙を見た。
「しかしあの業突く張り、よくもこんな田舎のあっしの家を探し当てたと呆れておりましたが、神様が動いてくだすったのだから、少しは役に立った」
七郎兵衛は冷ややかに笑った。
小藤は二人の会話が聞こえてはいたが、頭に入っていなかった。
光仙の後ろに立ち、白い背中から流れる血をどうすればいいのかと、ただおろおろとしながら見ていた。拭いたほうがいいのか、止血として押さえたほうがいいのか。それでは余計に痛むだろうか。
「小藤、それは大丈夫だと言っただろう。こちらに来なさい」
促され、小藤は光仙の隣りに立たされた。
「あ、あの、ご無沙汰しております、七郎兵衛さん」
小藤は頭を下げた。
「覚えているよ、シロを可愛がってくれたね」
小藤は軽く瞠目した。七郎兵衛は話しかけても挨拶をしても返事がなかった。応えがあると思っていなかったのだ。
こんな声だったのかと改めて思う。少し高めで、思ったよりも歯切れがよい。
小藤の心を読んだように、七郎兵衛は薄く笑った。
「皮肉なものです、この村に来て生きている間は、あっしは一度も人には口を開きませんでした。なのに、死んでからこんなに話すことになるなんてね」
死んでからも相手にしているのは人ではありませんがね、と言って七郎兵衛はまた自嘲する。
「七郎兵衛さん、どうしてシロはあんなことになってるんですか?」
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