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三章 七郎兵衛とシロ(人情もの)
三章 1
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ねんねんころりよ おころりよ
ぼうやはよい子だ ねんねしな
ぼうやのお守りは どこへ行った
あの山こえて 里へ行った
里のみやげに 何もろうた
でんでん太鼓に 笙の笛
七郎兵衛は唄いながら、同じ夜具にくるまったシロの背中をなでた。
シロのつぶらな瞳は閉じられて、無意識なのか七郎兵衛の胸に頭を擦り付けてくる。
引窓から入る月明りのなか、その様を愛おしげに見つめて、七郎兵衛も頬を緩めて眠りについた。
* * *
春日和の畦道を、小藤はのんびりと歩いていた。山間には満開の桜が咲いている。
水が張られた田んぼでは、表面を平らにして苗の発育を良くするための代掻き作業の真っ最中だ。鍬を使う者もいれば、牛に馬鍬をつけて歩かせている者もいる。
「もうすぐ田植えだね。この時期は大忙しだ」
春から夏にかけての農家は忙しい。荒代掻き、中代掻き、畔塗り、厩肥の散布……。
そして田植えは村人総出での作業になる。猫の手も借りたいほど忙殺されるので、猫より役に立つ子供は必ず手伝わされた。効率よく田植えを行なうために、横一列になって田植えをする大人たちに、畦道から苗の束を投げ入れるのは子供の役目だ。
例年ならば、小藤もてんてこまいのはずだった。
「手伝えなくて申し訳ないなあ」
手伝いたくても、今の小藤は道具を掴むことができないし、人と話すこともできない。
眉を下げる小藤を見上げて、隣りを歩く吽光は苦笑した。二人並んで歩くので精一杯なくらい道幅は狭い。
「最近それが口癖のようになっていますね。せわしい人を見るのがつらいなら、散歩に出なければいいのに」
「神社に籠っていたら身体がなまっちゃうよ。それに、こうしてゆっくり村を眺める機会がなかったから、ちょっと新鮮なんだ」
神社に慣れてきた小藤は、境内の掃除を朝の日課にし始めていたのだが、阿光に「オレの仕事を奪うな」と追い出されてから、村の散策をするようになった。
その際には、神使のどちらかがついてきた。小藤を心配してくれているのかもしれない。今日のお供は吽光だ。くりっとした大きな瞳は青く、同じ色の袴をはいている。少年らしく頬はふっくらとして、犬のような耳や尻尾も可愛らしいのに、いつも涼やか表情で丁寧に話す落差が吽光の特徴だった。
毎朝散歩に出る小藤に、土地神である光仙は「おとなしく書でも読んでいなさい」と言っていたが、小藤は読み書きが苦手だった。
小さい農村だと言っても、小藤の住む村にも寺子屋はある。入門料である束脩は貧富を考慮されていたので、貧しくても通えるのだ。余裕がある者からは一両の四分の一である一分、そうでない者は菓子折りのこともある。
師匠として寺の住持がおり、多くの子供たちと同じように小藤も七歳から手習いに通った。しかし田植えや収穫などの繁忙期には足が遠のく。農村では同じ事情の子供が多く、通える時間にだけに顔を出せばいいのだが、結局四年ほど通ったあとは家の仕事に専念することにしてしまった。
「読み書きはできたほうがいいですよ。時間を持て余しているようですから、ボクが教えてあげましょう」
吽光がそう申し出てくれた。
それから小藤は、朝餉を摂ったあとは昼九ツを知らせる寺の鐘が聞こえるまで散歩をし、昼餉の後は吽光に読み書きを学ぶようになった。
元々小藤は字が読めなかったわけではないので上達は早かった。すらすらと字が読めるようになれば、苦手だった読書も好きになった。知らなかった知識が増えるのは楽しい。
特に、身近に神や神使がいる環境なので、神道について興味を持った。
「最近、境内の桜の下で宴をしている人が増えたね」
小藤は近くの桜を見上げて思い出した。
「そもそも花見は、豊作祈願の神事でもありますからね」
そう言う吽光に目を向けると、最近読んだ神と桜の関係を思い出した。
ぼうやはよい子だ ねんねしな
ぼうやのお守りは どこへ行った
あの山こえて 里へ行った
里のみやげに 何もろうた
でんでん太鼓に 笙の笛
七郎兵衛は唄いながら、同じ夜具にくるまったシロの背中をなでた。
シロのつぶらな瞳は閉じられて、無意識なのか七郎兵衛の胸に頭を擦り付けてくる。
引窓から入る月明りのなか、その様を愛おしげに見つめて、七郎兵衛も頬を緩めて眠りについた。
* * *
春日和の畦道を、小藤はのんびりと歩いていた。山間には満開の桜が咲いている。
水が張られた田んぼでは、表面を平らにして苗の発育を良くするための代掻き作業の真っ最中だ。鍬を使う者もいれば、牛に馬鍬をつけて歩かせている者もいる。
「もうすぐ田植えだね。この時期は大忙しだ」
春から夏にかけての農家は忙しい。荒代掻き、中代掻き、畔塗り、厩肥の散布……。
そして田植えは村人総出での作業になる。猫の手も借りたいほど忙殺されるので、猫より役に立つ子供は必ず手伝わされた。効率よく田植えを行なうために、横一列になって田植えをする大人たちに、畦道から苗の束を投げ入れるのは子供の役目だ。
例年ならば、小藤もてんてこまいのはずだった。
「手伝えなくて申し訳ないなあ」
手伝いたくても、今の小藤は道具を掴むことができないし、人と話すこともできない。
眉を下げる小藤を見上げて、隣りを歩く吽光は苦笑した。二人並んで歩くので精一杯なくらい道幅は狭い。
「最近それが口癖のようになっていますね。せわしい人を見るのがつらいなら、散歩に出なければいいのに」
「神社に籠っていたら身体がなまっちゃうよ。それに、こうしてゆっくり村を眺める機会がなかったから、ちょっと新鮮なんだ」
神社に慣れてきた小藤は、境内の掃除を朝の日課にし始めていたのだが、阿光に「オレの仕事を奪うな」と追い出されてから、村の散策をするようになった。
その際には、神使のどちらかがついてきた。小藤を心配してくれているのかもしれない。今日のお供は吽光だ。くりっとした大きな瞳は青く、同じ色の袴をはいている。少年らしく頬はふっくらとして、犬のような耳や尻尾も可愛らしいのに、いつも涼やか表情で丁寧に話す落差が吽光の特徴だった。
毎朝散歩に出る小藤に、土地神である光仙は「おとなしく書でも読んでいなさい」と言っていたが、小藤は読み書きが苦手だった。
小さい農村だと言っても、小藤の住む村にも寺子屋はある。入門料である束脩は貧富を考慮されていたので、貧しくても通えるのだ。余裕がある者からは一両の四分の一である一分、そうでない者は菓子折りのこともある。
師匠として寺の住持がおり、多くの子供たちと同じように小藤も七歳から手習いに通った。しかし田植えや収穫などの繁忙期には足が遠のく。農村では同じ事情の子供が多く、通える時間にだけに顔を出せばいいのだが、結局四年ほど通ったあとは家の仕事に専念することにしてしまった。
「読み書きはできたほうがいいですよ。時間を持て余しているようですから、ボクが教えてあげましょう」
吽光がそう申し出てくれた。
それから小藤は、朝餉を摂ったあとは昼九ツを知らせる寺の鐘が聞こえるまで散歩をし、昼餉の後は吽光に読み書きを学ぶようになった。
元々小藤は字が読めなかったわけではないので上達は早かった。すらすらと字が読めるようになれば、苦手だった読書も好きになった。知らなかった知識が増えるのは楽しい。
特に、身近に神や神使がいる環境なので、神道について興味を持った。
「最近、境内の桜の下で宴をしている人が増えたね」
小藤は近くの桜を見上げて思い出した。
「そもそも花見は、豊作祈願の神事でもありますからね」
そう言う吽光に目を向けると、最近読んだ神と桜の関係を思い出した。
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