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一章 水神の怒りと人柱(始まりの物語)
一章 5
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「痛い……寒い……」
冷たい水が急速に小藤を冷やしていく。
激しい流れは小藤の小袖と身を切り裂き、血が噴き出している。土と石が混じった濁流は粘土のようで、橋脚との間で押しつぶされそうになる。
激流の大きな音にも恐怖を覚えた。岩になにかがぶつかるのだろう、度々破裂音もする。
水位が胸まで上がってきた。泥水の飛沫が顔にかかって目を開けていられない。それは口の中にも侵入し、さびた鉄のようななんとも言えない味がした。飲み込むと砂が喉の粘膜を傷つけてひりひりと痛む。
じりじりと水位が上がっていくのが恐ろしい。
窒息するのを待つことになるのだろうと思い、口が開くうちはと小藤は念仏を唱えた。それで少しでも気を紛らわせようという気持ちもあった。
その念仏を止め、小藤は目を開いた。川の音が変わった気がしたのだ。
墨のように真っ黒な濁流の中に、大きな木が見えた。馬よりも大きな流木だ。
巨木が恐ろしい勢いで迫ってくる。そんなものが当たったら、小藤は潰れてしまうだろう。
流木が視界いっぱいに広がった。
小藤は瞳を見開いた。
鼓膜が破れそうなほどの轟音が突如消えた。
視界もすっかり暗くなる。
小藤は意識を失った。
身体が軽くなった気がして、小藤は重たい瞼を少し開けた。
すぐ近くに見たこともないような美しい男性の顔があった。
伏目がちにしている瞳は長い睫毛の影が落ち、すっと高い鼻梁の下の形のいい唇は軽く閉じられている。腰まで届く艶やかな黒髪に、上質の紫の袍とちらりと見える黒い単(ひとえ)に奴(ぬ)袴(ばかま)いう姿は神々しいばかりだ。
その人物に、小藤は横抱きに抱えられているようだった。身体がふわふわと揺れている。
そうか、この人は神様だ。私は神様に召されたんだ。神様って、やっぱり綺麗なんだなあ。
そう思いながら小藤は再び瞳を閉じた。
* * * *
「そこ、ぬかるんでるから気をつけてな」
「うん、ありがとう兄ちゃん」
背中の大きな籠に手を添えつつ、小藤は水分を吸収して滑りやすくなっている山道を慎重に歩いた。踏んだ枯葉は柔らかい土と共に静かに沈む。兄妹は草鞋だけでなく、足首や着物の裾まで泥で汚れていた。
二人は山菜採りに来ていた。春はたらの芽、ふきのとう、わらびなど、美味しい山菜が一斉に芽吹く。
草木の若葉は早朝の黄金色の光を浴びて輝いている。葉に残る雫はまるで宝石のよう。
雨の翌日は足場は悪いが、草木が元気になるのか、普段よりも山菜が多く採れる気がする。
家に帰ろうと山を下っていると、小藤はなにかが動いたようで足をとめた。
「小藤、どうかしたのか」
「うん、なんだか、今……」
続きの言葉が喉の奥に引っ込んだ。
低木の葉の隙間にある、鋭い眼光に射抜かれた。
イノシシだ。
警戒心の強いイノシシは基本的には人を避けるが、発情期や出産後は違う。気が立っているので、不用意に近づいてはならないと、小さなころから教え込まれていた。
そして、まさに春は出産の時期だった。
普段ならばお互い枯葉を踏んで立てる音などで気づくのだが、今日は地面が湿っていたのがいけなかった。
こんなに近くに……!
イノシシは小藤よりも身体が大きそうだ。襲われたらひとたまりもない。
冷たい水が急速に小藤を冷やしていく。
激しい流れは小藤の小袖と身を切り裂き、血が噴き出している。土と石が混じった濁流は粘土のようで、橋脚との間で押しつぶされそうになる。
激流の大きな音にも恐怖を覚えた。岩になにかがぶつかるのだろう、度々破裂音もする。
水位が胸まで上がってきた。泥水の飛沫が顔にかかって目を開けていられない。それは口の中にも侵入し、さびた鉄のようななんとも言えない味がした。飲み込むと砂が喉の粘膜を傷つけてひりひりと痛む。
じりじりと水位が上がっていくのが恐ろしい。
窒息するのを待つことになるのだろうと思い、口が開くうちはと小藤は念仏を唱えた。それで少しでも気を紛らわせようという気持ちもあった。
その念仏を止め、小藤は目を開いた。川の音が変わった気がしたのだ。
墨のように真っ黒な濁流の中に、大きな木が見えた。馬よりも大きな流木だ。
巨木が恐ろしい勢いで迫ってくる。そんなものが当たったら、小藤は潰れてしまうだろう。
流木が視界いっぱいに広がった。
小藤は瞳を見開いた。
鼓膜が破れそうなほどの轟音が突如消えた。
視界もすっかり暗くなる。
小藤は意識を失った。
身体が軽くなった気がして、小藤は重たい瞼を少し開けた。
すぐ近くに見たこともないような美しい男性の顔があった。
伏目がちにしている瞳は長い睫毛の影が落ち、すっと高い鼻梁の下の形のいい唇は軽く閉じられている。腰まで届く艶やかな黒髪に、上質の紫の袍とちらりと見える黒い単(ひとえ)に奴(ぬ)袴(ばかま)いう姿は神々しいばかりだ。
その人物に、小藤は横抱きに抱えられているようだった。身体がふわふわと揺れている。
そうか、この人は神様だ。私は神様に召されたんだ。神様って、やっぱり綺麗なんだなあ。
そう思いながら小藤は再び瞳を閉じた。
* * * *
「そこ、ぬかるんでるから気をつけてな」
「うん、ありがとう兄ちゃん」
背中の大きな籠に手を添えつつ、小藤は水分を吸収して滑りやすくなっている山道を慎重に歩いた。踏んだ枯葉は柔らかい土と共に静かに沈む。兄妹は草鞋だけでなく、足首や着物の裾まで泥で汚れていた。
二人は山菜採りに来ていた。春はたらの芽、ふきのとう、わらびなど、美味しい山菜が一斉に芽吹く。
草木の若葉は早朝の黄金色の光を浴びて輝いている。葉に残る雫はまるで宝石のよう。
雨の翌日は足場は悪いが、草木が元気になるのか、普段よりも山菜が多く採れる気がする。
家に帰ろうと山を下っていると、小藤はなにかが動いたようで足をとめた。
「小藤、どうかしたのか」
「うん、なんだか、今……」
続きの言葉が喉の奥に引っ込んだ。
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イノシシだ。
警戒心の強いイノシシは基本的には人を避けるが、発情期や出産後は違う。気が立っているので、不用意に近づいてはならないと、小さなころから教え込まれていた。
そして、まさに春は出産の時期だった。
普段ならばお互い枯葉を踏んで立てる音などで気づくのだが、今日は地面が湿っていたのがいけなかった。
こんなに近くに……!
イノシシは小藤よりも身体が大きそうだ。襲われたらひとたまりもない。
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