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一章 水神の怒りと人柱(始まりの物語)
一章 4
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「私が人柱になれば、直接土地神様にもお願いできるはず」
「姉ちゃん」
菊は大粒の涙を流しながら小藤の足に縋りついた。
「行っちゃやだ。ごめんなさい、姉ちゃん」
「いいんだよ。私の命だって昨年、兄ちゃんに救われたものなんだから。今度は私の番」
小藤は襖の奥に視線を投げてから、菊の手をそっと解いた。
「兄ちゃんをよろしくね」
土間に下りると、小藤は村人に囲まれた。
「おれも行く」
父も家を出る村人たちの後に続いた。
冷たい雨が小藤の肌を叩いた。ぬかるんだ土が草鞋や足にまとわりつく。
外は真っ暗だが、空では龍のような厚く黒い雲がうねっているのがわかった。本当に水神様が怒っているかのようだと小藤は思う。
「ここだ。この橋脚と一体になってくれ」
木造の長い橋は激しい濁流に揺れていた。普段は太く逞しい橋脚が長く見えているのだが、水嵩が増して半分以上が隠れている。
小藤はこの橋の橋脚にくくられるのだ。
岸に一番近い橋脚の前に立つと、既に小藤の腰近くにまで水位が上がっていた。本来この場所は水が流れていない場所だ。
「おれがやる」
父親は村人から縄を受け取った。数人がかりで橋脚に縄を回すが、父は小藤をほかの者には触らせなかった。
「ごめんな、小藤。ごめんな」
縄をかけながら父が言う。
「おまえのような娘がなぜ死なせねばならなんのか。この世に神も仏もいないのか」
父は泣きながら娘を縛った。小藤はそんな父に微笑みかけた。
「おっとうたちが楽になるよう、豊穣を祈ってくるよ」
「おまえってやつは、こんな時まで人のために」
父は娘を抱きしめた。
「おれにとっては、村なんかよりもおまえのほうがよほど大事だ。おまえはおれの誇りだ」
喉がひくりと鳴りかけるのを、小藤はなんとか抑えた。そしてまた父に笑いかける。
「ここは危ない。おっとう、もう行って」
「小藤……」
父は固まったようにその場から動けず、しまいには村人に引きずられるようにして去っていった。
父の姿が見えなくなると、小藤の顔が歪んでいった。
我慢していた声がこぼれだす。
「怖いよ……、おっとう、おっかあ……、兄ちゃん……」
小藤の大きな瞳から涙が溢れだした。身体も小刻みに震えだす。
父を少しでも安心させようと、最後は笑顔で別れたいと、ずっと小藤は恐怖を堪えていた。その感情が堰を切る。
死にたくない。
ずっと家族と一緒にいたかった。貧しくたって構わなかった。働いた分だけ家族が笑顔になるからだ。父も母も優しかった。きょうだいたちも愛おしかった。
贅沢などしなくてもいい。慎ましく穏やかに生活したかっただけなのに、それさえ奪われてしまうのか。
「痛い……寒い……」
冷たい水が急速に小藤を冷やしていく。
「姉ちゃん」
菊は大粒の涙を流しながら小藤の足に縋りついた。
「行っちゃやだ。ごめんなさい、姉ちゃん」
「いいんだよ。私の命だって昨年、兄ちゃんに救われたものなんだから。今度は私の番」
小藤は襖の奥に視線を投げてから、菊の手をそっと解いた。
「兄ちゃんをよろしくね」
土間に下りると、小藤は村人に囲まれた。
「おれも行く」
父も家を出る村人たちの後に続いた。
冷たい雨が小藤の肌を叩いた。ぬかるんだ土が草鞋や足にまとわりつく。
外は真っ暗だが、空では龍のような厚く黒い雲がうねっているのがわかった。本当に水神様が怒っているかのようだと小藤は思う。
「ここだ。この橋脚と一体になってくれ」
木造の長い橋は激しい濁流に揺れていた。普段は太く逞しい橋脚が長く見えているのだが、水嵩が増して半分以上が隠れている。
小藤はこの橋の橋脚にくくられるのだ。
岸に一番近い橋脚の前に立つと、既に小藤の腰近くにまで水位が上がっていた。本来この場所は水が流れていない場所だ。
「おれがやる」
父親は村人から縄を受け取った。数人がかりで橋脚に縄を回すが、父は小藤をほかの者には触らせなかった。
「ごめんな、小藤。ごめんな」
縄をかけながら父が言う。
「おまえのような娘がなぜ死なせねばならなんのか。この世に神も仏もいないのか」
父は泣きながら娘を縛った。小藤はそんな父に微笑みかけた。
「おっとうたちが楽になるよう、豊穣を祈ってくるよ」
「おまえってやつは、こんな時まで人のために」
父は娘を抱きしめた。
「おれにとっては、村なんかよりもおまえのほうがよほど大事だ。おまえはおれの誇りだ」
喉がひくりと鳴りかけるのを、小藤はなんとか抑えた。そしてまた父に笑いかける。
「ここは危ない。おっとう、もう行って」
「小藤……」
父は固まったようにその場から動けず、しまいには村人に引きずられるようにして去っていった。
父の姿が見えなくなると、小藤の顔が歪んでいった。
我慢していた声がこぼれだす。
「怖いよ……、おっとう、おっかあ……、兄ちゃん……」
小藤の大きな瞳から涙が溢れだした。身体も小刻みに震えだす。
父を少しでも安心させようと、最後は笑顔で別れたいと、ずっと小藤は恐怖を堪えていた。その感情が堰を切る。
死にたくない。
ずっと家族と一緒にいたかった。貧しくたって構わなかった。働いた分だけ家族が笑顔になるからだ。父も母も優しかった。きょうだいたちも愛おしかった。
贅沢などしなくてもいい。慎ましく穏やかに生活したかっただけなのに、それさえ奪われてしまうのか。
「痛い……寒い……」
冷たい水が急速に小藤を冷やしていく。
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