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一章 漫画家志望の猫山先輩
漫画家志望の猫山先輩 1
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家賃 :一万円
管理費 :なし
敷金/礼金:なし
その他 :家具、家電、寝具、完備
入居条件 :真剣に夢を追いかけている人
電車のシートに座りながら、拓斗は差し出された雄一郎のスマートフォンの画面を眺めていた。スマートフォンを返しながら隣りに座る雄一郎に視線を向ける。
「家賃一万円って、普通なの?」
「普通なわけあるか。世田谷区で、駅から徒歩五分だぞ。破格だよ」
「そう、やっぱり安いんだ」
拓斗はほっとして胸を押さえた。ピアノばかりしてきたので、よく常識がないと言われる。思い出したようにスマートフォンでニュースを読むのだが、どうにも世情に疎い。
「どうして安いんだろう。家に問題があるの? 幽霊が出るとか」
「事故物件かよ。条件が書いてあっただろ」
「……夢を追いかけている人」
そう書いてあった。
夢。
拓斗にとって、いままではピアニストになることが夢だった。目指していると意識すらしないほど生活に溶け込んでいた。当り前のように、一生ピアノを弾き続けるのだろうと思っていた。
しかし、もうピアノは弾けないのだ。
「雄一郎はここに住んでいるんだね」
「今日からは、おまえもな」
「えっ」
驚きすぎた拓斗の身体が跳ねた。実際にシートから少し尻が浮いた。
「どうしてぼくが?」
「あの家にいても、どうせピアノを見ながら毎日泣くだけだろ」
「泣いてないよっ」
拓斗はむっとする。
「環境を変えたほうがいいって。おまえのことだから現実逃避でもしてウジウジしてたんだろ。いままでこれといった壁がなかった分、打たれ弱いんだよ」
「そんなこと……」
ないとは言えなかった。実際に親と顔を合わせることも避けて、一週間引きこもっていたのだから。
「でも、ぼくは条件に合わないよ。ぼくには夢がない。これからどうすればいいのかすら、わかっていないんだ」
「だから行くんだろ。このシェアハウスにいれば、するべきことがきっと見つかるはずだ。とはいえ、なにか夢を持っていないと入居できないから、ピアニストを目指しているってことにしとけよ」
「そんな、だますみたいなこと……」
「いいから、俺の提案に乗っておけ。このまま引きこもってちゃダメだって、自分でも思ってただろ」
確かにそのとおりなのだが、雄一郎に指摘されるとおもしろくない。
「さて、次の駅で降りるぞ」
雄一郎は立ち上がった。
複数の路線が交差する駅は広く、駅ビルは栄えて人通りも多かった。しかし駅から出ると一気に人がまばらになり、閑静な高級住宅地になる。
「本当に徒歩五分なの? ずっと坂道を上っている気がするんだけど」
これだけの運動量で疲れてしまうとは、一週間ほとんど動かなかったツケだろうか。
息を切らしている拓斗に、雄一郎は哀れみの色合いを含んだ瞳を向けた。
「体力がなさすぎだ。鍵盤蓋より重いものを持ったことがないんだろ」
「バカにするなよ。大量に楽譜を入れた鞄は殺人級だ」
「ああ、確かに」
坂が緩やかになると、小高い丘の一角に、周囲の豪邸とは一風変わった建物があった。まるで堅城のようにコンクリートやレンガなどでプライバシーを守っている邸宅が多いなか、拓斗の胸程までしかない生垣に囲まれ、広がる庭にはガーデニングが施されている。拓斗に種類はわからないが、日光を浴びて花が色鮮やかに輝いている。その奥には丸みを帯びたフォルムの、大きな窓の多いレンガ造りの二階建てがあった。色合いや造形からか、見ているだけで笑顔になりそうな温かさを感じる。
アーチ状になった入り口に可愛らしい表札が下げられており、『夢見ハイツ』と書かれていた。
「ここ?」
「そうだ」
管理費 :なし
敷金/礼金:なし
その他 :家具、家電、寝具、完備
入居条件 :真剣に夢を追いかけている人
電車のシートに座りながら、拓斗は差し出された雄一郎のスマートフォンの画面を眺めていた。スマートフォンを返しながら隣りに座る雄一郎に視線を向ける。
「家賃一万円って、普通なの?」
「普通なわけあるか。世田谷区で、駅から徒歩五分だぞ。破格だよ」
「そう、やっぱり安いんだ」
拓斗はほっとして胸を押さえた。ピアノばかりしてきたので、よく常識がないと言われる。思い出したようにスマートフォンでニュースを読むのだが、どうにも世情に疎い。
「どうして安いんだろう。家に問題があるの? 幽霊が出るとか」
「事故物件かよ。条件が書いてあっただろ」
「……夢を追いかけている人」
そう書いてあった。
夢。
拓斗にとって、いままではピアニストになることが夢だった。目指していると意識すらしないほど生活に溶け込んでいた。当り前のように、一生ピアノを弾き続けるのだろうと思っていた。
しかし、もうピアノは弾けないのだ。
「雄一郎はここに住んでいるんだね」
「今日からは、おまえもな」
「えっ」
驚きすぎた拓斗の身体が跳ねた。実際にシートから少し尻が浮いた。
「どうしてぼくが?」
「あの家にいても、どうせピアノを見ながら毎日泣くだけだろ」
「泣いてないよっ」
拓斗はむっとする。
「環境を変えたほうがいいって。おまえのことだから現実逃避でもしてウジウジしてたんだろ。いままでこれといった壁がなかった分、打たれ弱いんだよ」
「そんなこと……」
ないとは言えなかった。実際に親と顔を合わせることも避けて、一週間引きこもっていたのだから。
「でも、ぼくは条件に合わないよ。ぼくには夢がない。これからどうすればいいのかすら、わかっていないんだ」
「だから行くんだろ。このシェアハウスにいれば、するべきことがきっと見つかるはずだ。とはいえ、なにか夢を持っていないと入居できないから、ピアニストを目指しているってことにしとけよ」
「そんな、だますみたいなこと……」
「いいから、俺の提案に乗っておけ。このまま引きこもってちゃダメだって、自分でも思ってただろ」
確かにそのとおりなのだが、雄一郎に指摘されるとおもしろくない。
「さて、次の駅で降りるぞ」
雄一郎は立ち上がった。
複数の路線が交差する駅は広く、駅ビルは栄えて人通りも多かった。しかし駅から出ると一気に人がまばらになり、閑静な高級住宅地になる。
「本当に徒歩五分なの? ずっと坂道を上っている気がするんだけど」
これだけの運動量で疲れてしまうとは、一週間ほとんど動かなかったツケだろうか。
息を切らしている拓斗に、雄一郎は哀れみの色合いを含んだ瞳を向けた。
「体力がなさすぎだ。鍵盤蓋より重いものを持ったことがないんだろ」
「バカにするなよ。大量に楽譜を入れた鞄は殺人級だ」
「ああ、確かに」
坂が緩やかになると、小高い丘の一角に、周囲の豪邸とは一風変わった建物があった。まるで堅城のようにコンクリートやレンガなどでプライバシーを守っている邸宅が多いなか、拓斗の胸程までしかない生垣に囲まれ、広がる庭にはガーデニングが施されている。拓斗に種類はわからないが、日光を浴びて花が色鮮やかに輝いている。その奥には丸みを帯びたフォルムの、大きな窓の多いレンガ造りの二階建てがあった。色合いや造形からか、見ているだけで笑顔になりそうな温かさを感じる。
アーチ状になった入り口に可愛らしい表札が下げられており、『夢見ハイツ』と書かれていた。
「ここ?」
「そうだ」
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