4 / 62
一章 漫画家志望の猫山先輩
漫画家志望の猫山先輩 1
しおりを挟む
家賃 :一万円
管理費 :なし
敷金/礼金:なし
その他 :家具、家電、寝具、完備
入居条件 :真剣に夢を追いかけている人
電車のシートに座りながら、拓斗は差し出された雄一郎のスマートフォンの画面を眺めていた。スマートフォンを返しながら隣りに座る雄一郎に視線を向ける。
「家賃一万円って、普通なの?」
「普通なわけあるか。世田谷区で、駅から徒歩五分だぞ。破格だよ」
「そう、やっぱり安いんだ」
拓斗はほっとして胸を押さえた。ピアノばかりしてきたので、よく常識がないと言われる。思い出したようにスマートフォンでニュースを読むのだが、どうにも世情に疎い。
「どうして安いんだろう。家に問題があるの? 幽霊が出るとか」
「事故物件かよ。条件が書いてあっただろ」
「……夢を追いかけている人」
そう書いてあった。
夢。
拓斗にとって、いままではピアニストになることが夢だった。目指していると意識すらしないほど生活に溶け込んでいた。当り前のように、一生ピアノを弾き続けるのだろうと思っていた。
しかし、もうピアノは弾けないのだ。
「雄一郎はここに住んでいるんだね」
「今日からは、おまえもな」
「えっ」
驚きすぎた拓斗の身体が跳ねた。実際にシートから少し尻が浮いた。
「どうしてぼくが?」
「あの家にいても、どうせピアノを見ながら毎日泣くだけだろ」
「泣いてないよっ」
拓斗はむっとする。
「環境を変えたほうがいいって。おまえのことだから現実逃避でもしてウジウジしてたんだろ。いままでこれといった壁がなかった分、打たれ弱いんだよ」
「そんなこと……」
ないとは言えなかった。実際に親と顔を合わせることも避けて、一週間引きこもっていたのだから。
「でも、ぼくは条件に合わないよ。ぼくには夢がない。これからどうすればいいのかすら、わかっていないんだ」
「だから行くんだろ。このシェアハウスにいれば、するべきことがきっと見つかるはずだ。とはいえ、なにか夢を持っていないと入居できないから、ピアニストを目指しているってことにしとけよ」
「そんな、だますみたいなこと……」
「いいから、俺の提案に乗っておけ。このまま引きこもってちゃダメだって、自分でも思ってただろ」
確かにそのとおりなのだが、雄一郎に指摘されるとおもしろくない。
「さて、次の駅で降りるぞ」
雄一郎は立ち上がった。
複数の路線が交差する駅は広く、駅ビルは栄えて人通りも多かった。しかし駅から出ると一気に人がまばらになり、閑静な高級住宅地になる。
「本当に徒歩五分なの? ずっと坂道を上っている気がするんだけど」
これだけの運動量で疲れてしまうとは、一週間ほとんど動かなかったツケだろうか。
息を切らしている拓斗に、雄一郎は哀れみの色合いを含んだ瞳を向けた。
「体力がなさすぎだ。鍵盤蓋より重いものを持ったことがないんだろ」
「バカにするなよ。大量に楽譜を入れた鞄は殺人級だ」
「ああ、確かに」
坂が緩やかになると、小高い丘の一角に、周囲の豪邸とは一風変わった建物があった。まるで堅城のようにコンクリートやレンガなどでプライバシーを守っている邸宅が多いなか、拓斗の胸程までしかない生垣に囲まれ、広がる庭にはガーデニングが施されている。拓斗に種類はわからないが、日光を浴びて花が色鮮やかに輝いている。その奥には丸みを帯びたフォルムの、大きな窓の多いレンガ造りの二階建てがあった。色合いや造形からか、見ているだけで笑顔になりそうな温かさを感じる。
アーチ状になった入り口に可愛らしい表札が下げられており、『夢見ハイツ』と書かれていた。
「ここ?」
「そうだ」
管理費 :なし
敷金/礼金:なし
その他 :家具、家電、寝具、完備
入居条件 :真剣に夢を追いかけている人
電車のシートに座りながら、拓斗は差し出された雄一郎のスマートフォンの画面を眺めていた。スマートフォンを返しながら隣りに座る雄一郎に視線を向ける。
「家賃一万円って、普通なの?」
「普通なわけあるか。世田谷区で、駅から徒歩五分だぞ。破格だよ」
「そう、やっぱり安いんだ」
拓斗はほっとして胸を押さえた。ピアノばかりしてきたので、よく常識がないと言われる。思い出したようにスマートフォンでニュースを読むのだが、どうにも世情に疎い。
「どうして安いんだろう。家に問題があるの? 幽霊が出るとか」
「事故物件かよ。条件が書いてあっただろ」
「……夢を追いかけている人」
そう書いてあった。
夢。
拓斗にとって、いままではピアニストになることが夢だった。目指していると意識すらしないほど生活に溶け込んでいた。当り前のように、一生ピアノを弾き続けるのだろうと思っていた。
しかし、もうピアノは弾けないのだ。
「雄一郎はここに住んでいるんだね」
「今日からは、おまえもな」
「えっ」
驚きすぎた拓斗の身体が跳ねた。実際にシートから少し尻が浮いた。
「どうしてぼくが?」
「あの家にいても、どうせピアノを見ながら毎日泣くだけだろ」
「泣いてないよっ」
拓斗はむっとする。
「環境を変えたほうがいいって。おまえのことだから現実逃避でもしてウジウジしてたんだろ。いままでこれといった壁がなかった分、打たれ弱いんだよ」
「そんなこと……」
ないとは言えなかった。実際に親と顔を合わせることも避けて、一週間引きこもっていたのだから。
「でも、ぼくは条件に合わないよ。ぼくには夢がない。これからどうすればいいのかすら、わかっていないんだ」
「だから行くんだろ。このシェアハウスにいれば、するべきことがきっと見つかるはずだ。とはいえ、なにか夢を持っていないと入居できないから、ピアニストを目指しているってことにしとけよ」
「そんな、だますみたいなこと……」
「いいから、俺の提案に乗っておけ。このまま引きこもってちゃダメだって、自分でも思ってただろ」
確かにそのとおりなのだが、雄一郎に指摘されるとおもしろくない。
「さて、次の駅で降りるぞ」
雄一郎は立ち上がった。
複数の路線が交差する駅は広く、駅ビルは栄えて人通りも多かった。しかし駅から出ると一気に人がまばらになり、閑静な高級住宅地になる。
「本当に徒歩五分なの? ずっと坂道を上っている気がするんだけど」
これだけの運動量で疲れてしまうとは、一週間ほとんど動かなかったツケだろうか。
息を切らしている拓斗に、雄一郎は哀れみの色合いを含んだ瞳を向けた。
「体力がなさすぎだ。鍵盤蓋より重いものを持ったことがないんだろ」
「バカにするなよ。大量に楽譜を入れた鞄は殺人級だ」
「ああ、確かに」
坂が緩やかになると、小高い丘の一角に、周囲の豪邸とは一風変わった建物があった。まるで堅城のようにコンクリートやレンガなどでプライバシーを守っている邸宅が多いなか、拓斗の胸程までしかない生垣に囲まれ、広がる庭にはガーデニングが施されている。拓斗に種類はわからないが、日光を浴びて花が色鮮やかに輝いている。その奥には丸みを帯びたフォルムの、大きな窓の多いレンガ造りの二階建てがあった。色合いや造形からか、見ているだけで笑顔になりそうな温かさを感じる。
アーチ状になった入り口に可愛らしい表札が下げられており、『夢見ハイツ』と書かれていた。
「ここ?」
「そうだ」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
パパラッチ!~優しいカメラマンとエース記者 秘密はすべて暴きます~
じゅん
ライト文芸
【第6回「ライト文芸大賞」奨励賞 受賞👑】
イケメンだがどこか野暮ったい新人カメラマン・澄生(スミオ・24歳)と、超絶美人のエース記者・紫子(ユカリコ・24歳)による、連作短編のお仕事ヒューマンストーリー。澄生はカメラマンとして成長し、紫子が抱えた父親の死の謎を解明していく。
週刊誌の裏事情にも触れる、元・芸能記者の著者による、リアル(?)なヒューマン・パパラッチストーリー!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
仲町通りのアトリエ書房 -水彩絵師と白うさぎ付き-
橘花やよい
キャラ文芸
スランプ中の絵描き・絵莉が引っ越してきたのは、喋る白うさぎのいる長野の書店「兎ノ書房」。
心を癒し、夢と向き合い、人と繋がる、じんわりする物語。
pixivで連載していた小説を改稿して更新しています。
「第7回ほっこり・じんわり大賞」大賞をいただきました。
【あらすじ動画あり / 室町和風歴史ファンタジー】『花鬼花伝~世阿弥、花の都で鬼退治!?~』
郁嵐(いくらん)
キャラ文芸
お忙しい方のためのあらすじ動画はこちら↓
https://youtu.be/JhmJvv-Z5jI
【ストーリーあらすじ】
■■室町、花の都で世阿弥が舞いで怪異を鎮める室町歴史和風ファンタジー■■
■■ブロマンス風、男男女の三人コンビ■■
室町時代、申楽――後の能楽――の役者の子として生まれた鬼夜叉(おにやしゃ)。
ある日、美しい鬼の少女との出会いをきっかけにして、
鬼夜叉は自分の舞いには荒ぶった魂を鎮める力があることを知る。
時は流れ、鬼夜叉たち一座は新熊野神社で申楽を演じる機会を得る。
一座とともに都に渡った鬼夜叉は、
そこで室町幕府三代将軍 足利義満(あしかが よしみつ)と出会う。
一座のため、申楽のため、義満についた怨霊を調査することになった鬼夜叉。
これは後に能楽の大成者と呼ばれた世阿弥と、彼の支援者である義満、
そして物語に書かれた美しい鬼「花鬼」たちの物語。
【その他、作品】
浅草を舞台にした和風歴史ファンタジー小説も書いていますので
興味がありましたらどうぞ~!(ブロマンス風、男男女の三人コンビ)
■あらすじ動画(1分)
https://youtu.be/AE5HQr2mx94
■あらすじ動画(3分)
https://youtu.be/dJ6__uR1REU
世界的名探偵 青井七瀬と大福係!~幽霊事件、ありえません!~
ミラ
キャラ文芸
派遣OL3年目の心葉は、ブラックな職場で薄給の中、妹に仕送りをして借金生活に追われていた。そんな時、趣味でやっていた大福販売サイトが大炎上。
「幽霊に呪われた大福事件」に発展してしまう。困惑する心葉のもとに「その幽霊事件、私に解かせてください」と常連の青井から連絡が入る。
世界的名探偵だという青井は事件を華麗に解決してみせ、なんと超絶好待遇の「大福係」への就職を心葉に打診?!青井専属の大福係として、心葉の1ヶ月間の試用期間が始まった!
次々に起こる幽霊事件の中、心葉が秘密にする「霊視の力」×青井の「推理力」で
幽霊事件の真相に隠れた、幽霊の想いを紐解いていく──!
「この世に、幽霊事件なんてありえません」
幽霊事件を絶対に許さない超偏屈探偵・青木と、幽霊が視える大福係の
ゆるバディ×ほっこり幽霊ライトミステリー!
里帰りした猫又は錬金術師の弟子になる。
音喜多子平
キャラ文芸
【第六回キャラ文芸大賞 奨励賞】
人の世とは異なる妖怪の世界で生まれた猫又・鍋島環は、幼い頃に家庭の事情で人間の世界へと送られてきていた。
それから十余年。心優しい主人に拾われ、平穏無事な飼い猫ライフを送っていた環であったが突然、本家がある異世界「天獄屋(てんごくや)」に呼び戻されることになる。
主人との別れを惜しみつつ、環はしぶしぶ実家へと里帰りをする...しかし、待ち受けていたのは今までの暮らしが極楽に思えるほどの怒涛の日々であった。
本家の勝手な指図に翻弄されるまま、まともな記憶さえたどたどしい異世界で丁稚奉公をさせられる羽目に…その上ひょんなことから錬金術師に拾われ、錬金術の手習いまですることになってしまう。
MIDNIGHT
邦幸恵紀
キャラ文芸
【現代ファンタジー/外面のいい会社員×ツンデレ一見美少年/友人以上恋人未満】
「真夜中にはあまり出歩かないほうがいい」。
三月のある深夜、会社員・鬼頭和臣は、黒ずくめの美少年・霧河雅美にそう忠告される。
未成年に説教される筋合いはないと鬼頭は反発するが、その出会いが、その後の彼の人生を大きく変えてしまうのだった。
◆「第6回キャラ文芸大賞」で奨励賞をいただきました。ありがとうございました。
あやかし猫の花嫁様
湊祥@書籍13冊発売中
キャラ文芸
アクセサリー作りが趣味の女子大生の茜(あかね)は、二十歳の誕生日にいきなり見知らぬ神秘的なイケメンに求婚される。
常盤(ときわ)と名乗る彼は、実は化け猫の総大将で、過去に婚約した茜が大人になったので迎えに来たのだという。
――え⁉ 婚約って全く身に覚えがないんだけど! 無理!
全力で拒否する茜だったが、全く耳を貸さずに茜を愛でようとする常盤。
そして総大将の元へと頼りに来る化け猫たちの心の問題に、次々と巻き込まれていくことに。
あやかし×アクセサリー×猫
笑いあり涙あり恋愛ありの、ほっこりモフモフストーリー
第3回キャラ文芸大賞にエントリー中です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる