8 / 10
四年前1
しおりを挟む
エレベーターホールで鉢合わせた和さんは、わかりやすく動揺していた。他に待っている人はいなかったので、開いた扉に二人で乗り込む。
和さんは妙に距離をとって隅っこの方に立ち、ソワソワと俺の方を見た。
「どうしたんですか」
「……キスでもされるかと思って」
「していいならしますけど」
距離を詰めて隣に立つと、焦った顔で俺を見上げた。
「会社ではやめろよ」
肩が触れそうな距離まで近寄った体を押し退けられた。その勢いで素直に離れたが、キスしようと思えばできただろうなと思った。和さん、まあまあMだからな……
五階でエレベーターが停まり、落ち着かない様子の和さんと一緒に降りる。
「……あれ? お前、この階に用事あるの?」
「三階だとすぐ着くから、五階まで一緒について来ちゃいました」
呆れ顔の和さんが口を開きかけた時、
「あ、芹」
と名前を呼ばれた。
同期で同じ課の横瀬は、呼び止めておきながら俺を素通りして和さんと話を始めようとするので、引っ張ってエレベーターに乗り込む。
「吉澤さんと何話してたの」
「普通にただの雑談。横瀬と違って、俺は吉澤さんと仲いいから」
エレベーターの中で、ムッとした目を向けられるが、無視して階数表示を見続けた。
「芹ばっかりずるい。わたしも吉澤さんがメンターだったら仲良くなれたのに」
俺はメンターになる前から仲いいから、とマウントを取りたかったが、面倒になりそうなので何も言わなかった。
和さんと初めて会ったのは、大学三年の秋に参加したインターンシップだった。
四、五人の学生に社員が一人付くという形式のグループワークで、壁際に並んだ社員を見た時に、あの人がこのグループに来てくれたらいいのに、と思ったのが和さんだった。
見た目がタイプだったし、多分彼はゲイだと思った。だから和さんが、こんにちは、と俺たちのテーブルに来た時は運命だと、心の中でちょっとはしゃいでしまった。
そのインターンシップに参加したのに、大した理由はなかった。そこそこ有名な企業で、スケジュールが合ったから。
エントリーするかどうかもまだわからないし、そもそも働くということに、まだ実感が持てなかった。
課題に対してグループで話し合って発表するというワークの中で、和さんは出しゃばり過ぎず、いい意見が出れば褒めてくれるし、議論が行き詰まるとさりげなくアドバイスをしてくれた。
入社二年目と自己紹介されたが、自分が三年後にこんなふうになれるとは、とても思えなかった。
社会人になるという自覚はまだ全然なかったし、どんな仕事をしたいかも曖昧だったけど、和さんを見て、この人と一緒に働けたらいいな、とは思った。
「芹さん」
インターンシップ終了後、和さんは俺の名前を呼ぶと、みんなが出て行って閑散とした部屋の隅に手招きした。
「一応、中立の立場だからあんまり言えなかったけど、芹さんのアイデア、凄く良かったよ」
もしかしてプライベートの連絡先でも訊かれるのかと、ドキドキしながら和さんを見つめていた俺は、拍子抜けしてしまった。
こんなの、就活生を囲い込むためのリップサービスだ。俺以外にも言っているに決まってる。
頭ではそう思いながら、顔に血が昇るのがわかった。
和さんが俺に下心がないのは明らかだった。
和さんは多分ゲイだと思うけど、思わせぶりな(俺が勝手に思わせぶられてるだけだけど)ノンケには、散々痛い目を見てきたので、浮かれないようにと自制したかったけど、勝手にドキドキしてしまう。
和さんは俺をエレベーターのところまで見送ってくれた。
すでにほとんどの学生は帰ってしまって、二人だけでエレベーターを待つ。
「……和さんって、珍しい読み方ですね」
イベント用に作った大きな名札のふりがなを見ていうと、和さんは苦笑した。
「読めないよね。俺のあだ名、小学校の頃からずっと『カズ』だよ」
俺なら『いずみさん』ってちゃんと呼ぶのに。
なかなか来ないエレベーターに、和さんは腕時計を確認した。
「あ、もう昼休みだ。食事に行く人で渋滞してるんだと思う」
引き止めてごめんね、と和さんは謝ったけど、ずっと渋滞してればいいと思った。
「昼は社食で食う人が多いかな。外に行ったり、弁当持ってくる人もいるけどね」
和さんは、会話が途切れないように気を遣ってくれていた。
「和さんは何食べるんですか」
俺は無言でも気まずいとは思わないけど、和さんのことは知りたかった。
「今日は外に行こうかな。店はすげえ汚いけど、すげえ旨い中華があるんだよ。肉団子がゴルフボールくらいあんの」
もしかしてこの後、昼飯に誘われるのかと思ったけど、和さんは屈託なく笑って、
「芹さんがこの会社に入ったら一緒に食べようね」
と、ようやく来たエレベーターの扉を押さえて、俺だけ中へ促した。
和さんは妙に距離をとって隅っこの方に立ち、ソワソワと俺の方を見た。
「どうしたんですか」
「……キスでもされるかと思って」
「していいならしますけど」
距離を詰めて隣に立つと、焦った顔で俺を見上げた。
「会社ではやめろよ」
肩が触れそうな距離まで近寄った体を押し退けられた。その勢いで素直に離れたが、キスしようと思えばできただろうなと思った。和さん、まあまあMだからな……
五階でエレベーターが停まり、落ち着かない様子の和さんと一緒に降りる。
「……あれ? お前、この階に用事あるの?」
「三階だとすぐ着くから、五階まで一緒について来ちゃいました」
呆れ顔の和さんが口を開きかけた時、
「あ、芹」
と名前を呼ばれた。
同期で同じ課の横瀬は、呼び止めておきながら俺を素通りして和さんと話を始めようとするので、引っ張ってエレベーターに乗り込む。
「吉澤さんと何話してたの」
「普通にただの雑談。横瀬と違って、俺は吉澤さんと仲いいから」
エレベーターの中で、ムッとした目を向けられるが、無視して階数表示を見続けた。
「芹ばっかりずるい。わたしも吉澤さんがメンターだったら仲良くなれたのに」
俺はメンターになる前から仲いいから、とマウントを取りたかったが、面倒になりそうなので何も言わなかった。
和さんと初めて会ったのは、大学三年の秋に参加したインターンシップだった。
四、五人の学生に社員が一人付くという形式のグループワークで、壁際に並んだ社員を見た時に、あの人がこのグループに来てくれたらいいのに、と思ったのが和さんだった。
見た目がタイプだったし、多分彼はゲイだと思った。だから和さんが、こんにちは、と俺たちのテーブルに来た時は運命だと、心の中でちょっとはしゃいでしまった。
そのインターンシップに参加したのに、大した理由はなかった。そこそこ有名な企業で、スケジュールが合ったから。
エントリーするかどうかもまだわからないし、そもそも働くということに、まだ実感が持てなかった。
課題に対してグループで話し合って発表するというワークの中で、和さんは出しゃばり過ぎず、いい意見が出れば褒めてくれるし、議論が行き詰まるとさりげなくアドバイスをしてくれた。
入社二年目と自己紹介されたが、自分が三年後にこんなふうになれるとは、とても思えなかった。
社会人になるという自覚はまだ全然なかったし、どんな仕事をしたいかも曖昧だったけど、和さんを見て、この人と一緒に働けたらいいな、とは思った。
「芹さん」
インターンシップ終了後、和さんは俺の名前を呼ぶと、みんなが出て行って閑散とした部屋の隅に手招きした。
「一応、中立の立場だからあんまり言えなかったけど、芹さんのアイデア、凄く良かったよ」
もしかしてプライベートの連絡先でも訊かれるのかと、ドキドキしながら和さんを見つめていた俺は、拍子抜けしてしまった。
こんなの、就活生を囲い込むためのリップサービスだ。俺以外にも言っているに決まってる。
頭ではそう思いながら、顔に血が昇るのがわかった。
和さんが俺に下心がないのは明らかだった。
和さんは多分ゲイだと思うけど、思わせぶりな(俺が勝手に思わせぶられてるだけだけど)ノンケには、散々痛い目を見てきたので、浮かれないようにと自制したかったけど、勝手にドキドキしてしまう。
和さんは俺をエレベーターのところまで見送ってくれた。
すでにほとんどの学生は帰ってしまって、二人だけでエレベーターを待つ。
「……和さんって、珍しい読み方ですね」
イベント用に作った大きな名札のふりがなを見ていうと、和さんは苦笑した。
「読めないよね。俺のあだ名、小学校の頃からずっと『カズ』だよ」
俺なら『いずみさん』ってちゃんと呼ぶのに。
なかなか来ないエレベーターに、和さんは腕時計を確認した。
「あ、もう昼休みだ。食事に行く人で渋滞してるんだと思う」
引き止めてごめんね、と和さんは謝ったけど、ずっと渋滞してればいいと思った。
「昼は社食で食う人が多いかな。外に行ったり、弁当持ってくる人もいるけどね」
和さんは、会話が途切れないように気を遣ってくれていた。
「和さんは何食べるんですか」
俺は無言でも気まずいとは思わないけど、和さんのことは知りたかった。
「今日は外に行こうかな。店はすげえ汚いけど、すげえ旨い中華があるんだよ。肉団子がゴルフボールくらいあんの」
もしかしてこの後、昼飯に誘われるのかと思ったけど、和さんは屈託なく笑って、
「芹さんがこの会社に入ったら一緒に食べようね」
と、ようやく来たエレベーターの扉を押さえて、俺だけ中へ促した。
1
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
「恋の熱」-義理の弟×兄-
悠里
BL
親の再婚で兄弟になるかもしれない、初顔合わせの日。
兄:楓 弟:響也
お互い目が離せなくなる。
再婚して同居、微妙な距離感で過ごしている中。
両親不在のある夏の日。
響也が楓に、ある提案をする。
弟&年下攻めです(^^。
楓サイドは「#蝉の音書き出し企画」に参加させ頂きました。
セミの鳴き声って、ジリジリした焦燥感がある気がするので。
ジリジリした熱い感じで✨
楽しんでいただけますように。
(表紙のイラストは、ミカスケさまのフリー素材よりお借りしています)
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
幸せな復讐
志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。
明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。
だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。
でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。
君に捨てられた僕の恋の行方は……
それぞれの新生活を意識して書きました。
よろしくお願いします。
fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。
ダメリーマンにダメにされちゃう高校生
タタミ
BL
高校3年生の古賀栄智は、同じシェアハウスに住む会社員・宮城旭に恋している。
ギャンブル好きで特定の恋人を作らないダメ男の旭に、栄智は実らない想いを募らせていくが──
ダメリーマンにダメにされる男子高校生の話。
愛人少年は王に寵愛される
時枝蓮夜
BL
女性なら、三年夫婦の生活がなければ白い結婚として離縁ができる。
僕には三年待っても、白い結婚は訪れない。この国では、王の愛人は男と定められており、白い結婚であっても離婚は認められていないためだ。
初めから要らぬ子供を増やさないために、男を愛人にと定められているのだ。子ができなくて当然なのだから、離婚を論じるられる事もなかった。
そして若い間に抱き潰されたあと、修道院に幽閉されて一生を終える。
僕はもうすぐ王の愛人に召し出され、2年になる。夜のお召もあるが、ただ抱きしめられて眠るだけのお召だ。
そんな生活に変化があったのは、僕に遅い精通があってからだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる