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二人暮らし2
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その日は風が強く、永芳と余雪は外には出ずに、家の中で過ごすことにした。
繕い物をしていた余雪がふと顔を上げて、兄さん、と呼んだ。
「髪の結い方を教えてもらえませんか」
永芳は緇撮(頭頂部で結い上げた髪型)ではなく、こちらの風習に従って、三つ編みを背中に垂らしていた。
余雪は再会した時から髪を下ろして、上の部分だけを後ろで結んでいた。永芳はそれをだらしないと思ったが、武林では垂髪も珍しくはない。
もう余雪もいい大人だし、ここは中原でもないのだからと、特に何も言わなかったが、好ましく思っていないことは余雪に伝わっていたらしい。
永芳は手入れしていた弓を置くと、余雪の後ろに回った。髪を手に取り、編み方を教える。
「わたしの髪で練習するといい」
結っていた髪を解いた永芳は、余雪へ背中を向けて座る。
余雪は一瞬躊躇った後、おそるおそる永芳の頭へ手を伸ばした。髪を掬う手が首筋に触れて、弾かれたように離れていく。
永芳は何の気なしに髪の毛を差し出したが、余雪の緊張が伝わって首筋まで赤く染まった。
たどたどしく編まれた髪の先が、目の前に差し出される。
「……どうですか」
余雪の熱のこもった眼差しに、永芳は思わず目を伏せた。
「ああ……ちゃんとできている」
余雪は永芳の髪を握ったまま、離そうとしない。血管の浮いた大きな手が、大事そうに永芳の髪を包む。
永芳の肌に、夢の中で余雪に触れられた感覚が蘇った。
夢の中では、子供らしい、柔らかい手だった。だけど今、節の目立つこの長い指で触れられたら……
「……雪児、その…………まぐわいは健康にいいらしいな」
余雪は、ぽかんとした表情を永芳に向けた。
「え……何?」
余雪が訊き返されて、永芳はハッと我に返った。熱に浮かされたように、とんでもないことを口走ってしまった。
「……何でもない。すまない、忘れてくれ」
そもそも、六年も離れて過ごしてきたのだ。
その間にいろんな経験もしただろうし、余雪にとって、かつて永芳を押し倒したことは若気の至りでしかないのかもしれない。
立ちあがろうとする永芳の肩を、余雪が掴んだ。
「あの、永芳兄さん……もしかして誘ってくれてるの? え……嘘だろ? 本気で言ってるの?」
肩を掴んで振り向かせようとする余雪の手を、永芳は振り払った。永芳の目元は赤く染まって涙が滲んでいるように見える。
余雪は自分の失言を悔やんだ。
普通であれば、こんなことは絶対に言わないであろう永芳がわざわざ伝えてくれたのに、動揺しすぎて思わず聞き返してしまった。もう二度と言ってはくれないだろう。
「ごめんよ! でも、あんな言い方ってないよ」
視線を落とす永芳の肩を掴んで、余雪が顔を覗き込む。
「本当にごめん……でも俺は体にいいなんて理由でそんなことしないよ。兄さん……好きって言ってよ」
永芳は思わず顔を上げた。
熱のこもった目で見つめられて、身動きができなくなってしまう。
余雪のことが好きなのだろうか。
もちろん、愛情はある。でもそれは、弟子として育ててきた師弟愛だったり、子供の頃から見守ってきた情愛であって、余雪が期待しているものとは違う気がする。
好きかどうかもわからないのに、触れ合いたいというのは、ふしだらだろうか。
でも、正直に伝えるべきだと思った。
今はまだ好きかどうか、自分の気持ちに自信がない。でも、このまま何もしないのは嫌だと伝えよう。
「……雪児、好──」
永芳が言い終わらないうちに、余雪はその肩を抱き寄せると、唇を塞いだ。
痛いくらい肩を掴まれて、勢いよく歯が当たる。
「いいの!? 本当にいいの!?」
いいかどうかで言えば、いい。でも、ちゃんと伝えていないし誤解がある気がする。
どう答えていいか戸惑っているうちに、再び唇が重なった。
今度はさっきよりも落ち着いた接吻だった。だが、余雪の息は荒く、興奮が伝わってくる。
「雪児、待ってくれ──」
押し留めようとした永芳は、真剣な表情の余雪を間近で見て、口を噤んだ。
余雪がそっと顔を寄せると、甘い吐息を感じる。永芳は長い睫毛を震わせながら、おずおずと唇を重ねた。
舌先で唇をなぞられて、永芳は戸惑いながら口を開いた。わずかな隙間から舌が入ってきて、柔らかくて濡れた口内を丁寧に舐める。
永芳が余雪の服を掴むと、ぎゅっと抱き寄せられた。
舌が絡み合うたびに、余雪の腕の中で永芳の体がぴくぴくと震える。
どちらからともなく横たわると、緩く編んだだけの髪の毛が解けて、床に広がった。
「永芳兄さん……」
仰向けになった永芳の頬に、ぽたぽたと涙が落ちた。
兄さん、と呼びながら永芳を抱きしめる余雪は、子供の頃、泣くのを我慢していた表情よりも幼気に思えた。
繕い物をしていた余雪がふと顔を上げて、兄さん、と呼んだ。
「髪の結い方を教えてもらえませんか」
永芳は緇撮(頭頂部で結い上げた髪型)ではなく、こちらの風習に従って、三つ編みを背中に垂らしていた。
余雪は再会した時から髪を下ろして、上の部分だけを後ろで結んでいた。永芳はそれをだらしないと思ったが、武林では垂髪も珍しくはない。
もう余雪もいい大人だし、ここは中原でもないのだからと、特に何も言わなかったが、好ましく思っていないことは余雪に伝わっていたらしい。
永芳は手入れしていた弓を置くと、余雪の後ろに回った。髪を手に取り、編み方を教える。
「わたしの髪で練習するといい」
結っていた髪を解いた永芳は、余雪へ背中を向けて座る。
余雪は一瞬躊躇った後、おそるおそる永芳の頭へ手を伸ばした。髪を掬う手が首筋に触れて、弾かれたように離れていく。
永芳は何の気なしに髪の毛を差し出したが、余雪の緊張が伝わって首筋まで赤く染まった。
たどたどしく編まれた髪の先が、目の前に差し出される。
「……どうですか」
余雪の熱のこもった眼差しに、永芳は思わず目を伏せた。
「ああ……ちゃんとできている」
余雪は永芳の髪を握ったまま、離そうとしない。血管の浮いた大きな手が、大事そうに永芳の髪を包む。
永芳の肌に、夢の中で余雪に触れられた感覚が蘇った。
夢の中では、子供らしい、柔らかい手だった。だけど今、節の目立つこの長い指で触れられたら……
「……雪児、その…………まぐわいは健康にいいらしいな」
余雪は、ぽかんとした表情を永芳に向けた。
「え……何?」
余雪が訊き返されて、永芳はハッと我に返った。熱に浮かされたように、とんでもないことを口走ってしまった。
「……何でもない。すまない、忘れてくれ」
そもそも、六年も離れて過ごしてきたのだ。
その間にいろんな経験もしただろうし、余雪にとって、かつて永芳を押し倒したことは若気の至りでしかないのかもしれない。
立ちあがろうとする永芳の肩を、余雪が掴んだ。
「あの、永芳兄さん……もしかして誘ってくれてるの? え……嘘だろ? 本気で言ってるの?」
肩を掴んで振り向かせようとする余雪の手を、永芳は振り払った。永芳の目元は赤く染まって涙が滲んでいるように見える。
余雪は自分の失言を悔やんだ。
普通であれば、こんなことは絶対に言わないであろう永芳がわざわざ伝えてくれたのに、動揺しすぎて思わず聞き返してしまった。もう二度と言ってはくれないだろう。
「ごめんよ! でも、あんな言い方ってないよ」
視線を落とす永芳の肩を掴んで、余雪が顔を覗き込む。
「本当にごめん……でも俺は体にいいなんて理由でそんなことしないよ。兄さん……好きって言ってよ」
永芳は思わず顔を上げた。
熱のこもった目で見つめられて、身動きができなくなってしまう。
余雪のことが好きなのだろうか。
もちろん、愛情はある。でもそれは、弟子として育ててきた師弟愛だったり、子供の頃から見守ってきた情愛であって、余雪が期待しているものとは違う気がする。
好きかどうかもわからないのに、触れ合いたいというのは、ふしだらだろうか。
でも、正直に伝えるべきだと思った。
今はまだ好きかどうか、自分の気持ちに自信がない。でも、このまま何もしないのは嫌だと伝えよう。
「……雪児、好──」
永芳が言い終わらないうちに、余雪はその肩を抱き寄せると、唇を塞いだ。
痛いくらい肩を掴まれて、勢いよく歯が当たる。
「いいの!? 本当にいいの!?」
いいかどうかで言えば、いい。でも、ちゃんと伝えていないし誤解がある気がする。
どう答えていいか戸惑っているうちに、再び唇が重なった。
今度はさっきよりも落ち着いた接吻だった。だが、余雪の息は荒く、興奮が伝わってくる。
「雪児、待ってくれ──」
押し留めようとした永芳は、真剣な表情の余雪を間近で見て、口を噤んだ。
余雪がそっと顔を寄せると、甘い吐息を感じる。永芳は長い睫毛を震わせながら、おずおずと唇を重ねた。
舌先で唇をなぞられて、永芳は戸惑いながら口を開いた。わずかな隙間から舌が入ってきて、柔らかくて濡れた口内を丁寧に舐める。
永芳が余雪の服を掴むと、ぎゅっと抱き寄せられた。
舌が絡み合うたびに、余雪の腕の中で永芳の体がぴくぴくと震える。
どちらからともなく横たわると、緩く編んだだけの髪の毛が解けて、床に広がった。
「永芳兄さん……」
仰向けになった永芳の頬に、ぽたぽたと涙が落ちた。
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