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二人暮らし1

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 その夜、余雪は一睡もできなかった。

 お互いにこれまでの話をしていると、いつの間にか夜もすっかり更けていた。

「疲れているだろうに、遅くまですまなかった」

 永芳は寝床を用意する段になって、困ったように余雪を見た。
 永芳一人で暮らしていたので、当然寝具にしている毛皮も一組しかない。男二人が寝ても充分な大きさではあるが、これまでの経緯を考えると、同衾するのは躊躇われた。
 とはいえ、外は凍えるほどの寒さである。一緒に寝る以外の選択肢はなかった。

 並んで横になると、永芳の緊張が伝わってくる。

「永芳兄さん」

 余雪は暗闇の中で呟いた。

「何もしませんから、安心してください」

 暗闇の中、永芳が張り詰めた息をそっと吐くのがわかった。
 数えきれない程、永芳のことを思って自慰をしてきた余雪である。二人きりで一緒に寝て、興奮しないわけがなかった。
 だが、永芳を困らせたくはなかった。
 再会を喜んでくれた永芳を裏切りたくない。

「雪児」

 暗く冷たい空気の中に、永芳の声が溶けて消える。

「……探し出してくれて、ありがとう。本当に、ありがとう……」

 余雪は元々楽天的で、深く悩まない性質である。この六年間、辛くなかったわけではないが、いつか永芳に会えると思えば、どんな苦難も大抵はなんとかなった。
 だが、永芳は余雪が生きていることすら知らなかったのだ。
 祖国を捨てて、異国でたった一人生きていくつもりだった永芳の気持ちを思うと、今はただ、不安も憂いもなく、幸せだけを感じて欲しかった。

「……朝起きても、ちゃんと横にいてくれ」

 永芳の指先が、余雪の手をそっと掴んだ。

「……はい。ちゃんと、ずっといますから」

 余雪がしっかりと握り返すと、永芳は安心したのか静かな寝息を立て始めた。
 長年思い続けた永芳が触れ合える距離にいる。それだけで余雪は充分幸せだった。
 だが、永芳が触れる部分だけ敏感になって、どくどくと血が流れ、気持ちとは裏腹に体は反応してしまう。
 余雪は悶々としながら、再会の一夜を過ごした。






 それからは穏やかな日々が続いた。
 永芳は余雪を連れて平原に行き、狩りを教えた。

「剣は使わないのですか」

 永芳の腰には、短刀だけが吊るされている。

「ああ、弓矢の方がいい。それにもう、わたしは剣は……」

 言葉を濁す永芳に、余雪はそれ以上、何も訊かなかった。

 余雪は甲斐甲斐しく永芳の世話を焼いた。
 夜寝る前には永芳の脚を揉むのが、余雪の日課になった。
 蒙古では馬に乗ることが多いので、昔ほど脚は痛まないが、永芳は余雪がしたいようにするのに任せた。
 肌に触れられると、余雪の内力が上がったことに気づく。離ればなれになっていた間も、ひたむきに鍛錬を続けていたことに、永芳の胸はいっぱいになった。

 余雪の手つきは、真面目に指圧をするだけだ。何もしないと再会した日に言った通り、やましいことは一切してこない。
 だが永芳には、余雪との交合を何度も夢で見たという後ろめたさがあった。
 共に暮らす日が長くなるほど、永芳は意識するのに、余雪はまるでその気がないように思える。

 ある夜の就寝前、いつものようにうつ伏せで脚を揉まれている時、永芳は思い切って余雪の方を振り返った。余雪が望むのなら、もっと触れ合っても構わない。

「雪児、脚はもういいから……」

 体を起こして声をかけるものの、何をどう話せばいいのかわからない。余雪は不思議そうな表情で、永芳を見つめる。
 あの、と口を開きかけた時、余雪がパッと立ち上がった。

「そうだ、忘れていました」

 余雪は自分の荷物の中から包みを取り出すと、永芳に渡した。中には、乾燥した草の根がいくつも入っている。

「芍薬です。いつか渡そうと、見つけるたびに摘み取っていました」

 永芳は干からびた根に触れて、言葉に詰まった。芍薬を飲んでいたことなど、もうすっかり忘れていた。

「……ありがとう。さっそく明日から煎じて飲もう」

 照れくさそうに微笑む余雪からは、純粋な愛情だけが伝わってくる。永芳はそれ以上、もう何も言えなかった。
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