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心の移ろい
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永芳はゲル(遊牧民の移動式住居)に戻ると、アイル(ゲルの集落)の長に余雪を紹介した。
余雪は、知らない言葉を話す永芳を不思議そうに見つめている。
「何と話したのですか?」
「弟が訪ねてきたから、しばらくここに滞在すると伝えた」
「弟……」
思わず余雪が呟くと、永芳はばつの悪そうな表情になった。
「説明するのが難しいんだから、仕方ないだろう。息子というにはさすがに無理があるし……」
弟弟子なのは事実なので、そう紹介されてもおかしくはない。永芳自身がどう思っているのかは気になったが、余雪は気を取り直すように微笑んだ。
「それじゃあ、弟らしくしないといけませんね。それにしても、兄さんはすっかりこちらの言葉に馴染んでいますね」
「お前だって、しばらく暮らせばこれくらい話せる」
永芳はそう言った後、不安そうな表情で余雪を見た。
「……しばらくはここにいるのだろう」
「当たり前だよ! 兄さんがいいなら、ずっといるよ!」
慌てて頷く余雪へ、永芳は安心したように笑った。
「狭くてすまないが、そこに座っていてくれ」
永芳の住むゲルは、周囲のものと比べて一回りほど小さかった。
「納屋として使っていたものを譲ってもらったんだ」
中に入ると、外観よりは広く感じる。だがそれは、室内にほとんど何もないせいなのかもしれない。
ゲルの中には、必要最低限の生活道具があるだけで、がらんとしていた。ここで永芳が一人、慎ましく暮らしている様を思うと、余雪の胸はぎゅっと締め付けられた。
荷物を片付けていると外から呼ばれて、永芳が扉を開けた。
扉の向こうには小さな子供が立っており、両手に抱えた鍋を永芳に差し出す。
永芳はしゃがみ込んでしばらく話をすると、笑顔で子供の頭を撫でた。幼い弟子たちの相手をしていた時のようだと思った。
子供は短い腕でぎゅっと永芳に抱きつくと、はにかみながら帰って行った。
「食事をわけてくれたんだ。せっかく弟が来たのに、わたしだけでは碌な用意もできないだろうって」
永芳は、自身の生活能力のなさを恥じ入るように言うが、余雪はなんでもないように微笑んだ。
「それはありがたいですね。後で俺からもお礼を言わせてください」
永芳は余雪の態度に少し驚きながら、受け取った鍋を火にかけた。
炉の前に座る余雪へそっと目を遣る。
記憶の中の余雪は、まだ少年らしさの残る面立ちだったが、いま目の前にいるのは、精悍な表情の青年だった。
言葉遣いだって、以前は二人だけの時であれば砕けた話し方をしていたのに、今は他に誰もいなくても礼儀正しく敬語を使う。
永芳の視線に気づいた余雪が、慈しむような目で微笑む。
幼い頃、永芳が自分以外の弟弟子と親しくしていると、不貞腐れて暴れていたのが嘘のようだ。
「……なんだ、にやにやして」
永芳は思わず俯いて、思慮深く大人になった余雪から、視線を逸らした。
「この食事をわけてもらって……兄さんを支えてくれる人がいるんだって思うと、嬉しいんです」
異民族として、ずっと居場所がないような思いをしてきたが、アイルに受け入れられた永芳よりも、たった一人でここまでやって来た余雪の方が、余程心細かっただろう。
永芳は小さく、ありがとう、と呟くと、鍋のスープを余雪によそった。
「そういえば、あの鶴はなんなんだ」
余雪の後をずっと、低くゆっくり飛んでついて来た鶴は、今は他の家畜と一緒に小屋の中にいる。
「あれは、その……いろいろあったんです」
余雪は食事をしながら、これまでの顛末を話した。
劉玲華からは、永芳が魔教から解放された後、中原を出るつもりだと話をしていたことしか聞けなかった。
それから六年間、周辺の国々を巡り、ようやく永芳のもとに辿り着いたのだった。
「すまない……苦労をかけたな」
「いえ、こんなに時間がかかってしまって、俺のほうこそ申し訳ありません」
殊勝に頭を下げる余雪を、永芳は寂しげに見つめた。
喧嘩っ早くて口が悪くて、軽率で素直じゃなくて、永芳に縋っていた余雪は成熟してしまったのだと思った。
余雪は、知らない言葉を話す永芳を不思議そうに見つめている。
「何と話したのですか?」
「弟が訪ねてきたから、しばらくここに滞在すると伝えた」
「弟……」
思わず余雪が呟くと、永芳はばつの悪そうな表情になった。
「説明するのが難しいんだから、仕方ないだろう。息子というにはさすがに無理があるし……」
弟弟子なのは事実なので、そう紹介されてもおかしくはない。永芳自身がどう思っているのかは気になったが、余雪は気を取り直すように微笑んだ。
「それじゃあ、弟らしくしないといけませんね。それにしても、兄さんはすっかりこちらの言葉に馴染んでいますね」
「お前だって、しばらく暮らせばこれくらい話せる」
永芳はそう言った後、不安そうな表情で余雪を見た。
「……しばらくはここにいるのだろう」
「当たり前だよ! 兄さんがいいなら、ずっといるよ!」
慌てて頷く余雪へ、永芳は安心したように笑った。
「狭くてすまないが、そこに座っていてくれ」
永芳の住むゲルは、周囲のものと比べて一回りほど小さかった。
「納屋として使っていたものを譲ってもらったんだ」
中に入ると、外観よりは広く感じる。だがそれは、室内にほとんど何もないせいなのかもしれない。
ゲルの中には、必要最低限の生活道具があるだけで、がらんとしていた。ここで永芳が一人、慎ましく暮らしている様を思うと、余雪の胸はぎゅっと締め付けられた。
荷物を片付けていると外から呼ばれて、永芳が扉を開けた。
扉の向こうには小さな子供が立っており、両手に抱えた鍋を永芳に差し出す。
永芳はしゃがみ込んでしばらく話をすると、笑顔で子供の頭を撫でた。幼い弟子たちの相手をしていた時のようだと思った。
子供は短い腕でぎゅっと永芳に抱きつくと、はにかみながら帰って行った。
「食事をわけてくれたんだ。せっかく弟が来たのに、わたしだけでは碌な用意もできないだろうって」
永芳は、自身の生活能力のなさを恥じ入るように言うが、余雪はなんでもないように微笑んだ。
「それはありがたいですね。後で俺からもお礼を言わせてください」
永芳は余雪の態度に少し驚きながら、受け取った鍋を火にかけた。
炉の前に座る余雪へそっと目を遣る。
記憶の中の余雪は、まだ少年らしさの残る面立ちだったが、いま目の前にいるのは、精悍な表情の青年だった。
言葉遣いだって、以前は二人だけの時であれば砕けた話し方をしていたのに、今は他に誰もいなくても礼儀正しく敬語を使う。
永芳の視線に気づいた余雪が、慈しむような目で微笑む。
幼い頃、永芳が自分以外の弟弟子と親しくしていると、不貞腐れて暴れていたのが嘘のようだ。
「……なんだ、にやにやして」
永芳は思わず俯いて、思慮深く大人になった余雪から、視線を逸らした。
「この食事をわけてもらって……兄さんを支えてくれる人がいるんだって思うと、嬉しいんです」
異民族として、ずっと居場所がないような思いをしてきたが、アイルに受け入れられた永芳よりも、たった一人でここまでやって来た余雪の方が、余程心細かっただろう。
永芳は小さく、ありがとう、と呟くと、鍋のスープを余雪によそった。
「そういえば、あの鶴はなんなんだ」
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「あれは、その……いろいろあったんです」
余雪は食事をしながら、これまでの顛末を話した。
劉玲華からは、永芳が魔教から解放された後、中原を出るつもりだと話をしていたことしか聞けなかった。
それから六年間、周辺の国々を巡り、ようやく永芳のもとに辿り着いたのだった。
「すまない……苦労をかけたな」
「いえ、こんなに時間がかかってしまって、俺のほうこそ申し訳ありません」
殊勝に頭を下げる余雪を、永芳は寂しげに見つめた。
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