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芍薬の香り1

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 『嫌われている』と言われて、余雪は慌てた。
 永芳に対して態度が悪いことは自覚している。
 ぶっきらぼうな物言いしかできないし、そもそもほんの少し前までは、敬語すら使っていなかった。
 顔を合わせればむすっとした表情で目を伏せ、視線も合わせられない。
 元々、殊更に子ども扱いしてくる永芳が苦手だったが、年頃になって輪をかけてひねくれた態度をとるようになったのには、理由があった。





 李北が大人になったらしい、と少し年上の兄弟子から聞いたのは、余雪が入門して二年ほど経った頃だった。

「あいつの何が大人だ」

 確かに体は大きいが、何かにつけて子どもっぽく余雪に絡んでくる。剣の腕だって、後から入門した余雪の方が上だ。

「そういう意味じゃない。体が大人になったってことだ」

 まだ納得できない顔の余雪に兄弟子は、

「子種が出るようになったってことだよ」

と説明した。
 余雪は性的な知識はそれなりにあったものの、自分の体の仕組みについてはわかっていなかった。
 兄弟子から説明を受けて、入門する前、まだ幼い頃に覗いた娼館で、男客が『出すぞ』と言っていた意味をようやく理解した。
 その話を聞いて、心に浮かんだのは永芳のことだった。
 余雪より一回りも年上の永芳は、立派な大人だ。
 当然、子種も出るのだろう。

 ──早く大人になりたい

 永芳は、未だに余雪を子ども扱いする。
 もう背丈だって永芳の胸くらいはあるのに、話をするときはいつも、小さな子どもに対するようにしゃがみ込んでじっと見上げてくる。
 他の弟弟子には度が過ぎるほど丁寧な態度で、一定の距離を保とうとしているように見えるのに、余雪のことは、何もできない子どものように扱うのだ。
 背だって伸びて、剣の腕も上達しているのに。

 永芳は夜、部屋で二人きりになると余雪に稽古をつける。余雪が押しかけて勝手に入門の口上を告げたとはいえ、形の上では師父になるのだから、責任を感じているのかもしれない。
 皆の前では『兄さん』と呼び、他の兄弟弟子と変わらない態度で接するようにしているので、夜の稽古は二人だけの秘密だった。自分だけ永芳に教わっていることを後ろめたくも感じたが、永芳にとって自分は特別なのだという優越感もあった。

 永芳に教わった通りに内功を巡らせ、剣を合わせる。
 余雪は昨日より剣を早く払い、新しい技を習得することで、自分の世界が広がる気がした。腕が磨かれるごとに永芳に近づいている悦びが、体の隅々までしみじみと満ちていく。

 稽古が終わると、永芳は手巾で余雪の汗を拭った。

「……自分でできる」
「そう言って、お前はそのままにするだろう。ちゃんと拭かないと風邪を引くぞ」

 余雪にはそう言う癖に、永芳自身は胸元を寛げて、素肌にパタパタと風を送るだけだ。

 稽古を終えて就寝の挨拶をすると、余雪は自分の寝床のある小部屋へ行く。
 寝ている間に子種が出るらしいと聞いた余雪は、寝床に入って眠りにつく前に、お祈りをするのが習慣になった。
 神仏など信じていなかったが、寝床で仰向けになると目を閉じて、どうか子種が出ますようにと、どんな存在かもよくわからない神様に向かって心の中で念じた。
 子種を出す時は陰茎を擦るのだ、と教えられていた余雪は、内衣の中に手を差し入れた。以前温泉で、永芳が包皮を剥いた手つきを思い出して、ピンと勃ち上がった陰茎を辿々しく扱いた。
 目を閉じると、眠る前に見た永芳の汗ばんだ胸元が思い浮かぶ。
 扉一枚隔てた所で眠っている永芳も、同じようなことをしているのだろうか。
 そう思うと胸がキュッと痛んで、同時に陰茎がぴくぴくと震えた。怖いような、癖になりそうな感覚が腰にまとわりついてくる。

 余雪は初めての感覚に恐ろしくなり、起き上がると永芳の寝床に通じる扉を開けた。
 永芳はまだ起きて机に向かっていて、声もかけずにいきなり部屋に入ってきた余雪を驚いた表情で見つめた。

「どうした? 眠れないのか?」
「……脚、痛い」

 余雪が咄嗟に出まかせを言うと、永芳は立ち上がっていつもの軟膏を取り出した。

「おいで」

 おずおずと寝床に腰を下ろすと、永芳は床に膝をついて余雪の脚に軟膏を塗った。
 弱々しい灯りに、永芳の伏せた睫毛が頬へと長い影を伸ばした。蝋燭の炎の揺らめきに合わせて震える影をぼんやりと見下ろしていると、不意に顔を上げた永芳と目が合った。

「一緒に寝るかい?」

 余雪がおずおずと頷くと、永芳は灯りを消して寝床に入った。

「……何か仕事があったんじゃないのか?」
「もう遅いから明日にするよ」

 真っ暗な寝床で、永芳は余雪を抱き寄せて脚をさすった。余雪は躊躇いがちに永芳の胸に体を預けた。

「……体がおかしいんだ」

 永芳の手が肌を撫で、甘い匂いに包まれると、余雪の腰の周りの違和感はさらに増した。

「脚のほかにも痛いところがあるのか?」

 余雪は何も言えず、永芳の太腿を両脚で挟み込むようにして、ぎゅっと抱きついた。永芳は心配そうに余雪の背中をさすっていたが、脚に当たる違和感に気づいたようだった。

「雪児、それは体がおかしいわけじゃないよ」

 永芳は余雪を宥めるように、胸に埋まった頭を撫でた。その手つきに合わせて、余雪の腰が自分の意思とは関係なく揺れる。

「……怖い」

 自分の思い通りにならない体も、もやもやした先に辿り着くであろう未知の感覚も不安だった。

「大丈夫だから」

 永芳が促すように余雪の腰をトントンと軽く叩くと、そこからは箍が外れたように、永芳の腕を握り締めて、快感を追うように腰が揺れた。
 いけないことをしている。
 余雪はそう思いながら、腰に溜まる甘苦しい重みと、その先にある快感に突き動かされるように、永芳の脚の間に股間を摺りつけた。

「永芳兄さん…… 」

 余雪は不安げに顔を上げ、名前を呼んだ。

「怖いよ……」

 顔を真っ赤にして、泣きそうな目を向ける余雪の震える体を、永芳は戸惑いながらも抱きしめた。耳元に顔を埋める余雪の息の熱さで、永芳の髪は頬に張り付いた。

「大丈夫だ。怖くないよ」

 余雪は甘えるように永芳の肩に頭をのせ、硬い太腿を股の間に挟んで腰を動かした。首筋にかかる余雪の吐息は、乳くさいような甘ったるい匂いがした。
 子どもっぽい仕草や匂いとは対照的な、卑猥な下半身の動きに、永芳は戸惑いながらも余雪の体を受け止めた。
 体の変化や、初めて覚えた性的な興奮に混乱しているのだろう。永芳まで取り乱しては、自尊心の高い余雪は傷ついてしまう。普段はそっけない態度ばかりの余雪が、永芳を頼ってくれたことに応えたかった。これが正しい対応なのかはわからなかったが。

 余雪はこのまま、ずっと陰茎を擦り続けたかった。
 じれったい快感が腹の奥で燻って、腰を突き上げる。恥ずかしさはあったが、永芳は何も言わずに抱きしめてくれていた。
 犬のように短く荒い息を吐いていた余雪は、不意に陰嚢がキュッとせり上がってくるのを感じた。

「あっ……!」

 歯を食いしばるようにして我慢していた声が思わず漏れると、腰がひくひくと震える。

「やだっ……! 嫌だ……!」

 余雪は泣きそうな声を上げると、強過ぎる刺激に怯えて永芳にしがみついた。永芳が震える体をぎゅっと抱き返すと、余雪は陰茎の先から何かが放出されるのを感じた。じわっと内衣が濡れる。
 寝床の中は熱気で蒸れ、敷布は汗で湿ったが、余雪は永芳にしがみついたままじっとしていた。永芳も余雪の背中にまわした腕を離さなかった。

 体の震えがおさまってから、永芳は余雪の内衣の中に手を差し入れて濡れた股間を拭った。
 たくさん漏らしてしまったと思っていたが、子種はほんの数滴出ただけだった。

「心配しなくてもいい。雪児が大人になったってことだよ」

 ようやく大嫌いな李北に追いついた……とほっとしたのも束の間、余雪は以前、この寝床の中で聞いた言葉を思い出した。

 ──雪児が大人になるまではしないよ

 結婚について問い詰められた永芳の言葉を思い出した余雪は、ハッと顔を上げた。

「……結婚するの?」
「誰が?」

 心底不思議そうな顔で問い返されて、余雪はほっと息を吐いた。
 快感の余韻が残る体を永芳に預けて、気怠さの中ですぐに眠りに落ちた。
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