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侶鶴の舞

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 翌朝、永芳と余雪は連れ立って、飛鶴派の本山から少し下ったところにある河川の中洲へと向かった。
 なんで朝早くからこんなところへ、と眠い目を擦りながらも、ここに来てから初めての外出に、余雪は内心浮かれていた。

「見てごらん」

 永芳は余雪の横にしゃがむと、草枯れた中洲を指差した。

「……あれ、何」

 薄く雪が積もり、白と茶色が交わる広大な中洲には、大きな白い鳥が何羽も屯していた。

「余雪は福州の出身だから見たことないだろうね。あれは鶴という鳥だよ。飛鶴派剣法の元となった鳥だ」
 
 余雪はポカンと口を開いて、目の前の光景を見つめた。
 羽を大きく広げてゆったりと滑空する優雅な姿、細い足を伸ばして飛び上がる仕草、二羽で向かい合って翼をはためかせる息の合った舞……
 凍てつく冬空の下、鳥たちの羽音と鳴き声が響いていた。

「きれい……」

 思わず、口をついて言葉が溢れた。
 その日を生きるのに精一杯で、景色や動物を見て美しいなんて感じたことなどなかった余雪が、初めて覚えた感動だった。
 永芳は立ち上がると、おもむろに抜剣した。

 飛鶴派は素早く力強い剣捌きが特徴の、勇猛な剣派だ。永芳が振るう剣は、確かに飛鶴派の型だったが、冷たい風を静かに切り裂く様は、まるで別のもののように見えた。
 清冽な空気に同化するように剣先が煌めき、朝日が永芳を神々しく照らす。風をはらんだ上着が羽のように広がり、永芳の動きは鶴の舞と重なった。
 余雪は思わず永芳の上着の裾を掴んだ。

「どうした。急に近づいたら危ないだろう」

 永芳は剣を収めると、膝をついて余雪の目の前にしゃがんだ。

「ごみでも入ったのかい」

 永芳の指が余雪の頬を撫でる。知らぬ間に、涙が頬を伝っていた。
 余雪が慌てて手の甲でごしごしと目元を擦ると、永芳は、傷がつくからやめなさいと、その手をそっと押さえた。
 余雪のもう一方の手は、まだ永芳の服を掴んだままだった。永芳が鶴のように飛んでいってしまいそうだったからだ。
 永芳は朝日に目を眇めながら、向かい合う二羽の鶴を見つめた。

「あの二羽は夫婦になるために踊っているんだ。舞踊譜があるわけでもないのに、即興であんなに息の合った舞ができるなんて、すごいだろう」

 大きく羽を広げて飛び上がる伴侶に合わせて、もう一羽が長い首を伸ばして翼をはためかせる。二羽の吐く白い息が、陽の光にきらきらと輝いた。

「飛鶴派には侶鶴剣りょかくけんという奥義がある。奥義といっても、決まった型があるわけじゃない。あの鶴の舞のように、二人一組で相手に合わせて、剣を振るうんだ」
「そんなこと、できるのか?」

 余雪の問いに、永芳は頷く。

「侶鶴剣は防御のない、攻めだけの剣なんだ。自分の危険は顧みずに、ただ相手を補ってひたすら剣を繰り出す。もちろん、二人とも剣の達人じゃないとできない。飛鶴派を極めた二人が、あの夫婦の鶴のように息を合わせて剣を振るうんだ」

 永芳は鶴の群れをぐるりと眺め、ぽつんと佇む一羽に目を止めた。じっとその鶴を見つめたまま口を開いた。

「わたしはもう、侶鶴剣を会得することはできない」

 心細げな呟きに、余雪は思わず永芳の顔を見た。
 永芳はハッと気づくと、ばつの悪い笑顔を浮かべた。

「父──総帥との侶鶴剣がわたしの夢だったんだ。でも、この脚ではどうしようもない」

 気休めの言葉もかけられず、余雪はただじっと永芳の横顔を見つめた。
 永芳の長いまつ毛の先に、白い綿毛が落ちてきて絡んだ。それはすぐに消えてなくなると、雫となって永芳の頬に流れた。
 空を見上げると、ちらちらと白い破片が舞っている。

「雪が降ってきたね」

 永芳はしゃがみ込んだ脚の間に、余雪を引き入れて上着で包んだ。
 伸ばした手のひらに落ちた雪は、ふわふわと柔らかそうなのに、冷たくてすぐに溶けてしまった。

「雪を見るのは初めてか? 雪児は南方の出身なのに、なんで『雪』なんて名前なんだろうね」

 ちらちら舞っていただけの雪は、あっという間に本格的に降り積もり始めたが、永芳の腕の中に包まれた余雪は、ちっとも寒さを感じなかった。

「雪児」

 永芳は余雪を抱き抱えたまま、鶴たちを見つめて名前を呼んだ。

「お前は物覚えがいいし、体もよく動く。剣術はきっと上手くなるだろう。でも、剣とは誰かを打ち負かしたり、自分の強さを誇示するためのものじゃない」

 余雪は永芳の腕の中から、同じように鶴の群れを見つめた。
 その言葉の意味はあまり理解できなかったが、永芳の舞った剣の美しさが自分が今までしてきた稽古の先にないことは、なんとなく感じた。

「……雪って、いい匂いがするんだな」

 余雪がぽつりと呟くと、永芳は小さく笑った。

「雪に匂いはないよ」

 冬にも関わらず、辺りにはみずみずしい青葉と花の甘さが微かに混ざった、爽やかな香りが漂っていた。
 余雪は息を大きく吸い込んで、でも──と言いかけて口をつぐんだ。
 それが雪ではなく、永芳の香りだと気づいたからだ。
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