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▼第11章 風雲のカナウジ
▼11-2 籠城戦
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輜重隊が戦闘に巻き込まれるようなことがあっては困るが、無事に進軍できているならば、軍隊として退屈極まりない。敵を撃破して手柄を立てる機会すら最初から無いので、やる気も出ないものだ。
だが、それでも、ハルシャにとってはそれで丁度良かったかもしれない。
初陣のマーラヴァ遠征の時には、本格的な戦闘は幸か不幸か経験せずだった。それでいて、自分で他者に本気の暴力をふるう経験、自分が生殺与奪の権を握って人命を殺すか生かすかの決断をする経験、初陣としては十分に濃い内容だったのだ。そこからまだ自分の殻を破れておらず、乗り越えていない。
もしまた同じような状況が発生した時に、自分は軍の隊長として適切な言動をすることができるのか。戦いに備え弓兵の必需品である万力で、曲がった矢を真っ直ぐに直すのに余念がない。
そうこうしている内に、兄のラージャー新王が率いている本体には動きがあったらしい。
「ラージャー王陛下の騎兵一〇〇〇〇騎が、カナウジ近郊の平原にて奸王デーヴァグプタの軍勢、歩兵を中心とする五〇〇〇と激突、これを破って勝利。敵将であるデーヴァグプタは体調不良だった模様で、戦闘中に戦死したことが確認されたとのことです」
伝令の報告の声が聞こえる範囲の兵士たちが歓声を挙げた。
ハルシャも、良し、と口の中だけで小さく唱えて強く左右の拳を握った。が、喜びを表現したのはそれだけだ。すぐに冷静に状況を思考する。
勝つのは当然だ。新王である兄が率いているのはスタネーシュヴァラが誇る精鋭の騎兵団だ。それが、十分に力を発揮することが期待できる平原で戦ったのだ。しかも単純に数が相手の二倍。
相手は奸王と呼ばれている油断ならない相手であったが、戦いの場所として設定されたのが平原であれば、さほど大きな策略を仕掛けるのは難しいだろう。せいぜい落とし穴くらいは仕掛けてあったのだろうが、仮にあったとしても被害は限定的だったことは想像に難くない。
「相手の数が五〇〇〇って言ったか。数え間違いじゃなくて本当に歩兵で五〇〇〇なのか。想定していたよりも少ないんじゃないかな」
どこかに伏兵がいるのではないか。
進軍しながら、象の背中で揺られながら考えていると、答えの方が向こうからやってきてくれた。先行している兄の軍から、続報の伝令が到着したのだ。
「デーヴァグプタの軍を撃破した新王の軍隊は、現在カナウジを包囲中。カナウジはシャシャーンカ王の将軍が守りについているようですが、守備兵の数も多く、持久戦になる可能性もある模様」
勝利の余韻は終わった。ハルシャは腕組みをして渋い顔になった。
「それって、平原の決戦にあまり兵力を割かずに、籠城の方に人員を配置したってことじゃないかな」
ハルシャは素早く思考を練った。
デーヴァグプタは元はマーラヴァの王であったが、ハルシャたちの国スタネーシュヴァラに対して反抗的な態度をとり、父のプラバーカラ王に撃破されてしまった。その場では捕獲されずに脱出に成功したデーヴァグプタは遥か東まで落ちのび、西ベンガルのカルナ・スヴァルナ国のシャシャーンカ王に保護された。シャシャーンカ王から兵を貸し与えられて今回のカナウジ奇襲作戦に参加したデーヴァグプタだったが、結局のところシャシャーンカ王からさほど信用されてはおらず、手先として利用されただけだったということだ。憐れな末路である。そんな最期を遂げるくらいだったら、マーラヴァ国を枕にして堂々と討ち死にした方が戦士としての威厳を保てたであろうに。
「籠城戦はまずいな」
カナウジの外のどこかで対決し、勝利すればすんなりカナウジに入城できるものだと、心のどこかで甘く考えていた。
兄の軍は騎兵が主力で、機動力には優れている。ただし籠城した相手を包囲する戦いには向いていない。馬が居る分、余計に兵糧を消費するだけだ。
そして、籠城戦だと、ラージャシュリーを人質として取られている分、本気で攻撃することが躊躇われるこちらの方が不利だ。
「やはり、当初から予測していたことだけど、ラージャシュリーを救出するために、カナウジに潜入するしかないな」
思春期の十四歳前後くらいの少年は、良く言えば想像力が豊かになり、悪く言えば妄想を繰り広げるようになる。自分の居る村落に或る日突然不審者の集団が侵入してきて自分以外が全員捕えられて人質となってしまう。一人無事だった自分が八面六臂の活躍で不審者を一人ずつ排除していき、人質救出を果たす。英雄となった自分は人々から称賛を浴びて尊敬の眼差しで見られて、異性からは好意を抱かれる。
そういった妄想の延長線上で、ハルシャもまた想像力を働かせていた。ラージャシュリーはカナウジの監獄の奥深くに監禁されており、兄の軍隊が正面から正攻法で攻めただけでは人質に取られてしまい、こちら側が身動きを取りにくくなる。ハルシャが一人で敵陣に潜入し、虜囚の憂き目を見ているラージャシュリーを救出するのだ。
想定済みだったため、そこからの行動は早かった。
まずは、輜重隊の副官に後事を託した。自分はラージャシュリー救出のためにカナウジに潜入する。その間は輜重隊の指揮をとってほしい。もし事前に取り決めておいた期日までに自分が戻らなかったら、自分は死んだものとして扱ってほしい。ただし、無理をするつもりは無いので安心してほしい。救出が困難だと判断したら撤退して次の機会を窺うことにする。
だが、それでも、ハルシャにとってはそれで丁度良かったかもしれない。
初陣のマーラヴァ遠征の時には、本格的な戦闘は幸か不幸か経験せずだった。それでいて、自分で他者に本気の暴力をふるう経験、自分が生殺与奪の権を握って人命を殺すか生かすかの決断をする経験、初陣としては十分に濃い内容だったのだ。そこからまだ自分の殻を破れておらず、乗り越えていない。
もしまた同じような状況が発生した時に、自分は軍の隊長として適切な言動をすることができるのか。戦いに備え弓兵の必需品である万力で、曲がった矢を真っ直ぐに直すのに余念がない。
そうこうしている内に、兄のラージャー新王が率いている本体には動きがあったらしい。
「ラージャー王陛下の騎兵一〇〇〇〇騎が、カナウジ近郊の平原にて奸王デーヴァグプタの軍勢、歩兵を中心とする五〇〇〇と激突、これを破って勝利。敵将であるデーヴァグプタは体調不良だった模様で、戦闘中に戦死したことが確認されたとのことです」
伝令の報告の声が聞こえる範囲の兵士たちが歓声を挙げた。
ハルシャも、良し、と口の中だけで小さく唱えて強く左右の拳を握った。が、喜びを表現したのはそれだけだ。すぐに冷静に状況を思考する。
勝つのは当然だ。新王である兄が率いているのはスタネーシュヴァラが誇る精鋭の騎兵団だ。それが、十分に力を発揮することが期待できる平原で戦ったのだ。しかも単純に数が相手の二倍。
相手は奸王と呼ばれている油断ならない相手であったが、戦いの場所として設定されたのが平原であれば、さほど大きな策略を仕掛けるのは難しいだろう。せいぜい落とし穴くらいは仕掛けてあったのだろうが、仮にあったとしても被害は限定的だったことは想像に難くない。
「相手の数が五〇〇〇って言ったか。数え間違いじゃなくて本当に歩兵で五〇〇〇なのか。想定していたよりも少ないんじゃないかな」
どこかに伏兵がいるのではないか。
進軍しながら、象の背中で揺られながら考えていると、答えの方が向こうからやってきてくれた。先行している兄の軍から、続報の伝令が到着したのだ。
「デーヴァグプタの軍を撃破した新王の軍隊は、現在カナウジを包囲中。カナウジはシャシャーンカ王の将軍が守りについているようですが、守備兵の数も多く、持久戦になる可能性もある模様」
勝利の余韻は終わった。ハルシャは腕組みをして渋い顔になった。
「それって、平原の決戦にあまり兵力を割かずに、籠城の方に人員を配置したってことじゃないかな」
ハルシャは素早く思考を練った。
デーヴァグプタは元はマーラヴァの王であったが、ハルシャたちの国スタネーシュヴァラに対して反抗的な態度をとり、父のプラバーカラ王に撃破されてしまった。その場では捕獲されずに脱出に成功したデーヴァグプタは遥か東まで落ちのび、西ベンガルのカルナ・スヴァルナ国のシャシャーンカ王に保護された。シャシャーンカ王から兵を貸し与えられて今回のカナウジ奇襲作戦に参加したデーヴァグプタだったが、結局のところシャシャーンカ王からさほど信用されてはおらず、手先として利用されただけだったということだ。憐れな末路である。そんな最期を遂げるくらいだったら、マーラヴァ国を枕にして堂々と討ち死にした方が戦士としての威厳を保てたであろうに。
「籠城戦はまずいな」
カナウジの外のどこかで対決し、勝利すればすんなりカナウジに入城できるものだと、心のどこかで甘く考えていた。
兄の軍は騎兵が主力で、機動力には優れている。ただし籠城した相手を包囲する戦いには向いていない。馬が居る分、余計に兵糧を消費するだけだ。
そして、籠城戦だと、ラージャシュリーを人質として取られている分、本気で攻撃することが躊躇われるこちらの方が不利だ。
「やはり、当初から予測していたことだけど、ラージャシュリーを救出するために、カナウジに潜入するしかないな」
思春期の十四歳前後くらいの少年は、良く言えば想像力が豊かになり、悪く言えば妄想を繰り広げるようになる。自分の居る村落に或る日突然不審者の集団が侵入してきて自分以外が全員捕えられて人質となってしまう。一人無事だった自分が八面六臂の活躍で不審者を一人ずつ排除していき、人質救出を果たす。英雄となった自分は人々から称賛を浴びて尊敬の眼差しで見られて、異性からは好意を抱かれる。
そういった妄想の延長線上で、ハルシャもまた想像力を働かせていた。ラージャシュリーはカナウジの監獄の奥深くに監禁されており、兄の軍隊が正面から正攻法で攻めただけでは人質に取られてしまい、こちら側が身動きを取りにくくなる。ハルシャが一人で敵陣に潜入し、虜囚の憂き目を見ているラージャシュリーを救出するのだ。
想定済みだったため、そこからの行動は早かった。
まずは、輜重隊の副官に後事を託した。自分はラージャシュリー救出のためにカナウジに潜入する。その間は輜重隊の指揮をとってほしい。もし事前に取り決めておいた期日までに自分が戻らなかったら、自分は死んだものとして扱ってほしい。ただし、無理をするつもりは無いので安心してほしい。救出が困難だと判断したら撤退して次の機会を窺うことにする。
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