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▼第5章 本生譚の慈悲
▼5-4 捨身飼虎
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「ジャヤセーナ論師、本生譚とは何ですか」
質問をしたのはハルシャだったが、他の二人は既に本生譚が何であるか知っているようだった。質問を発してから小さな羞恥心で少し頬が熱くなるのを感じたが、仏教に関する専門用語に関しては知らなかったとしても恥ではないと思い直した。
「仏陀の前世の物語のことです。要は、過去と現在の行為の因果関係を示すための教訓話ということになるのです。前世で徳を積んでいたからこそ、転生した後に悟りを開く仏陀になれた、ということになります」
「それって、なんか夢も希望も無い話のように思うんですが。だって、前世で徳を積んでいなければ立派な人に転生できないってことですよね。ということは、自分が立派になれるかどうかは、既に前世の時点で決まってしまっているということじゃないのですか」
ハルシャの意見に、ジャヤセーナ論師が顎鬚を撫でて少し俯いて考え込んだ。予想していなかった指摘だったらしい。
「お兄様、仏教は実践の教えです。現世で頑張って徳を積めば、次の転生先で良くなることができるということでもあります。前世で徳が多かったか少なかったは現世の自分には分かりようもありませんが、そんなことには関係無く、人は現世で頑張って運命を切り開いて生きることができるではありませんか」
ハルシャの方に顔を向けて、ラージャシュリーが言った。耳に下げた耳當が小さく揺れる。
ラージャシュリーは鴨の子を拾って、黒猫の子を拾って、その命を救って長らえようとした。結果として黒猫はすぐに死んでしまったものの、ラージャシュリーとしては己の思った通りに行動している。ラージャシュリーは、今生きている現世で徳を積むような生き方を励んでいるのだろうか。
一歳だけとはいえ自分よりも若いラージャシュリーが、自分の生き様を既に見つけていて、その道を邁進している。
転じて、ハルシャ自身はどうだろうか。自分の生きる道は見つかっただろうか。ヴァルダナ王家に生まれた誇りと、第二王子なので王位を継ぐ機会が無いことの虚無感との狭間で動けなくなって、十四歳くらいの少年にありがちな悩みの沼にはまり込んでいるだけではないか。
ヴァルダナ朝は別名プシュヤブーティ朝ともいう。元はアショーカ王の時代から続く古い名家であった。更にはグプタ王朝の血も引いているという名門であった。
グプタ王家は、王侯や武士の階級であるクシャトリヤ階級ではなく、ヴァイシャ階級であった。元の階級の低さが引け目であったのか、グプタ王家では名門であるリッチャヴィ族の娘を娶った時に、得意顔で大々的に喧伝したくらいだ。
そのグプタ王家の血を引くということは、ヴァルダナ王家もヴァイシャ階級であった。
ハルシャがヴァルダナ王家に生まれた事実は死ぬまで変わらない。だがもしもヴァルダナ王家に生まれていなかったら、ハルシャには何も無かったのではないか。ハルシャという個人は何も持っていないし、何も成し遂げていない。
「なんというか、背負った子どもに道案内されたような気分ですが、その通り本生譚は、徳を積むことの大切さを謳っている、と思って受け止めてください。今からお話するのは、捨身飼虎の話です」
過去世に王子があった。王子はマハーサットワという名前だった。ある時、王子が園林に遊観に行った。奥に進んで行くと、その所に虎がいた。ちょうど子どもを産んで七日が経っていて、七匹の子どもも側にいた。子どもたちは親の周りを取り巻き、飢餓のためにやつれ衰え体は痩せ、まさに命も絶えんとしていた。
虎たちの様子を見て、マハーサットワ王子は考えた。
このままでは、母虎が子どもの虎を食らってしまうかもしれない。己の身体は無常であり、朽ち果てることを免れない。また身体は堅固ではない。この身体において無上の行為をして、生死の海中にて大橋梁を作りたい。またこの身体を棄てる時には、同時に病疾や百千の畏怖を棄てることになる。身体を捨離して、以て寂滅無上の涅槃を求め、長く憂患、無常の変異を離れたい。
王子は意を決して自己の身体を餓えた虎の前に投げ出した。
その時、大地は六種に振動し、太陽も震えた。天からは色々な華や諸々の妙なる香りが雨のごとくに降り注いだ。
虎はマハーサットワ王子の肉を食べ尽くし、骨だけを残した。
「本生譚は、その手の類似した自己犠牲の話が多いですよね。聞きなれてしまった部分もありますが、わたくしはそれこそが慈悲の大事さを繰り返し説いているのだと受け取っています」
論師の話を聞いてラージャシュリーとラージャー王子は納得している様子だった。が、ハルシャは少し違う受け取り方をしていた。
今の話に譬えるならば、ラージャシュリーが鴨の子を拾ってきた時の状況が疑問に思える。鰐に食われそうになっていた鴨の子を危ういところでラージャシュリーが救ったという話だった、と記憶している。だが、仏陀に匹敵するような徳を積むのならば、自分が率先して身を投げ出して鰐に食われる必要があるのではないか。
だが、それもどうなのだろうとも思う。自分が犠牲になったところで、親からはぐれた鴨の子が助かるわけではない。自分が食われた後、鴨の子もまた鰐の餌食になってしまう運命ではないか。
そして、自分が死んでしまえば、それ以降は何もできなくなる。黒猫の子を助けることも不可能になる。
ならば、ラージャシュリーが鴨の子を救った時には、どういう行動こそが正解だったのだろうか。世の事象の全てに正しい答えというものがそもそもあるものだろうか。
自己犠牲は尊い。だが、一回限りというのが限界だ。それも、本生譚の場合は転生して仏陀となるからこそ過去世の行動が尊ばれるものだ。
そう考えると、鴨の子を救ったことが、ラージャシュリーにとって最大限果たし得る慈悲の行動だったのかもしれない。鰐は救えなかったことになるが、そこまでは力が及ばなかったということか。
ラージャシュリーは自分が信じた道を進んでいるが、それはそれで間違いではない道なのかもしれない。先日は思わず否定的なことを言ってしまってラージャシュリーから嫌われかけてしまったが、今後はラージャシュリーが動物の子を助けようとした方針を肯定してもいいのかもしれない。
正解は分からない。だが、先日聞いた毒矢の譬えのように、何から何まで正解が分かってから行動を起こすのでは大概遅すぎるのだ。
捨身飼虎の教訓の受け取り方として、これが正しいかどうかは不明だし、恐らくは正しくないのかもしれない。が、ハルシャにとっては糧になったし、実になったような気がする。仏陀の献身は虎だけではなく、少年ハルシャの飢えも満たしたのかもしれない。
質問をしたのはハルシャだったが、他の二人は既に本生譚が何であるか知っているようだった。質問を発してから小さな羞恥心で少し頬が熱くなるのを感じたが、仏教に関する専門用語に関しては知らなかったとしても恥ではないと思い直した。
「仏陀の前世の物語のことです。要は、過去と現在の行為の因果関係を示すための教訓話ということになるのです。前世で徳を積んでいたからこそ、転生した後に悟りを開く仏陀になれた、ということになります」
「それって、なんか夢も希望も無い話のように思うんですが。だって、前世で徳を積んでいなければ立派な人に転生できないってことですよね。ということは、自分が立派になれるかどうかは、既に前世の時点で決まってしまっているということじゃないのですか」
ハルシャの意見に、ジャヤセーナ論師が顎鬚を撫でて少し俯いて考え込んだ。予想していなかった指摘だったらしい。
「お兄様、仏教は実践の教えです。現世で頑張って徳を積めば、次の転生先で良くなることができるということでもあります。前世で徳が多かったか少なかったは現世の自分には分かりようもありませんが、そんなことには関係無く、人は現世で頑張って運命を切り開いて生きることができるではありませんか」
ハルシャの方に顔を向けて、ラージャシュリーが言った。耳に下げた耳當が小さく揺れる。
ラージャシュリーは鴨の子を拾って、黒猫の子を拾って、その命を救って長らえようとした。結果として黒猫はすぐに死んでしまったものの、ラージャシュリーとしては己の思った通りに行動している。ラージャシュリーは、今生きている現世で徳を積むような生き方を励んでいるのだろうか。
一歳だけとはいえ自分よりも若いラージャシュリーが、自分の生き様を既に見つけていて、その道を邁進している。
転じて、ハルシャ自身はどうだろうか。自分の生きる道は見つかっただろうか。ヴァルダナ王家に生まれた誇りと、第二王子なので王位を継ぐ機会が無いことの虚無感との狭間で動けなくなって、十四歳くらいの少年にありがちな悩みの沼にはまり込んでいるだけではないか。
ヴァルダナ朝は別名プシュヤブーティ朝ともいう。元はアショーカ王の時代から続く古い名家であった。更にはグプタ王朝の血も引いているという名門であった。
グプタ王家は、王侯や武士の階級であるクシャトリヤ階級ではなく、ヴァイシャ階級であった。元の階級の低さが引け目であったのか、グプタ王家では名門であるリッチャヴィ族の娘を娶った時に、得意顔で大々的に喧伝したくらいだ。
そのグプタ王家の血を引くということは、ヴァルダナ王家もヴァイシャ階級であった。
ハルシャがヴァルダナ王家に生まれた事実は死ぬまで変わらない。だがもしもヴァルダナ王家に生まれていなかったら、ハルシャには何も無かったのではないか。ハルシャという個人は何も持っていないし、何も成し遂げていない。
「なんというか、背負った子どもに道案内されたような気分ですが、その通り本生譚は、徳を積むことの大切さを謳っている、と思って受け止めてください。今からお話するのは、捨身飼虎の話です」
過去世に王子があった。王子はマハーサットワという名前だった。ある時、王子が園林に遊観に行った。奥に進んで行くと、その所に虎がいた。ちょうど子どもを産んで七日が経っていて、七匹の子どもも側にいた。子どもたちは親の周りを取り巻き、飢餓のためにやつれ衰え体は痩せ、まさに命も絶えんとしていた。
虎たちの様子を見て、マハーサットワ王子は考えた。
このままでは、母虎が子どもの虎を食らってしまうかもしれない。己の身体は無常であり、朽ち果てることを免れない。また身体は堅固ではない。この身体において無上の行為をして、生死の海中にて大橋梁を作りたい。またこの身体を棄てる時には、同時に病疾や百千の畏怖を棄てることになる。身体を捨離して、以て寂滅無上の涅槃を求め、長く憂患、無常の変異を離れたい。
王子は意を決して自己の身体を餓えた虎の前に投げ出した。
その時、大地は六種に振動し、太陽も震えた。天からは色々な華や諸々の妙なる香りが雨のごとくに降り注いだ。
虎はマハーサットワ王子の肉を食べ尽くし、骨だけを残した。
「本生譚は、その手の類似した自己犠牲の話が多いですよね。聞きなれてしまった部分もありますが、わたくしはそれこそが慈悲の大事さを繰り返し説いているのだと受け取っています」
論師の話を聞いてラージャシュリーとラージャー王子は納得している様子だった。が、ハルシャは少し違う受け取り方をしていた。
今の話に譬えるならば、ラージャシュリーが鴨の子を拾ってきた時の状況が疑問に思える。鰐に食われそうになっていた鴨の子を危ういところでラージャシュリーが救ったという話だった、と記憶している。だが、仏陀に匹敵するような徳を積むのならば、自分が率先して身を投げ出して鰐に食われる必要があるのではないか。
だが、それもどうなのだろうとも思う。自分が犠牲になったところで、親からはぐれた鴨の子が助かるわけではない。自分が食われた後、鴨の子もまた鰐の餌食になってしまう運命ではないか。
そして、自分が死んでしまえば、それ以降は何もできなくなる。黒猫の子を助けることも不可能になる。
ならば、ラージャシュリーが鴨の子を救った時には、どういう行動こそが正解だったのだろうか。世の事象の全てに正しい答えというものがそもそもあるものだろうか。
自己犠牲は尊い。だが、一回限りというのが限界だ。それも、本生譚の場合は転生して仏陀となるからこそ過去世の行動が尊ばれるものだ。
そう考えると、鴨の子を救ったことが、ラージャシュリーにとって最大限果たし得る慈悲の行動だったのかもしれない。鰐は救えなかったことになるが、そこまでは力が及ばなかったということか。
ラージャシュリーは自分が信じた道を進んでいるが、それはそれで間違いではない道なのかもしれない。先日は思わず否定的なことを言ってしまってラージャシュリーから嫌われかけてしまったが、今後はラージャシュリーが動物の子を助けようとした方針を肯定してもいいのかもしれない。
正解は分からない。だが、先日聞いた毒矢の譬えのように、何から何まで正解が分かってから行動を起こすのでは大概遅すぎるのだ。
捨身飼虎の教訓の受け取り方として、これが正しいかどうかは不明だし、恐らくは正しくないのかもしれない。が、ハルシャにとっては糧になったし、実になったような気がする。仏陀の献身は虎だけではなく、少年ハルシャの飢えも満たしたのかもしれない。
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