ソールレイヴ・サガ

kanegon

文字の大きさ
上 下
2 / 28
■0995■

●峡湾の民

しおりを挟む
 どよめきが起きた。ノルウェーの地は比較的温暖な南西地方でも、土地が貧しく人口が少ない。寒さが厳しいフィヨルドの海岸沿いに点在しているのは、村と呼ぶのもおこがましいような小集落ばかりだ。そのようなノルウェーで「町」を造るというのは、若き賢者ソールレイヴでも想像し難い壮大な夢想であった。
「新たな都については、ハーコン侯を討ち倒した時からニード川の河口にて既に着手していてかなり進めている。そして、海賊王として、もっともっと強くなるためには、より強大な艦隊が必要だ。どんな凶悪な海賊船であっても蹴散らすことができるような巨大戦艦を建造する」
「きょ、巨大、戦艦だって」
 聴く者を圧倒する単語に、ソールレイヴは肝を潰した。
 ノルウェーの新しき支配者オーラヴ王は、今までの支配者とは器の大きさが違うかもしれない。
 北方では、荒くれ者の集団ヴァイキングが力を持ち、その頭領がやがて侯であるとか王であるとか称号を名乗るようになる。その王なり侯なりが死んだり倒されたりしたら、別の有力者が王となる。南の国では王位の世襲が一般的だが、北方では力こそが正義だ。
 ヴァイキングとはそもそも峡湾の者、という意味である。峡湾の民、あるいは峡谷の民というのは、普通の北方の民のことだ。つまり、普通の民のうち、力のある者が武装商人や海賊となったため、ヴァイキングという呼称が彼ら海賊たちの代名詞となったのだ。勇猛さと優れた航海術と戦いでの強さ。それがヴァイキングの力だ。
 力で支配者にのし上がった権力者は、女好きハーコン侯のように、己の欲望に走るのが普通だろう。
 新都も巨大戦艦も、ただの見栄や自己満足で造るのではない。交易を活発にし軍船の基地とするため、敵を倒して戦いに勝つため、そういった先の展開を見据えた上で、新たな王は必要な巨大事業を打ち立てているのだ。
 新たな時代の流れが来ている。いや、オーラヴ王が、新たな時代の流れを起こそうとしている。
「そしてもうひとつ。大きな強い国を造るためには、人々が心を合わせなければならない。そのために、このオーラヴ王に忠誠を誓う者は、古き神々の信仰を捨てて、キリスト教に改宗してもらう」
 ソールレイヴの胸から昂揚は消えた。大きく口を開いて、しかし言葉は出なかった。聞き間違いであってほしかった。
「宗教は一人一人の心の問題だ。だから、今この瞬間にすぐに改宗しろとは言わない。しかし、よく考えてほしい。南の諸国では、大部分がキリスト教の教えに帰依している。時代の流れなのだ。逆らっても奔流に呑み込まれて消えてゆくだけだ。俺は海賊団の首領だった頃に、イングランドで塗油を受けて改宗した。部下の者たちも、まだ全員ではないが、多くの者が既にキリスト教に改宗している。いずれはノルウェーの民全員が敬虔なキリスト教信者となるように宣教師たちに活動させる」
 勇士の国ウホルノの名が出た時の比ではない。大きな困惑が民会の男たちの間に染み渡っていった。ソールレイヴもまた顔に不安の色を貼り付けて、小動物のように周囲の顔色を窺っていた。
 オーラヴ王が言う古き信仰、つまりアースの神々の教えを捨てるなど、全く考えられなかった。ヘイムッダルの子らである峡湾の民の生活に密着している、いや、生活の一部ですらある。オージンやトール、フレイアや場合によってはロキなどといった神を信奉せずに、どう生きて行けというのだろうか。
 足元から、うすら寒さが這い昇ってくる感じだった。今はスカンジナヴィアの短い夏が終わったあたりなので、雪も氷も平地では積もっていない。岩肌がのぞいているというのに。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

夢占

水無月麻葉
歴史・時代
時は平安時代の終わり。 伊豆国の小豪族の家に生まれた四歳の夜叉王姫は、高熱に浮かされて、無数の人間の顔が蠢く闇の中、家族みんなが黄金の龍の背中に乗ってどこかへ向かう不思議な夢を見た。 目が覚めて、夢の話をすると、父は吉夢だと喜び、江ノ島神社に行って夢解きをした。 夢解きの内容は、夜叉王の一族が「七代に渡り権力を握り、国を動かす」というものだった。 父は、夜叉王の吉夢にちなんで新しい家紋を「三鱗」とし、家中の者に披露した。 ほどなくして、夜叉王の家族は、夢解きのとおり、鎌倉時代に向けて、歴史の表舞台へと駆け上がる。 夜叉王自身は若くして、政略結婚により武蔵国の大豪族に嫁ぐことになったが、思わぬ幸せをそこで手に入れる。 しかし、運命の奔流は容赦なく彼女をのみこんでゆくのだった。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

リュサンドロス伝―プルターク英雄伝より―

N2
歴史・時代
古代ギリシアの著述家プルタルコス(プルターク)の代表作『対比列伝(英雄伝)』は、ギリシアとローマの指導者たちの伝記集です。 そのなかには、マンガ『ヒストリエ』で紹介されるまでわが国ではほとんど知るひとのなかったエウメネスなど、有名ではなくとも魅力的な生涯を送った人物のものがたりが収録されています。 いままでに4回ほど完全邦訳されたものが出版されましたが、現在流通しているのは西洋古典叢書版のみ。名著の訳がこれだけというのは少しさみしい気がします。 そこで英文から重訳するかたちで翻訳を試みることにしました。 底本はJohn Dryden(1859)のものと、Bernadotte Perrin(1919)を用いました。 沢山いる人物のなかで、まずエウメネス、つぎにニキアスの伝記を取り上げました。この「リュサンドロス伝」は第3弾です。 リュサンドロスは軍事大国スパルタの将軍で、ペロポネソス戦争を終わらせた人物です。ということは平和を愛する有徳者かといえばそうではありません。策謀を好み性格は苛烈、しかし現場の人気は高いという、いわば“悪のカリスマ”です。シチリア遠征の後からお話しがはじまるので、ちょうどニキアス伝の続きとして読むこともできます。どうぞ最後までお付き合いください。 ※区切りの良いところまで翻訳するたびに投稿していくので、ぜんぶで何項目になるかわかりません。

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

処理中です...