夜の底を歩く

来条恵夢

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四、決めたことと決めなかったこと

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 寝不足の頭を抱えながらなんとか授業のノートを取り、短い休み時間はひたすらに眠りをむさぼり、つかさの学校生活の一日は過ぎようとしていた。
 考えてみれば中学校の三年間もこうやって過ごし、だから友人と呼べそうな人もろくろくいなかったのだと、思い出す。なんだそれを繰り返していればいいんだなと、まどろみながら司は安堵した。新しい生活が始まり、思っていたよりも混乱していたようだ。
 だがそれに、気付くのは少し遅かったようでもある。
「ねえ司、知ってる?」
 昼休み。さすがに昼食を抜くのはいやで、もそもそと夕飯の残りをつめ込んでいた司の対面で、相変わらず可愛らしいルナが、そう口を開いた。こちらの昼食は、コンビニエンスストアのパンだ。
 ルナは、昨日の病院でのことには触れず、それまでと変わらずに声をかけてきていた。短い休み時間は放っておいてくれるものだから、突き放すに突き放せず、なし崩しに昼を共にしている。
 宮凪みやなぎは、教室から姿を消している。司が気付いたときにはいなくなっていたが、食堂にでも行ったのだろう。
「何を?」
 笑顔のルナにいくらか素っ気無く聞き返すと、あのね、と、気にした風もなく先を続けられる。
「図書室。休み時間ごとに人が詰め掛けてたんだけど、九重ここのえ先生が追い払っちゃったの」
「え?」
「ここは本を読んだり探したりするために来るところだから、話し相手がほしいなら友達かスクールカウンセラーのところに行け、って」
「…へえ」
 中学のときにはそれはなかったな、とつぶやくと、ルナも、こくんと頭を落とした。
「他の子も言ってた。なんかちょっと…」
「冷たくなった?」
「ううん。優しいことは優しいんだって。でも、怖くなったって。読書部の人たちは、そう?って首かしげてたけど。本のことで質問に行ったりすると、ちゃんと親切にこたえてくれるけど、って」
「へえぇ…」
 昨日のあれで何か心境の変化があったのかなと、これは口には出さずに思う。
 それにしても詳しいなと、司はルナを見つめた。今日の午前中にあった出来事だろうに、既に把握しているばかりか、部外者に事情聴取まで済ませている。そして読書部には、やはり入部するつもりだろうか。
 司の視線に気付いたルナは、かすかにかげりのはしる微笑を浮かべた。
「やっぱりね、集めちゃうの。すぐに対応できるように」
「特技を恥じることはないと思うけど? そんな風にしたいと思ったって、できない人も多いだろうし。むしろ、誇ってもいいくらいじゃない?」
「――ありがとう」
 にこりと、笑顔が戻る。
 だからこういうのがまずいんだろうに、と自分に呆れる。無闇と懐かせて、いいはずがない。
 自力で前に進めるなんて十分強いじゃないかと司は思うが、そこまでは口にしなかった。少し、羨ましくもある。
 五百ミリリットル紙パックのアップルティーを細いストローで吸い上げながら、あ、そうだ、とルナは顔を上げた。
「九重先生も知ってるみたいだよ、『夢戦ユメイクサ』」
「……は?」
 思わず、間の抜けた声が出る。顔もきっと、変なことになっているだろう。
 ルナは、それらを笑うことなく、少し不思議そうに小首を揺らす。
「気付かなかった? 新着のところに、置いてあったの。だからあたし、懐かしくなって引っ張り出してきて――司?」
「マイナー好きが随分いたもんだ」
「司だってそうじゃない」
 ついつい強張った顔を、全精力を注ぎ、なんとか常態に戻そうと努力する。ルナが笑ったところを見ると、成功したようだ。
 それでも、昨日に続いて何かしらの空気は読み取ったのか、ルナがそれ以上その話題を続けることはなかった。いくつかの雑談をやり取りしながら、さてどうしたものかと考えつつ、弁当を片付ける。
「図書室行って来る」
「いってらっしゃーい」
 まだ完全には食べ終わっていないからか、一緒に来るつもりはないようで、のんびりと手を振って見送る。司の感情を、正確にではないにしても読み取ったのかもしれない。
 そこかしこに生徒の姿のある廊下を黙々と通り抜け、特別教室四階を視聴覚教室と分け合った図書室に辿たどり着く。なるほど、全員が去ったわけではないだろうが、図書室は幾分、静けさを取り戻していた。
 考えてみれば、こうやって図書室に来るのは入学式の日以来ではないだろうか。
 入って左手の、新着図書コーナー。白い背表紙の文庫を探した司は、だが、見当たらずに据わった目で図書室を眺め回した。
 入り口にややずれて向かい合うように設置されているカウンターには、学年章からすると一つ上の生徒が座っている。閲覧席には、課題でも出たのか予習か、ノートを広げている者が数名。声を潜めて雑談している者もいる。書架に本を探す者は、司の位置からでは一人も見当たらなかった。
 ここに至って司は、少し躊躇ちゅうちょした。
 本が置かれたままなら、とりあえず自分で借り出してしまおうと思っていた。校内では目立つから、文句を言うのは後のことだ。しかし、見当たらない。誰かが借りていってしまったならいいが――いや、よくはないが手の打ちようがない。だが、新着のコーナーにないからといって、借り出されていると判断していいものか。
 かといって、貸し出し中ですかと確認するのもどうか。できることなら司は、今更あの本とは、一切の縁を作りたくない。
 そうやって考えるうちにも、司の中には焦燥しょうそうつのる。誰かがあれを読んでいる、と考えると鳥肌が立つ。できることなら一冊残らずかき集め、絶対に開かない金庫の中にでも放り込んでしまいたい。
 だが。
 何故そこで、燃やしてしまいたいと思わないのか。何故、重版を承知したのか。
 気付いてしまった疑念に、司は立ち尽くす。途方に暮れていた。
「あっ、ごめんなさ…」
 横合いからの軽い衝撃と謝罪の声。
 こちらも謝りながら横を向いた司は、同じように本を眺めていたらしい宮凪と目が合い、咄嗟とっさに言葉が出なかった。先に口を開いたのは、宮凪のほうだ。
「…見てないなら、のいてくれない」
「え。あ。ごめん」
沖田おきたさん」
「はい?」
 戸惑い、もう教室に戻ろうかときびすを返しかけた司は、静かに呼び止められて再度宮凪に視線を戻した。
 長い真っ直ぐな髪を下ろし、化粧っ気がないのに思わず見とれてしまう容姿と雰囲気は、どこか神秘的な雰囲気をかもし出し、生半可なまはんかには立ち向かえない感すらある。彼女が本当にいじめられていたとしても、誰も正面切っては動かなかっただろうと思ってしまう。
 宮凪は、司が視線を向けると、それから逃れるようにややうつむいた。
「…もう一度だけ、話したいの。放課後、昨日の喫茶店でいいから…来てもらえない?」
「答えは変わらないけど、それでも?」
「ええ」
 よろいを脱ぎ去ったかのように、今日の宮凪は大人しい。しんの強さはまだ見受けられるが、はかなげですらあって、どうにもあやうい。
「わかった」
 短く応え、背を向ける。
 時計を見るとそろそろ予鈴だ。授業の前にショートホームルームがあるから本格的な遅刻の心配はしなくていいが、真っ直ぐに戻るかと歩を進める。
 中学時代もそうだったが、受験を学校の勉強だけで済ませてしまうつもりの司にとって、授業は欠かせない。その分予習は確実にこなすし、授業も、半ば夢の中でも耳を傾ける。
「あっ、沖田さんだ」
 図書室を出てすぐ、丁度階段を上ってきたところで声をかけられ、そちらに視線を向ける。薄い冊子を抱えた男子生徒が立っていた。
「えーと……………」
「そ、そこまで考えても思い出せないほど印象薄かった、俺?」
「いや、覚えてるんだけど。ごめん、印象深すぎてピラしか思い出せない。本名何だった? 平井? 平田? 平山?」
「二番目。いいよ、ピラで」
 あっさりと笑って言われる。抱えているものをよく見れば合宿中に回収された問題集で、いくらか持とうかと申し出た。
「いやいや、これくらい格好つけさせてよ。これでも男だからね」
 ほっそりとした小柄な体つきは、女の子には見えないが、男らしさからも多少遠い。しかし、それを知りながらさらりと流してしまえるところは、ちょっとかっこいい。
 このくらいの年齢では稀有けうとも言える良さだが、果たして、それに気付く同年代はどれだけいるだろう。
 二人は、教室までの短い距離を肩を並べて歩き出した。
「図書室? 本好きなんだ」
「ああ、うん。ちょっと前まで近寄りがたかったけど、落ち着いたってルナが言ってたから」
「相変わらずだなあ、あいつも」
 少しばかり引っかかりを憶え、司は、平田の顔を盗み見た。つるんとした顔からは、何も読み取れる気がしない。そうといい勝負だ。
「仲いいね、ルナと」
「腐れ縁だよ」
「でも、高校くらいになると行き来ない幼馴染も多いって聞くし。そういうのないから、ちょっと羨ましい」
「いいことばっかじゃないけどね」
 ありふれたやり取りの中にはわずかに苦いものが感じられたが、更に突っ込む前に教室に辿り着いてしまった。元々、そう距離はなかったのだ。
 もしかして、と、司は思う。
 平田は、可南子かなこの件でルナが傷つき、今に至る選択をした全てを見守ってきたのかもしれない。その間に何かを変えようとしたのか黙っていたのかまではわからないが、何かしら、思うところはあるのだろう。
 いいな幼馴染、という思いは簡単にだからこそ遠ざけなければいけない現状につながり、苦い溜息が零れる。
 ショートホームルームで、既にお約束となってしまった佐々木からの不審者注意の言を聞き流し、残る授業を受けると、放課後がやってくる。
 宮凪は即座に姿を消し、司もそれにならおうとした。
「沖田さん、ちょっといい?」
「はい?」
 にこやかに笑む平田に声をかけられ、つい振り返ってしまう。ルナも、ひょこひょこと近付いてきた。二人とも、今週は掃除当番ではないらしい。司や宮凪もそうだ。
 とりあえず掃除の邪魔になるから、と、三人は食堂に移った。駐輪場も近いから、司としても異論はない。
 特別教室棟と一般教室棟からなる校舎の横におまけのように建つ食堂は、わずかながらもアイスやジュースを置いているため、昼時以外でも多少は生徒の姿が見られる。
 司がこの場所に足を踏み入れるのは受験のとき以来だが、平田とルナは何度か訪れていたのか、内部を見回す素振りもない。がらんとした印象を、司はいだいた。それでも、昼食時は席を探すのも困る程度には混んでいるらしい。
 自販機のカップジュースを三つ、平田がそれぞれの前に並べた。
「いくら?」
「ちょっとした賄賂わいろなんで、気にせずどうぞ」
「そんなこと言われたら、逆に飲めないんだけど。何か頼みごと?」
 そう言いながら、司は手を伸ばす。好みを訊かれ、頼んだのはホットココアだった。匂いも甘い。
 つられてか伸びたルナの白い手は、ロイヤルミルクティーのカップを引く。平田が何を選んだのかはわからないが、黒色をしているところを見ると、コーヒー系統だろう。コーラにしては泡がない。
 うん、と、少年は素直に頷いた。
「新聞作りって興味ない?」
「は?」
「新聞部に入ったんだけど、部員一人だとさすがに活動のしがいがなくってさ」
「新聞部なんてあった? 部活動紹介のとき、聞かなかった気がするけど」
 良くぞ気付いてくれました、と言いたげに、平田は眼を輝かせる。
「うん、正解。なかった。でも、部としてはあったんだ。この何年か部員がいないらしくって、名前だけ。予算も組まれてない」
「…それ、意味なくない?」
「部を立ち上げるには、五人以上の部員と、顧問になってくれる先生が必要になる。でも、新聞部ははじめから部の形はあるんだ。顧問も、ちゃんと割り振られてる。予算だって、申請すればさし当たって今年は、こういったときのために組まれてる中から出してもらえる。問題は、部員だけなんだ」
「いやあ…それ以外にも色々山積みっぽいけどそれ…部員がいたって、記事の書き方とかどういうペースで何を出すとか、そういうのどうするつもり?」
 いよいよ眼を輝かせ、平田は身を乗り出してくる。しまった、こういうのは突っ込まずに聞き流せばよかったんだ、と、気付いたときにはもう遅い。
 隣でルナが、小さく笑ったような気がする。
「そういうのも、一つ一つ決めていきたいんだ。別に、誰かを感動させたいとか啓蒙けいもうしたいとか、問題提起をしたいとか、大層な野望はないんだ。ただ、せっかくの高校生活で、仲間でわいわいやりたいと思ってね」
 青春だ、と、司は心の中でつぶやいた。まさかそれが波及してくるとは思ってもみなかった。
「一人でやるなら、ネットがあるし十分なんだけど、やっぱり学生の特権って仲間だからさ」
「ピラ、サイトやってるの。何だっけ、宵闇散歩? ほら、東雲しののめで夜になると歩き回ってるっていう女の子いるでしょ? 追っかけなんだよね」
 半ば呆れ、半ばからかう口調のルナの言葉に、司は内心激しく動揺した。
 入学式に寝坊した原因で、夜久市やくしの元狩人かりゅうどにも知られていたサイトの運営者がこんなにも身近に。文章があまりにしっかりしていて細かなところも時間を使って検証していたため、てっきり大学生かひまな社会人かと思っていた。
 まさか、高校生。しかもクラスメイト。それによく考えてみれば、サイトの文章の大半を書いたとき平田は、中学生だろう。
 司がほうけている間にも、平田はなんだか、熱弁を振るっている。高校生活の短さか何かをいているようだ。それはいいが、現役高校生の癖にそういうことを語られると、年齢を疑いたくなる。実は、一度社会人になってから高校生活をやり直していないか。
 そんな妄想を、司は心の中で笑い捨てた。代わりに、待て、とてのひらを突き出してそれらを遮る。
「仲間を持ちたいなら、手っ取り早く運動部に入ればいいと思う。いや、文化部だって、吹奏楽や演劇部だってある。それに、言っちゃなんだけど、声をかけられた理由がわからない。オリエンテーリングで一緒に飯盒はんごういたくらいしか記憶がないんだけど?」
「運動部は、どうもりが合わなくて」
 ぽつりと返す声は、そこだけ感情が抜け落ちているかのようだった。
 そうして司に、笑いかける。
「そのあたりは、気になるならアイに訊いて。今聞きたいなら、話すけど。沖田さんに声かけたのは、簡単に言えば、推薦があったから」
「誰…て、あんたか」
「えへ」
 司の視線を受け、これは意図して、可愛らしく笑むルナの姿があった。
「迷惑なら断っていいよ? 司がいれば楽しいかな、と思っただけだから」
「えーと、てことは、ルナは入部してる?」
「ううん、まだ」
 いぶかしげな司に、ルナは苦笑を返した。平田も同様で、何、と、司は眉根まゆねを寄せた。
 らすつもりはないのか、あっさりと、ルナは一本指を立てた。
「人って、噂話が好きなものなの。うっかりピラと噂が立っちゃったら、好きな人ができたときが大変だよ」
「はあ…そういうもの?」
「そういうもの」
「ふうん」
 頭ではわかるものの実感のわかない司は、自信を持って断言する二人を眺め、何とも不思議な気分になる。
 この二人と一緒に過ごすのは楽しいだろうなと、心が少しばかり動いた。だが動いた先から、なけなしの自制がはたらく。
「悪いけど、他当たってくれる?」
 思っていた通りの口調で切り出すことができ、内心、安堵する。
 立ち上がると、ルナと平田は残念そうに司を見つめた。それに、苦笑を返す。仲良くなりたいからこそ親しくできないというのも、面倒なものだ。
「じゃ、帰る。ごちそうさま」
 言いながら百円玉を一枚置いて、イス一つを占領していたかばんを引き上げる。二人がついて来る様子はなかった。
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