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「仁さん、今日は帰ってきます?」
「んー。帰…らないかな。悪いな、いつも」
「やだなー、気にしないでくださいよ」
じゃあな、と言って仁さんは、右手を曖昧に上げるいつもの挨拶をして家――と言っていいのかもわからない、店舗用の貸しビルを後にした。
僕たちは、このビルで菓子屋をやっている。はっきりいって、客なんてほとんどいない。商品の大半は、賞味期限が切れる前に俺か仁さんが食べるか、誰かにあげる。そうでなければ、焼却炉行きだ。
「さあてと、店はどうしよ――あーあ。これ忘れてどうするんだよ、あの人は」
振りかえったテーブルの上には、小さなケースに入ったままの小さなブローチ。
恋人への贈り物だってのに、何をやってるんだか。
軽く溜息をついて、仁さんの後を追った。今なら追いつけるだろう。
――結果からすれば、すぐに仁さんに追いつけると思ったのは間違いで、道を出た途端にぶつかりかけたお年寄りの荷物を持って、二時間ほどさまよった後、仕事を二件ほど片付けてようやく、手が空いたのだった。
「えーっと…たしかこれ、見に行くって…」
映画館の前で人探しというのも難しい。できるなら、向こうから見つけて欲しいところだ。
こうも時間が経つと、気付いた仁さんが恋人に一言断って取りに戻っているとも考えられるけど、戸締りをしてきた店に戻る閑もなく、ずっと僕が持っていたのだから探すよりない。
まあ、仁さんのことだから、未だ忘れてきたことに気付いていないというのも大いに考えられるのだけど。
例えば、結婚指輪を渡すとき。何週間も持ち歩いて渡せずに、偶然相手に見られてどうにか渡せる。
仁さんは、そういう人だ。
「お? 佑介じゃないか。お前もこれ見る気になったのか?」
「仁さん!」
呑気な仁さんに苦笑する。その隣では、僕も何度か会ったことのある仁さんの恋人が、優しそうに微笑んでいた。
お似合いの二人だと思う。
「ちょっと用事が…あ、留美さん、ちょっと仁さん借りていいですか? すぐ返しますから」
「おいおい、俺は物か?」
「いいからいいから」
仁さんを引っ張って、彼女からあまり見えないだろうところまで移る。
顔を上げると――仁さんは、あの世代にしては珍しく背が高かったから――そこには、真剣なカオがあった。
「――見つかったのか?」
「いえ、違います。大丈夫ですよ、仁さん」
「じゃあなんだっていうんだ」
「これ。忘れてったでしょう。今日渡すんじゃなかったですか?」
「あ――。すまん、ありがとう」
少し顔を赤くして、生真面目に頭を下げる。気にしない気にしない、と俺は返して、その場を離れた。
離れたところで、仁さんが彼女に何か言っているのが見えた。そのまま勢いでブローチを――と思ったけど、やっぱり無理だった。二人が、映画館に消えていく。
そして僕の後ろには、人が立った。雑踏だから、珍しいことではないけれど。
「自分が何をやっておるか、わかっておるのか?」
「ああ――ロクダイさん、でしたっけ? お久しぶりです。観月会以来ですよね?」
くるりと後ろを向くと、なかなかお目にかかれない着流し姿の若者――と言っても、見た目は僕よりも年上なのだけど――が立っていた。
「お主――」
「場所、変えましょう。いくら空間変えるって言っても、目立っちゃいますよ、ここじゃあ」
そういって僕は、ロクダイさんに背を向けると、そのまま歩き出した。
着いた先は、住宅街の中の空き地。日の沈むのが早い季節、この時間なら、却ってこういうところの方が人目につきにくい。そう判断してのことだった。
「もう一人いますよね? 隠すつもりもないなら、出てきてくださいよ。気になるじゃないですか。えーっと…彰さん? 合ってますか?」
「よく喋るね」
さらりと、天使のような愛らしい子どもの姿には似合わない冷たい口調の一言とともに、彰さんが姿を現す。手には、青く細長い棒を持っていた。今では、ロクダイさんの手にも同じ物が握られている。
「ああ、僕も驚いてますよ。てっきり、何も喋れなくなると思ってたんですけどね。どうも、緊張したら喋るタイプだったらしいです」
「ふうん。そんな風には見えなかったけどね?」
凄みのある笑顔。
今まで、観月会なんかで見たのとは随分と印象が変わる。あのときは、得体の知れない感じはあっても、無邪気な、子どもそのものだった。
僕も、中空から二人が持っているのと同じ棒を取り出した。
「お主は――覚悟を決めておるのじゃな」
「そんなもの、始めから決めてましたよ。あなたたちだって、そうでしょう?」
――笑った、僕の笑顔はどう見えただろう。
二人は、夜道を歩いていた。
その手には、もう棒は握られていない。暗闇に沈んだ二人は、無言だった。
多くはあることではなくても、全くなかったというわけでもないらしい。最低二人一組が原則の決まりの中で、その二人が口裏を合わせ、「この世」に干渉したというのは。
しかしそれが何の慰めになるわけでもなく、相棒が「この世」の住人の恋人をつくるのを手助けし、まるで――いや実際、その通りだったのだろうが――時間稼ぎのためのように抗ったことが、滅びることを受け入れて、恋人に別れを言ったさまが、忘れられるわけもなく。
「ああいう選択も、あるんだね―…」
「ああ」
けれど、いつかは破綻が来る。
ほつれた「弱さ」から、「死者」となる滅びが訪れるか。今回のように、それよりも先に仲間が滅ぼしに来るか。――どちらも、決定的な破綻には違いない。
「つくづく、変な人生だね」
「…そうじゃな…」
スモッグで、星どころか月さえも見えない夜だった。
「んー。帰…らないかな。悪いな、いつも」
「やだなー、気にしないでくださいよ」
じゃあな、と言って仁さんは、右手を曖昧に上げるいつもの挨拶をして家――と言っていいのかもわからない、店舗用の貸しビルを後にした。
僕たちは、このビルで菓子屋をやっている。はっきりいって、客なんてほとんどいない。商品の大半は、賞味期限が切れる前に俺か仁さんが食べるか、誰かにあげる。そうでなければ、焼却炉行きだ。
「さあてと、店はどうしよ――あーあ。これ忘れてどうするんだよ、あの人は」
振りかえったテーブルの上には、小さなケースに入ったままの小さなブローチ。
恋人への贈り物だってのに、何をやってるんだか。
軽く溜息をついて、仁さんの後を追った。今なら追いつけるだろう。
――結果からすれば、すぐに仁さんに追いつけると思ったのは間違いで、道を出た途端にぶつかりかけたお年寄りの荷物を持って、二時間ほどさまよった後、仕事を二件ほど片付けてようやく、手が空いたのだった。
「えーっと…たしかこれ、見に行くって…」
映画館の前で人探しというのも難しい。できるなら、向こうから見つけて欲しいところだ。
こうも時間が経つと、気付いた仁さんが恋人に一言断って取りに戻っているとも考えられるけど、戸締りをしてきた店に戻る閑もなく、ずっと僕が持っていたのだから探すよりない。
まあ、仁さんのことだから、未だ忘れてきたことに気付いていないというのも大いに考えられるのだけど。
例えば、結婚指輪を渡すとき。何週間も持ち歩いて渡せずに、偶然相手に見られてどうにか渡せる。
仁さんは、そういう人だ。
「お? 佑介じゃないか。お前もこれ見る気になったのか?」
「仁さん!」
呑気な仁さんに苦笑する。その隣では、僕も何度か会ったことのある仁さんの恋人が、優しそうに微笑んでいた。
お似合いの二人だと思う。
「ちょっと用事が…あ、留美さん、ちょっと仁さん借りていいですか? すぐ返しますから」
「おいおい、俺は物か?」
「いいからいいから」
仁さんを引っ張って、彼女からあまり見えないだろうところまで移る。
顔を上げると――仁さんは、あの世代にしては珍しく背が高かったから――そこには、真剣なカオがあった。
「――見つかったのか?」
「いえ、違います。大丈夫ですよ、仁さん」
「じゃあなんだっていうんだ」
「これ。忘れてったでしょう。今日渡すんじゃなかったですか?」
「あ――。すまん、ありがとう」
少し顔を赤くして、生真面目に頭を下げる。気にしない気にしない、と俺は返して、その場を離れた。
離れたところで、仁さんが彼女に何か言っているのが見えた。そのまま勢いでブローチを――と思ったけど、やっぱり無理だった。二人が、映画館に消えていく。
そして僕の後ろには、人が立った。雑踏だから、珍しいことではないけれど。
「自分が何をやっておるか、わかっておるのか?」
「ああ――ロクダイさん、でしたっけ? お久しぶりです。観月会以来ですよね?」
くるりと後ろを向くと、なかなかお目にかかれない着流し姿の若者――と言っても、見た目は僕よりも年上なのだけど――が立っていた。
「お主――」
「場所、変えましょう。いくら空間変えるって言っても、目立っちゃいますよ、ここじゃあ」
そういって僕は、ロクダイさんに背を向けると、そのまま歩き出した。
着いた先は、住宅街の中の空き地。日の沈むのが早い季節、この時間なら、却ってこういうところの方が人目につきにくい。そう判断してのことだった。
「もう一人いますよね? 隠すつもりもないなら、出てきてくださいよ。気になるじゃないですか。えーっと…彰さん? 合ってますか?」
「よく喋るね」
さらりと、天使のような愛らしい子どもの姿には似合わない冷たい口調の一言とともに、彰さんが姿を現す。手には、青く細長い棒を持っていた。今では、ロクダイさんの手にも同じ物が握られている。
「ああ、僕も驚いてますよ。てっきり、何も喋れなくなると思ってたんですけどね。どうも、緊張したら喋るタイプだったらしいです」
「ふうん。そんな風には見えなかったけどね?」
凄みのある笑顔。
今まで、観月会なんかで見たのとは随分と印象が変わる。あのときは、得体の知れない感じはあっても、無邪気な、子どもそのものだった。
僕も、中空から二人が持っているのと同じ棒を取り出した。
「お主は――覚悟を決めておるのじゃな」
「そんなもの、始めから決めてましたよ。あなたたちだって、そうでしょう?」
――笑った、僕の笑顔はどう見えただろう。
二人は、夜道を歩いていた。
その手には、もう棒は握られていない。暗闇に沈んだ二人は、無言だった。
多くはあることではなくても、全くなかったというわけでもないらしい。最低二人一組が原則の決まりの中で、その二人が口裏を合わせ、「この世」に干渉したというのは。
しかしそれが何の慰めになるわけでもなく、相棒が「この世」の住人の恋人をつくるのを手助けし、まるで――いや実際、その通りだったのだろうが――時間稼ぎのためのように抗ったことが、滅びることを受け入れて、恋人に別れを言ったさまが、忘れられるわけもなく。
「ああいう選択も、あるんだね―…」
「ああ」
けれど、いつかは破綻が来る。
ほつれた「弱さ」から、「死者」となる滅びが訪れるか。今回のように、それよりも先に仲間が滅ぼしに来るか。――どちらも、決定的な破綻には違いない。
「つくづく、変な人生だね」
「…そうじゃな…」
スモッグで、星どころか月さえも見えない夜だった。
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