回りくどい帰結

来条恵夢

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 知った後ろ姿に声をかけようかと迷っていると、思いがけず後ろからなかば抱き着かれ、たたらを踏む。それなりの人込みなので、誰にもぶつからなかったことをめてほしいような気分になった。

「セツ君何してるの?」
「…先に普通に声をかけてくれないか」
「えーだってそれじゃ面白くないし」
「求めてない」

 顔を見なくても誰かは判るが、どうにか背中から引きはがして真正面から顔を突き合わせる。予想にたがわず、知った顔だった。嬉しげに微笑んでいる。
 雪季も、意図せず微苦笑を返す。

「ひさしぶり」
「その割に驚いてもくれないってどうなのかなーいやセツ君らしいけどさ。ていうか何見て…うわ目ぇ合った」

 いくらかひるんだ言葉に視線を向けると、先ほど見たのと同じ場所で一人の男が呆気に取られたかおをしていた。折角細身のスーツを着込んでいるのに、表情のせいでいささか間抜けに見えてしまう。
 間には、まだ十数歩ばかりの距離がある。

「アキ、あの人知ってるんだった?」
「あたしにそれ訊く?」

 情報屋と名乗ってはばからない明音アカネは、再び雪季セッキに抱き着くように胸を張る。確かに聞くだけ無駄だった、と、雪季は頭をいた。
 気配を感じて視線を戻すと、何故か結構な勢いでこちらに向かってくる姿が見えた。反射的に、動きやすいように身構えてしまう。
 肩をつかまれたときに投げ飛ばさなかったのは、自制の勝利だ。

「彼女? 彼女か?! 彼女できたのかおめでとう!?」
「…近いです、谷崎さん」

 つばが飛んで来そうで顔をそむける。ここでも押されて、どうにか踏ん張った。下手をすれば、背中に貼りついている明音ごとひっくり返ってしまいそうだ。
 とりあえず、通行の邪魔だからと隅に寄る。

「お連れの方、良かったんですか?」
「ああ、回収の途中。一人で行かせたから問題ない。で、雪季の彼女?」

 雪季が声をかけるのをためらった理由を簡単に投げ捨てて、進士シンジは興味深々といった様子を隠そうともせず、にこやかに明音に詰め寄る。近い、と、とりあえず引き離しておく。
 明音は、一度驚いたように瞬きして、けらけらと笑い出した。

「残念、今は違います。あなたは、セツ君のおじさんとか? 親戚?」
「いや全然そんなのじゃないけど。…ん? 今は?」
「元カノ」
「え。ふられた? ふった? もったいねぇ」
「あはははは、ありがとうございます」

 進士のテンションが高く、明音もそれに合わせてか上げているので、間に挟まれた雪季としては何とも言えない気分になる。一体、今何を見せられているのだろうか。
 もうこのまま帰ってしまおうか、と、腕時計の文字盤をちらりと見て考える。
 ついて来なくていいと言われてアキラを送り出したところなので、あとは、車で家に引き上げてしまって問題ない。迎えに来て、と呼びつけられる可能性はあるが、今帰れば夕飯を済ませて多少くつろぐくらいの時間はあるだろう。

「それじゃあこれで」
「なにがだ」
「これでって何」

 そっと身を引こうとした雪季の、両腕が捕らえられる。華のある女性と中年に差し掛かりつつある男とに挟まれ、妙な絵面だろうなとひっそりとため息を押し殺した。

「…なんでそう躊躇ためらいなくしがみつけるんですか」
「ん? いや、目の前にあるから」
「答えになってない」
「ちょっとセツ君、可愛い女の子に抱き着かれてその反応失礼じゃない?」

 この二人を一度に相手にするのは間違いなく疲れるだろうなと他人事のように思ってからから、自分がその立ち位置にいることに気付いて、雪季はげんなりとした。偶然間が悪かったのか、自業自得なのか、微妙なところだ。さっさと帰ればよかった。
 それで?と言うように、両端から無言で促され、そういえば初対面なのかと改めて気付いた。明音も、一方的に知っているだけだったのだろう。とりあえず手を振りほどいて、てのひらで明音を示す。

間宮まみや明音。雫石シズクイシの後継者の幼友達です。今…院生だった?」
「正解。民俗学をやってます」
「こちらは、谷崎進士さん。今は古本屋の店主で闇金だか街金だかの事業主」
「はじめまして」

 にこりと整えられた明音の笑顔は完全に余所行きで、だが、進士は呆気に取られたように目を見開いている。明らかに、見とれているのとは違った反応だ。明音が、笑顔のままに首を傾げてみせる。
 進士が唐突に、雪季の胸ぐらをつかんで更に路地の奥へと引きり込んだ。

「おまっ、雫石って、なんで!?」
「知ってるんですね」
「そら知ってるわ、天下のSIZUKUグループだろ、後継者って小学生や中学生の頃から経営に噛んでるっていう空恐ろしい…待て、幼なじみ? …御庭番おにわばん?」
「ちょっとセツ君、そっちにだけ渡す情報多くない? 不公平ー」

 ひょいと、わざわざ距離を置いた明音が無造作に詰めてくる。
 進士は、できるなら雪季を楯にしたかっただろうが、年齢差にでも思い止まったのか、しかし背後を振り返ろうとはしない。暗くてはっきりとは見えないが、項垂うなだれているのか、頭の位置がやや低い。
 そんな進士越しに、雪季は言葉を投げる。

「アキはもう知ってるんだからいいだろ」
「そういう問題じゃないでしょ。ひいきずるい」
「思い込みで文句言われても」

 適当に言葉をやり取りしていたら、進士がぼそりとつぶやきを落とした。

「……お前の人脈怖い」
「大物はそのアキの幼友達と…あと一人くらいですよ」

 が思い浮かんで言葉がこぼれる。
 ただその場合、雪季と李をつないだのは秦野ハタノと英のどちらになるのだろう、とも思う。直接は英だが、李は以前から秦野を通して知っていたようだった。
 ぼんやりと考えていると、進士がしがみつく勢いで身を寄せて来ていた。明音から距離を取りたいのだろうが、そちらはぴったりと進士の後背こうはいを取っている。

「待てその一人が怖い。いいいいいい、知りたくない、俺あくまで一山いくらの一般人だからな?!」
「あれだけ見事に組織運営しておきながら、ただの一般人はちょっと逃げすぎじゃないですか? 解体まで、本当にお見事でしたよね」
「…まじで御庭番か」

 ようやく観念したのか、雪季から手が離される。明音に向いたので、もう、雪季には顔が見えない。

「御庭番?」
「雫石のところの子飼いの情報屋ってのは話に聞いたことはあったが、まさかこんなに若いとはな」
「ついでに美人、とは言ってくれないんですか?」
「美人ってよりは可愛い系だろ」
「………セツ君この人何」
「うん?」

 今度は明音が進士越しに、何故か助けを求めるような視線を投げかける。雪季は、短く考え込んで言葉を送り出した。

「…結構たちの悪い人たらし」
「やっぱり!」
「はぁ?!」

 それぞれの反応を眺めながら、いつになったら帰れるだろうと雪季はため息を落とす。
 狭い路地の背後はどうやら行き止まりのようで、出口は二人にふさがれている。袋小路に閉じ込められた猫はこんな心境だろうかと、気付けば思考を遊ばせていた。
 明音の興味を察して、まだ終わらないだろうとの予想からだった。
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