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友人
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「あの子は、雪季の前の仕事のことは知ってるのか?」
「…知らない」
「なるほど」
ブランデーのグラスを揺らして、英は、へらりとした笑みを保っていた。雪季は、熱燗の杯を一息に干す。
つまみには、コンビニで買った焼鳥を酒を加えて温め直したものとキャベツ、結愛からおすそ分けしてもらった茹でピーナッツ。夕飯を麺で済ませたせいか小腹が空いて、焼きおにぎりも追加した。
明日も仕事はあるので、ほどほどにしておかなければと思うものの酒が進む。
「調べてたんだろう。知っていると思っていた」
「あー…葉月が止めてたっぽいな。あの漫画、葉月の部屋で見たことある」
「お前…未成年にはさすがに」
「手は出してない! 葉月ちょくちょくリビングで眠り込むから部屋まで運んだだけ! むしろ俺いい奴だろ!?」
本当かとにらみつけるが、顔色からはさっぱり読めない。しかしそのあたり何かあれば、笹倉あたりが騒ぐだろう、とも思う。
いささか乱暴にグラスを傾けた英は、次いで、焼きおにぎりにかじりついた。
「元から知ってたのか、雪季を調べてて興味を持ったのかは知らないけど。まあ、俺に教えてくれなかった理由は大体想像はつく」
「へえ」
笑みを消して、英は真っ直ぐに雪季に視線を向けた。片手に焼きおにぎりを持ったままなのが間抜けだが、逆に妙な凄みすら漂う。
「俺が、彼女を担保に君に無理強いさせたらまずいと思ったんだろうな。漫画家だろう。例えば、利き腕…念のために両方とも、使えないようにするとか。普通に、体を傷つけるとか、そういったこと」
雪季は、目が据わるのを自覚した。さらりと話す英は、感情めいたものも見せずに、ただ見つめ返してくる。観察されているのだろうかと、思う。
「葉月さんに感謝すべきだろうな。そんなことをしていたら、殺していた。仕事以外で人を殺したことはないが、第一号だな」
「…雪季はさ、静かに殺気を放つな」
口元に笑みを刷いて、英は焼きおにぎりをかじる。
「君が俺を私怨で殺すなら、それはそれで面白いかもしれない。誰かに殺されてやるつもりなんてなかったけど、雪季が本気で来るなら、それもいいかな。きっと一生、俺のことを忘れないだろうし」
「正気か」
「うん、まあ少しは酔ってるけど。眠いし。ああでも雪季、本気で俺を殺すなら、最後に名前を呼んでほしい」
「はぁ?」
「…たまーに君、やさぐれた男子学生みたいになるよな…なんなのそれ」
「ふざけるな」
焼きおにぎりをきれいに平らげて、おしぼりに置いた濡れタオルで手をぬぐう。今にもつかみかかりそうな雪季とは対象に、ゆったりと振る舞う。
そうして、茹でピーナッツを口に放り込む。
「今のところ、彼女に手を出すつもりはない。安心したか?」
「信用できない」
「ひどいな。漫画の続きも気になるし、葉月にも恨まれそうだし、やらないって。…話すつもりはなかったんだけどな。白状する。せっかくまともに眠れるようになったんだから、もう少しこの世界を楽しんでいたい」
顔には出ていないが、本当に酔っているのだろうかと雪季は英の様子を窺った。その間にも、グラスの中身は英の胃に消えていく。
「ずっと眠りが浅くて、近くに人がいると覿面に眠れない。それでも一人きりならある程度は眠っているし、電源が切れるように意識が落ちることはある。気絶してるようなものだ」
「…熟睡しているところしか見た覚えがないんだが。狸寝入りだったのか?」
「それだ。あの船で、びっくりした。いつも朝までに何度か目が覚めるし、そもそも同じ部屋に君がいるんだから、十日間は気絶はしてもほとんど眠れないだろうと思ってた。…夜布団をかぶって、気付いたら朝になってて、頭も体も随分とすっきりして。なんだこれ、って思ったよ。薬で眠らされたことはあったけど、それだと寝覚めは最悪だからそういうのでもないっていうのはわかった。船の上で、俺がどれだけ浮かれてたか気付いたか?」
「俺は何もしてない」
「うん。何がどうなってるのかはわからないけど、理由があるとすれば俺の方だろう。なんだろう、安心するとか?」
空になったグラスをテーブルに置いて、英はくすくすと笑う。
「眠れない方が時間を有効に使えるとか問題なく生きていけるとか、いろいろ考えてたけど、言い訳だったって今なら思う。だから、あの時俺が言ったのは嘘じゃないけど、本当は普通に名前を呼んでほしいけど、こうやって一緒にいてほしいって思うのは、あれだけが全部じゃない。安眠剤みたいな?」
「…酔ってるし眠いって言ったな」
「うん」
「もう寝ろ」
「…うん」
すっと、それこそ電源が落ちるように寝入ったようだった。雪季は、その呆気なさに深々とため息を落とした。
野生生物を手懐けたようなものか、それ以上にたちが悪いのではないだろうか。雪季自身は全く何もしていないのに、勝手に安眠剤認定されてしまっている。しかも、今までに社員たちに聞いた話からすると、あながち嘘でもなさそうだ。
とりあえず、手に持ったままだった杯の中身を飲み干す。すっかり冷えていた。それ以上呑む気にはなれないので、残りは料理にでも使おうかと考える。
残ったつまみも片付け、洗い物を済ませ、その間全く目を覚ますことのない英の姿に、もう一度深々とため息をつく。
「もう少し賢い奴だと思ってたんだけどな」
雪季は、自分を信用に足る人間だとは到底思えない。結愛にしても英にしても、何を間違えて勘違いをしているのか。
暖房を入れるほどではないにしても朝晩は多少冷え込んでくる時期で、何か掛けた方がいいだろうかと英を見るが、馬鹿らしさと腹立ちが相俟ってどうでもよくなった。
雪季は一人、自室へと足を向けた。
「…知らない」
「なるほど」
ブランデーのグラスを揺らして、英は、へらりとした笑みを保っていた。雪季は、熱燗の杯を一息に干す。
つまみには、コンビニで買った焼鳥を酒を加えて温め直したものとキャベツ、結愛からおすそ分けしてもらった茹でピーナッツ。夕飯を麺で済ませたせいか小腹が空いて、焼きおにぎりも追加した。
明日も仕事はあるので、ほどほどにしておかなければと思うものの酒が進む。
「調べてたんだろう。知っていると思っていた」
「あー…葉月が止めてたっぽいな。あの漫画、葉月の部屋で見たことある」
「お前…未成年にはさすがに」
「手は出してない! 葉月ちょくちょくリビングで眠り込むから部屋まで運んだだけ! むしろ俺いい奴だろ!?」
本当かとにらみつけるが、顔色からはさっぱり読めない。しかしそのあたり何かあれば、笹倉あたりが騒ぐだろう、とも思う。
いささか乱暴にグラスを傾けた英は、次いで、焼きおにぎりにかじりついた。
「元から知ってたのか、雪季を調べてて興味を持ったのかは知らないけど。まあ、俺に教えてくれなかった理由は大体想像はつく」
「へえ」
笑みを消して、英は真っ直ぐに雪季に視線を向けた。片手に焼きおにぎりを持ったままなのが間抜けだが、逆に妙な凄みすら漂う。
「俺が、彼女を担保に君に無理強いさせたらまずいと思ったんだろうな。漫画家だろう。例えば、利き腕…念のために両方とも、使えないようにするとか。普通に、体を傷つけるとか、そういったこと」
雪季は、目が据わるのを自覚した。さらりと話す英は、感情めいたものも見せずに、ただ見つめ返してくる。観察されているのだろうかと、思う。
「葉月さんに感謝すべきだろうな。そんなことをしていたら、殺していた。仕事以外で人を殺したことはないが、第一号だな」
「…雪季はさ、静かに殺気を放つな」
口元に笑みを刷いて、英は焼きおにぎりをかじる。
「君が俺を私怨で殺すなら、それはそれで面白いかもしれない。誰かに殺されてやるつもりなんてなかったけど、雪季が本気で来るなら、それもいいかな。きっと一生、俺のことを忘れないだろうし」
「正気か」
「うん、まあ少しは酔ってるけど。眠いし。ああでも雪季、本気で俺を殺すなら、最後に名前を呼んでほしい」
「はぁ?」
「…たまーに君、やさぐれた男子学生みたいになるよな…なんなのそれ」
「ふざけるな」
焼きおにぎりをきれいに平らげて、おしぼりに置いた濡れタオルで手をぬぐう。今にもつかみかかりそうな雪季とは対象に、ゆったりと振る舞う。
そうして、茹でピーナッツを口に放り込む。
「今のところ、彼女に手を出すつもりはない。安心したか?」
「信用できない」
「ひどいな。漫画の続きも気になるし、葉月にも恨まれそうだし、やらないって。…話すつもりはなかったんだけどな。白状する。せっかくまともに眠れるようになったんだから、もう少しこの世界を楽しんでいたい」
顔には出ていないが、本当に酔っているのだろうかと雪季は英の様子を窺った。その間にも、グラスの中身は英の胃に消えていく。
「ずっと眠りが浅くて、近くに人がいると覿面に眠れない。それでも一人きりならある程度は眠っているし、電源が切れるように意識が落ちることはある。気絶してるようなものだ」
「…熟睡しているところしか見た覚えがないんだが。狸寝入りだったのか?」
「それだ。あの船で、びっくりした。いつも朝までに何度か目が覚めるし、そもそも同じ部屋に君がいるんだから、十日間は気絶はしてもほとんど眠れないだろうと思ってた。…夜布団をかぶって、気付いたら朝になってて、頭も体も随分とすっきりして。なんだこれ、って思ったよ。薬で眠らされたことはあったけど、それだと寝覚めは最悪だからそういうのでもないっていうのはわかった。船の上で、俺がどれだけ浮かれてたか気付いたか?」
「俺は何もしてない」
「うん。何がどうなってるのかはわからないけど、理由があるとすれば俺の方だろう。なんだろう、安心するとか?」
空になったグラスをテーブルに置いて、英はくすくすと笑う。
「眠れない方が時間を有効に使えるとか問題なく生きていけるとか、いろいろ考えてたけど、言い訳だったって今なら思う。だから、あの時俺が言ったのは嘘じゃないけど、本当は普通に名前を呼んでほしいけど、こうやって一緒にいてほしいって思うのは、あれだけが全部じゃない。安眠剤みたいな?」
「…酔ってるし眠いって言ったな」
「うん」
「もう寝ろ」
「…うん」
すっと、それこそ電源が落ちるように寝入ったようだった。雪季は、その呆気なさに深々とため息を落とした。
野生生物を手懐けたようなものか、それ以上にたちが悪いのではないだろうか。雪季自身は全く何もしていないのに、勝手に安眠剤認定されてしまっている。しかも、今までに社員たちに聞いた話からすると、あながち嘘でもなさそうだ。
とりあえず、手に持ったままだった杯の中身を飲み干す。すっかり冷えていた。それ以上呑む気にはなれないので、残りは料理にでも使おうかと考える。
残ったつまみも片付け、洗い物を済ませ、その間全く目を覚ますことのない英の姿に、もう一度深々とため息をつく。
「もう少し賢い奴だと思ってたんだけどな」
雪季は、自分を信用に足る人間だとは到底思えない。結愛にしても英にしても、何を間違えて勘違いをしているのか。
暖房を入れるほどではないにしても朝晩は多少冷え込んでくる時期で、何か掛けた方がいいだろうかと英を見るが、馬鹿らしさと腹立ちが相俟ってどうでもよくなった。
雪季は一人、自室へと足を向けた。
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