雨舞い

来条恵夢

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昨日の未来

二日目

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 その夜、霧夜キリヤの部屋には大量の酒が運び込まれた。
 夕食後、霧夜の忠告を無視して外出した羽澄ハスミが、大量に持ち帰ったものだ。よくも一人で運べたものだと感心しそうになって、霧夜は自分に溜息をついた。そういう問題ではない。
 突然の酒盛りに、秋衣アキイも参加したがってはいたが、カオルがいるからと渋々と諦めたようだった。
 壁とベッドの側面をそれぞれ背にして、二人は、床に座っていた。それぞれの手には、酒の入ったコップ。

「なんか、三谷ミタニのおやっさんが大きな秘密かかえてるって話だったんだよなあ。それ探ってたんだけど、娘がこんなとこにいるとなると。本人が捕まってんのかな」

 無色の蒸留酒を水のようにあおりながら、羽澄は軽く天を仰いだ。
 その向かいで、半ば無理矢理持たされた酒をめながら、霧夜は無言だ。

「これは、あれだよなあ。下手したら、もう生きてないな」
「いや。まだ大丈夫だ」
「何を聞いた」

 まるで当然のように言う。やっと話す気になったかと、そう言いたげな表情を、いくらか悔しく思いながらも、霧夜は酒を呷った。
 一人で何もかもできるほど、霧夜は強くない。五年前に感じた無力はそのままで、今もまだ、あの頃の闇を引きずっている。

「――確認はしてない」
「この状態で裏までとってたら、俺、情報屋の看板下ろさなきゃだぜ? いいから、言ってみろ」

 あくまで軽いノリの羽澄に、ふうと、霧夜は息を吐いた。

「三谷は、何か組織に必要な情報を隠したようだ。引き渡す代わりに、金を要求した」 
「あの人が? 金?」
「裏取りはお前の仕事だろう。それにおそらくは、三谷は自身の身の安全は求めていない。金というのも、目眩めくらましの可能性の方が高いだろう」
「嬢ちゃんのため、か――」

 そろって、息を吐く。
 期せずして、二人は同じ場面を思い出した。まだ、思い出にできるほどは遠くない、過去。

 二年ほど前まで、二人は組んで仕事をしていた。情報屋やスパイの真似事もしたし、必要であれば殺人もいとわなかった。それなりに信頼も得ていた。
 丁度、基盤が固まってきた頃に、二人は三谷からの依頼を受けた。それは、娘の――つまりは、薫の――母の殺害だった。
 薫の母はありふれた売春婦で、三谷との付き合いはあったが、薫の父親が本当は誰なのかは、判らないような状態だった。それでも娘として引き取り、育てた。押しつけられたのだ。それが、急に引き取ると言い出したのだった。
 愛情からであれば、三谷も違った手段をっただろう。しかしその女は、偶然に見た娘が見栄みばえのする容姿であることを、使えると、金になるととったのだった。
 あれなら高く売れる。
 その言葉が、三谷に決断させた。そんな女が母だと、知られてはならない。

『私は、卑怯なんだよ。売春婦の死なんて、珍しくもない。捕まることだってないだろう。それでも――じかにあの子の母を殺して、これまで通りに笑いかけることなんて、できない』

 懺悔するようだった言葉は、罪を押しつけることとなった羽澄と霧夜――弓月ユヅル遠夜トウヤへ宛てたものだったのか、自分を納得させるための独白だったのかは、今でもよくわからないでいる。
 クスリや生活の不摂生でぼろぼろになっていた娼婦の死は、よく降る雨のように、すぐにも人々の日常にまぎれた。
 しかし、もしあの場を薫が見ていたとしたら。幼い少女は、それを日常とすることができただろうか。父が母を殺す依頼をしたことに、何らかの納得をしたのだろうか。

「ん? ちょっと待て、それでなんで『大丈夫』なんだ?」
「あの子が追われているからだ。まだ、人質の価値があるということだろう? さっきの男たちも金城カネシロのところの構成員だし、昨日会ったときにも追いかけられていた。よく無事だったと、むしろそういう状況だったな」

 相変わらず淡々と告げる霧夜を、羽澄は恨めしげに睨み付けた。
 このあたりから、二人の手酌は早くなっていく。会話の合間に飲んでいるのか、飲んでいる合間に話をしているのか。

「それだけ判ってて、なんで俺を疑うかな」
「昨日の奴らはきっちりいたはずだったから。つい」
「場所で張ってたんだろ。ったく、そんなに相棒を疑うかよ」
「悪かった」
「おう。しっかり謝って反省してもらおう」
「しかし、疑われる羽澄の過去の行ないにも責任はある」
「なにぃ?」
「リゼル邸で、お前が勝手におとりにしたせいで、大変な目にった」
「だってあれは、俺の方には喰いついてこなかったし。大体、ちゃんと一言いっただろ」 
「ああ。本当に一言で、しかも直前だったがな」

 昔のこともまじえながらの話は、尽きない。学校に通っていた頃の話まで持ち出すと、いよいよ収拾がつかなかった。しかし不意に、羽澄が鋭く視線を投げかけた。

「で、どーするよ?」

 深く関わるつもりがないのなら、早々に手を引かなければ巻き込まれ、抜き差しならなくなる。そんなことは俺以上に判っているだろうと、わざわざ言い添えるのは、秋衣アキイのために仕事を辞めた霧夜への、くだらない嫌味だ。
 霧夜の返答はなく、ただ淡々と、杯をかさねる。羽澄もそれに付き合うが、こちらは、色々と賑やかに言葉をつらねる。

「なあ。俺、他の奴と組んでも長く続かないんだって。ガッコからの付き合いじゃないかよ。なー、きりやー」

 ごねたり説得を試みたり、笑い話をしたり。
 それもやがては静かになり、その頃には、数ある酒瓶はほとんどが空になっていた。羽澄は、ベッドに寄りかかったまま眠ってしまっている。

「…あんたのことは嫌いじゃないけど」

 嫌いだったなら、もっと簡単だっただろう。

 この町に対するのと似た想いが、胸を突く。嫌いであれば、ただ切り捨てて、かえりみなければいい。それができないから、厄介なのだ。とても。
 残りのコップの中身を飲み干すと、立ち上がる。と、よろめいて壁に手をついた。
 頭はそれなりにはっきりとしているのだが――その自己判定も、あんな独白を吐くようでは怪しいが――先に、足に来たようだった。

「こんなに飲んだのは、久しぶりだしな…」

 面倒になって、そのまま腰を下ろす。立てた片膝を抱くようにして、そっと目を閉じた。明日、起きると体が痛いだろうがまあいいかと、思う。
 やはり、酔っているのだろう。
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