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深夜の電話 2009/8/5
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電話が鳴った。
まず手探りで携帯電話を探り当て、重いまぶたをこじ開けて、まず発信者を確認する。とりあえず夜は明けていないらしく、部屋も外も暗い。
携帯電話のか細い癖に居丈高な電光は、ろくに寝ていない眼と頭には堪えた。
「――もしもし」
『○○ホテルの一室、そうやな、2003号室で男が一人殺されてる。胸を一突き。凶器は部屋にあった果物ナイフで、咄嗟の行動やった。計画性なんてまるでなくて、ホテルの部屋も実名で取ってた。そんな状態で、完全犯罪に持っていけると思うか?』
挨拶どころか説明すら抜きに、すらすらと物騒なことを言い立てる。早口で若干聞き取りにくいが、意味が取れないほどではなかった。
ああやっぱり出るんじゃなかったと、思いつつ溜息を飲み込む。
「時間は?」
『犯行時刻か? 丁度今ってことにしよう。深夜に訪ねて来た男と口論になって、かっとナイフを突き立てた。男はフロントで声をかけられてこの部屋に来ることも告げてる』
「何や、その具体的なのとあやふやなのが混じり混ざったのは」
『ええやろ、細かいこと気にすんな』
自分が迷惑をかけているという自覚があるのかないのか、急かす口調は、切羽詰っているからか偉そうですらある。
枕元の時計で時間を確認して、思わず呻き声が洩れた。公私を混同する厄介な大口顧客と別れて、ベッドに倒れこんでからまだ二時間と経っていない。体も頭も、懸命に眠りを訴えていた。
それに構わず、電波の向こうの友人――友人、おそらくは友人のはずのそいつは、更にくどくどと「設定」を言い立てる。
迷惑なときにはとことん迷惑な、腐れ縁で繋がったこの友人は、たまに追い詰められてこんな電話をかけてくる。下手をすれば、事務所や家の戸を開ければ立っている、なんてことまであるくらいだ。
非常識きわまるこの友人の職業名を、作家という。細かく言えば、推理作家。
もっとも、作家だから非常識で迷惑なのかといえばそうではなく、これは確実に個人の性質、個性というやつだろう。たまに我ながら、何故にこんな奴と付き合っているのかと悩みかけて、虚しくなって止める。
「わかった。わかった、わかった。つまり今お前が死体と二人きりなんやな?」
『な。何言ってんねん、寝ぼけるんちゃうわアホ、いつ俺の話やなんてゆうたよ』
冗談のつもりで投げた言葉に、思いがけず動揺が返る。慌てると訛りが似非臭くきつくなるのは、こいつの癖だ。
ホテルの名は実在し、そう言えば今、明日一番の便で海外に立つためにそこに泊まっているということも思い出した。手の込んだ嫌がらせだろうか。
寝不足と疲れでよく回らない頭をどうにか動かそうとしていると、段々どうでもよくなってきた。
「完全犯罪?」
『そう、完全犯罪。できるかなぁ?』
「簡単やろ」
『え?』
驚きと喜びで、声が高くなる。逆にこちらは、低くなった。眠い。
「モーニングコールだけ頼んでるんやろ。やったら、そのときに予定変更でチェックアウトを遅くするって言って、裏口からでも出て予定通りの飛行機で飛び立つ。そのまま海外逃亡でもしたらどうや」
『どこが完全犯罪や! そんなん、すぐ発覚するやないか!』
「でも捕まらんやろ。まあ、規定のチェックアウト時刻まで待ってくれたらの話やけど。露見せん犯罪は果たして犯罪と言えるか? 露見してこそ犯罪となるなら、犯人が逃亡しおおせた犯罪こそが完全犯罪ちゃうんか?」
自分でも、何を言っているのかがわからない。とにかく、眠りたかった。明日も朝から顧客と会う約束が入っている。
怒り出すかと思いきや、電波の向こうでは聞き取れない独り言が続き、しばらくして、うん、そうやな、と妙に晴れ晴れとした声が聞こえてきた。
『わかった、ありがとう! とにかく飛行機が飛び立ってまえばこっちの勝ちやな!』
がちゃりと。
回線の切れる音がして、声は届かなくなった。
これで眠れる――と思いきや、折角目をつぶったのに頭の中で、ぐるぐると交わした言葉が飛び交う。一際強く、訛りきったあの反応。
「――ちくしょう」
呪詛の言葉を口にして、無理矢理身体を引き起こす。
あいつの泊まるホテルには行ったことがある。今の時間なら、二時間も車を走らせれば着くだろう。
まさか、まさかとは思うが、切羽詰ったときのあいつは侮れない。後日、事情聴取に呼ばれたりマスコミに追い回されたりするのは真っ平だ。
途中何度も電話をかけたが電源が切られていて、あいつの告げた部屋番号の扉を叩き続けるとやがて、ホテルマンがすっ飛んできた。フロントからの電話も繋がらず、言葉を弄してマスターキーで開けさせた。
中には、白紙の原稿を抱えた迷惑極まりない友人が一人きり。
「お前の案、没喰らった」
「当たり前や阿呆!」
…その後、友人が海外に飛び立ったか、俺が翌朝の顧客を失わずにいられるのか、それは神のみぞ知る話。
まず手探りで携帯電話を探り当て、重いまぶたをこじ開けて、まず発信者を確認する。とりあえず夜は明けていないらしく、部屋も外も暗い。
携帯電話のか細い癖に居丈高な電光は、ろくに寝ていない眼と頭には堪えた。
「――もしもし」
『○○ホテルの一室、そうやな、2003号室で男が一人殺されてる。胸を一突き。凶器は部屋にあった果物ナイフで、咄嗟の行動やった。計画性なんてまるでなくて、ホテルの部屋も実名で取ってた。そんな状態で、完全犯罪に持っていけると思うか?』
挨拶どころか説明すら抜きに、すらすらと物騒なことを言い立てる。早口で若干聞き取りにくいが、意味が取れないほどではなかった。
ああやっぱり出るんじゃなかったと、思いつつ溜息を飲み込む。
「時間は?」
『犯行時刻か? 丁度今ってことにしよう。深夜に訪ねて来た男と口論になって、かっとナイフを突き立てた。男はフロントで声をかけられてこの部屋に来ることも告げてる』
「何や、その具体的なのとあやふやなのが混じり混ざったのは」
『ええやろ、細かいこと気にすんな』
自分が迷惑をかけているという自覚があるのかないのか、急かす口調は、切羽詰っているからか偉そうですらある。
枕元の時計で時間を確認して、思わず呻き声が洩れた。公私を混同する厄介な大口顧客と別れて、ベッドに倒れこんでからまだ二時間と経っていない。体も頭も、懸命に眠りを訴えていた。
それに構わず、電波の向こうの友人――友人、おそらくは友人のはずのそいつは、更にくどくどと「設定」を言い立てる。
迷惑なときにはとことん迷惑な、腐れ縁で繋がったこの友人は、たまに追い詰められてこんな電話をかけてくる。下手をすれば、事務所や家の戸を開ければ立っている、なんてことまであるくらいだ。
非常識きわまるこの友人の職業名を、作家という。細かく言えば、推理作家。
もっとも、作家だから非常識で迷惑なのかといえばそうではなく、これは確実に個人の性質、個性というやつだろう。たまに我ながら、何故にこんな奴と付き合っているのかと悩みかけて、虚しくなって止める。
「わかった。わかった、わかった。つまり今お前が死体と二人きりなんやな?」
『な。何言ってんねん、寝ぼけるんちゃうわアホ、いつ俺の話やなんてゆうたよ』
冗談のつもりで投げた言葉に、思いがけず動揺が返る。慌てると訛りが似非臭くきつくなるのは、こいつの癖だ。
ホテルの名は実在し、そう言えば今、明日一番の便で海外に立つためにそこに泊まっているということも思い出した。手の込んだ嫌がらせだろうか。
寝不足と疲れでよく回らない頭をどうにか動かそうとしていると、段々どうでもよくなってきた。
「完全犯罪?」
『そう、完全犯罪。できるかなぁ?』
「簡単やろ」
『え?』
驚きと喜びで、声が高くなる。逆にこちらは、低くなった。眠い。
「モーニングコールだけ頼んでるんやろ。やったら、そのときに予定変更でチェックアウトを遅くするって言って、裏口からでも出て予定通りの飛行機で飛び立つ。そのまま海外逃亡でもしたらどうや」
『どこが完全犯罪や! そんなん、すぐ発覚するやないか!』
「でも捕まらんやろ。まあ、規定のチェックアウト時刻まで待ってくれたらの話やけど。露見せん犯罪は果たして犯罪と言えるか? 露見してこそ犯罪となるなら、犯人が逃亡しおおせた犯罪こそが完全犯罪ちゃうんか?」
自分でも、何を言っているのかがわからない。とにかく、眠りたかった。明日も朝から顧客と会う約束が入っている。
怒り出すかと思いきや、電波の向こうでは聞き取れない独り言が続き、しばらくして、うん、そうやな、と妙に晴れ晴れとした声が聞こえてきた。
『わかった、ありがとう! とにかく飛行機が飛び立ってまえばこっちの勝ちやな!』
がちゃりと。
回線の切れる音がして、声は届かなくなった。
これで眠れる――と思いきや、折角目をつぶったのに頭の中で、ぐるぐると交わした言葉が飛び交う。一際強く、訛りきったあの反応。
「――ちくしょう」
呪詛の言葉を口にして、無理矢理身体を引き起こす。
あいつの泊まるホテルには行ったことがある。今の時間なら、二時間も車を走らせれば着くだろう。
まさか、まさかとは思うが、切羽詰ったときのあいつは侮れない。後日、事情聴取に呼ばれたりマスコミに追い回されたりするのは真っ平だ。
途中何度も電話をかけたが電源が切られていて、あいつの告げた部屋番号の扉を叩き続けるとやがて、ホテルマンがすっ飛んできた。フロントからの電話も繋がらず、言葉を弄してマスターキーで開けさせた。
中には、白紙の原稿を抱えた迷惑極まりない友人が一人きり。
「お前の案、没喰らった」
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…その後、友人が海外に飛び立ったか、俺が翌朝の顧客を失わずにいられるのか、それは神のみぞ知る話。
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