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道案内の顛末 2009/6/19
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「あの、すみません」
「は?」
暮れて行く空の下でぼんやりと友人を待っていたら、声をかけられた。おずおずとした声に顔を上げれば、まだ小学生くらいの男の子が、申し訳なさそうなかおで立っていた。
駅前とあって人通りは多く、金曜の夕方だからか行き交う人たちの足取りも、心なし軽い。さっきから、幾つもの足が目の前を通り過ぎて行った。その中にも子どものものは幾つもあって、駅ビルの中に学習塾があるから珍しくもない光景だ。
だが少年は、一目でそれと判る塾のカバンは持っていなかった。それどころか、荷物らしき荷物もない。
多くの人の中から私を選んで声をかけてきたのは、せわしげな人たちの中で、閑そうに見えたからだろうか。まあ実際、閑だ。約束の時間より少し早く着いてしまい、時間を持て余していた。
少年は、有名な中華料理のチェーン店の名前を上げ、その場所を知らないかと不安げに尋ねてきた。
束の間考え込んだのは、その店の場所が判らなかったからではなく、判ってはいるもののさてどうやって教えればいいんだと悩んだからだった。
歩いても五分とかからない距離にあるから、いっそ一緒に行った方が早い。が、友人と待ち合わせの最中だ。
言葉で説明できるかとためらいつつ口を開こうとしたら、携帯電話が震えた。一瞬迷ったものの友人の名が表示されていて、少年に短く断って通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あ、もしもしー? ごめん、ちょっと長引いて、今出たとこで。今向かってます』
「ああ、そうなんだ。どのくらいかかる?」
『えー? 十分…十五分、くらいあれば』
「そっか。わかった、頑張って来いー」
あっさりと通話を終えて、少年を見る。もしかしたらこの間にどこかに行ってしまうかと思ったが、少し困ったようなかおをした少年は、所在無げにやはりそこに立っていた。
今度は、あまり迷わなかった。
「えーと、こっち」
ぱっと顔が輝き、駆け出そうとする少年に慌てる。指差した方向に向かっているが、そこを真っ直ぐ行けばいいわけではなくて、角を二つ三つ曲がる。それが、説明を危踏んだ理由だ。
「案内するよ。…急いでる?」
「ううん。ありがとうございます」
やはり少し困ったように、でも嬉しそうに頭を下げる。随分と礼儀正しい子どもだ。はて私は、このくらいの年齢のときにちゃんとこんなことが言えただろうか。
腰掛けていた花壇の縁から立ち上がり、心持ち先立って、実際のところはほぼ並んで歩き始める。
雑踏ではぐれないように、ちらちらと少年を窺う。何か話したほうがいいのかとも思ったが、人付き合いは得意ではない上に子どもは更に不得手だ。案内しようと即断したことすら、実のところ我ながら驚いている。
ざわめきのおかげでさほど気まずくもなく、角を二つ曲がり、店のある通りに出る。ここも、変わらず人通りが多い。が、パチンコ店があるためか、元いた通りよりも雑然とした感じが強くなる。
「ほら、あそこ」
看板が見えて、ほっとして指差す。間違えてなくて良かった、と、密かに胸を撫で下ろす。
少年は、今度こそ駆け出した。ありがとう、との言葉もなく、意外な気がして呆気に取られてその背を見送る。少年の姿は、人込みにまぎれた。
携帯電話が震える。
「…もしもし?」
『あっ、ちょっと今どこ? ケータイ繋がらないし、何やってんの!』
耳慣れた友人の声が、少々怒ったように放たれる。時計を見れば、先ほどの連絡からまだ数分も経っていない。
「どこって…もう着いたの? 十分くらいかかるって言ってなかった?」
『はあ? 何それ?』
「何って…さっき、遅れるって連絡…」
『してないよ』
「え?」
何それ。
雑踏で私は一人、首を傾げた。これは怪異譚なのか、何かの勘違いか…あの少年は実在していたのか、それとも友人がからかっているのか。
「は?」
暮れて行く空の下でぼんやりと友人を待っていたら、声をかけられた。おずおずとした声に顔を上げれば、まだ小学生くらいの男の子が、申し訳なさそうなかおで立っていた。
駅前とあって人通りは多く、金曜の夕方だからか行き交う人たちの足取りも、心なし軽い。さっきから、幾つもの足が目の前を通り過ぎて行った。その中にも子どものものは幾つもあって、駅ビルの中に学習塾があるから珍しくもない光景だ。
だが少年は、一目でそれと判る塾のカバンは持っていなかった。それどころか、荷物らしき荷物もない。
多くの人の中から私を選んで声をかけてきたのは、せわしげな人たちの中で、閑そうに見えたからだろうか。まあ実際、閑だ。約束の時間より少し早く着いてしまい、時間を持て余していた。
少年は、有名な中華料理のチェーン店の名前を上げ、その場所を知らないかと不安げに尋ねてきた。
束の間考え込んだのは、その店の場所が判らなかったからではなく、判ってはいるもののさてどうやって教えればいいんだと悩んだからだった。
歩いても五分とかからない距離にあるから、いっそ一緒に行った方が早い。が、友人と待ち合わせの最中だ。
言葉で説明できるかとためらいつつ口を開こうとしたら、携帯電話が震えた。一瞬迷ったものの友人の名が表示されていて、少年に短く断って通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あ、もしもしー? ごめん、ちょっと長引いて、今出たとこで。今向かってます』
「ああ、そうなんだ。どのくらいかかる?」
『えー? 十分…十五分、くらいあれば』
「そっか。わかった、頑張って来いー」
あっさりと通話を終えて、少年を見る。もしかしたらこの間にどこかに行ってしまうかと思ったが、少し困ったようなかおをした少年は、所在無げにやはりそこに立っていた。
今度は、あまり迷わなかった。
「えーと、こっち」
ぱっと顔が輝き、駆け出そうとする少年に慌てる。指差した方向に向かっているが、そこを真っ直ぐ行けばいいわけではなくて、角を二つ三つ曲がる。それが、説明を危踏んだ理由だ。
「案内するよ。…急いでる?」
「ううん。ありがとうございます」
やはり少し困ったように、でも嬉しそうに頭を下げる。随分と礼儀正しい子どもだ。はて私は、このくらいの年齢のときにちゃんとこんなことが言えただろうか。
腰掛けていた花壇の縁から立ち上がり、心持ち先立って、実際のところはほぼ並んで歩き始める。
雑踏ではぐれないように、ちらちらと少年を窺う。何か話したほうがいいのかとも思ったが、人付き合いは得意ではない上に子どもは更に不得手だ。案内しようと即断したことすら、実のところ我ながら驚いている。
ざわめきのおかげでさほど気まずくもなく、角を二つ曲がり、店のある通りに出る。ここも、変わらず人通りが多い。が、パチンコ店があるためか、元いた通りよりも雑然とした感じが強くなる。
「ほら、あそこ」
看板が見えて、ほっとして指差す。間違えてなくて良かった、と、密かに胸を撫で下ろす。
少年は、今度こそ駆け出した。ありがとう、との言葉もなく、意外な気がして呆気に取られてその背を見送る。少年の姿は、人込みにまぎれた。
携帯電話が震える。
「…もしもし?」
『あっ、ちょっと今どこ? ケータイ繋がらないし、何やってんの!』
耳慣れた友人の声が、少々怒ったように放たれる。時計を見れば、先ほどの連絡からまだ数分も経っていない。
「どこって…もう着いたの? 十分くらいかかるって言ってなかった?」
『はあ? 何それ?』
「何って…さっき、遅れるって連絡…」
『してないよ』
「え?」
何それ。
雑踏で私は一人、首を傾げた。これは怪異譚なのか、何かの勘違いか…あの少年は実在していたのか、それとも友人がからかっているのか。
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