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2005/12/30
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「律、生みの親から電話よ」
――今まで、疑う余地もなくその生みの親だとばかり思っていた人に、あっけらかんと告げられた場合、どんな反応を取るべきか。
一、冗談として更にぼけ返す、あるいは突っ込む。
ニ、聞き間違いか言い間違いとして訊き返す。
三、固まる――それは今の律だ。
いまいち正確さの疑わしい三択を思い浮かべながら、竜崎律は、いつもと何一つ変わらぬ母を見つめて、業務用冷凍庫の中で凍るマグロのように固まっていた。
「律? ちょっと何してるのよ、いきなり寒くしないでよ。片付けるの大変なんだから、氷なんて出さないでよ、もう」
そう言って、まだ若い母は、漫画の表現効果よろしくどこからともなく湧いて出た氷をつついたが、ふと気付き、固まったままの律を見やった。
「あらら? ひょっとして、律、あなた、お父さんから聞いてるわよね?」
「…何、を」
体に張り付いた薄氷を割って――窒息するかと、実は結構本気で思った――律が顔を上げると、「あらまあ」と言って、母は小首を傾げた。かと思うと、「ポン」と口で言って、手を打って明るく笑った。
「じゃあ、そういうことで」
「待てい」
どこかのコントか、と突っ込みたかったのだが、そうするとどこのコント?と訊き返され、話が脱線することは必須なので、あえて呑み込むと、母を睨みつけた。
「律、顔が恐いわよ」
「あ、ごめ――って、違くて」
「律。前から言ってるけど、日本語はもっとちゃんと正確に…」
「ごめんなさい気をつけます。だから今は俺に話させて。ね?」
「仕方ないわね。絶対よ?」
「ハイ」
仕方ないのはどっちだと言いたくなるが、十六年も親子をしていれば、いい加減――そう、親子。親子だったはずだ。
「母さん」
「なに?」
明るい声に気勢を削がれたものの、どうにか体勢を立て直す。
「さっき、生みの親って言ったよね? それってどういうこと。俺、母さんたちの子供じゃなかったの」
「てっきり、結城さんから聞いてると思ったのよ。でもね、律。血はつながってないけど、私たちはれっきとした親子よ?」
「母さん…」
不覚にも、泣きそうになる。ところが。
「それで、どうする?」
「――は?」
どうするって、何か行動を問われるようなことがあっただろうかと、律は、親子の愛を再確認する間もなく考え込んだ。そして、はたと顔を上げる。
――ひょっとして、今更に引き取るとかそういう話になる?
昼メロか一昔前のドラマのような展開が頭の中に浮かぶ律に対して、母はあっさりとそれを打ち砕いた。
「だから、電話。今かかってきてるの。出る?」
「だから」って、ほとんどつながってないから。
勿論、そんなことは時間の無駄だから言わないが、律は溜息をついて、首を振った。そんな気力は残っていない。
「そう? じゃあ、断ってくるわね」
母がそう言って背を向けると、改めて深々と溜息を吐いた。そうして、このことについて考えようと――したのだが、首を捻りながらすぐに戻ってきた母に気を取られる。
「…向こうは何って?」
「それがね、切れちゃってたのよ」
「…まあ、あれだけ待たせればな…」
機械に弱い母は、どうせまた、保留もせずに置いていたのだろう。通信障害を疑って切られても、あまり文句は言えない。
「ところで、律」
「はい!」
改まった口調に、思わず律は姿勢を正した。母の目が据わっている。
「このことを聞いたんじゃなかったら、一体、結城さんと何話してたのよ。随分と長く話してたし、そのあと挙動不審だったでしょ。だからてっきり、このことだと思ったのよ?」
律は、傍目にも明らかに言葉に詰まった。
律の父――血のつながっていない育ての親だが――は、四年前に、一年近い闘病期間を経て死んだ。
しかし、父に呼ばれて長く話を聞いたのは、決して、親子関係についてではなく、到底母には言えないが、父の恋愛遍歴だった。あの父がと思うような話で、何故こんな時にと不思議には思ったが、きっと、このことを言おうとして、言えずに終わったのだろう。
おかげで律は、今、突然に秘密を知らされた上に、母を相手に苦戦を強いられている。
「ねえ、律。正直に答えなさい」
「でも――電話だ!」
天の助けとばかりに部屋を駆け出る律だったが、受話器を取ってすぐに、後悔することになる。相手は、「生みの親」だった。
そうして気付くと、会う約束までしていたのだった。
後日のこと。
律は、件の人と会って帰るなり、母の顔を見て呻いたのだった。
「どうしよう、母さん。俺、母さんの子じゃないどころか、人間でもないみたいだ…」
「今更何言ってるのよ」
「―――え?」
冗談抜きで点目になった律に、母は、料理中で目線すら向けずに言った。
「自分をどう思ってたのよ。普通、人間は、思うだけで吹雪や氷なんて出せないものなのよ?」
その日、律は改めて、己の鈍さと、母の常識外れを思い知ったのだった。
――今まで、疑う余地もなくその生みの親だとばかり思っていた人に、あっけらかんと告げられた場合、どんな反応を取るべきか。
一、冗談として更にぼけ返す、あるいは突っ込む。
ニ、聞き間違いか言い間違いとして訊き返す。
三、固まる――それは今の律だ。
いまいち正確さの疑わしい三択を思い浮かべながら、竜崎律は、いつもと何一つ変わらぬ母を見つめて、業務用冷凍庫の中で凍るマグロのように固まっていた。
「律? ちょっと何してるのよ、いきなり寒くしないでよ。片付けるの大変なんだから、氷なんて出さないでよ、もう」
そう言って、まだ若い母は、漫画の表現効果よろしくどこからともなく湧いて出た氷をつついたが、ふと気付き、固まったままの律を見やった。
「あらら? ひょっとして、律、あなた、お父さんから聞いてるわよね?」
「…何、を」
体に張り付いた薄氷を割って――窒息するかと、実は結構本気で思った――律が顔を上げると、「あらまあ」と言って、母は小首を傾げた。かと思うと、「ポン」と口で言って、手を打って明るく笑った。
「じゃあ、そういうことで」
「待てい」
どこかのコントか、と突っ込みたかったのだが、そうするとどこのコント?と訊き返され、話が脱線することは必須なので、あえて呑み込むと、母を睨みつけた。
「律、顔が恐いわよ」
「あ、ごめ――って、違くて」
「律。前から言ってるけど、日本語はもっとちゃんと正確に…」
「ごめんなさい気をつけます。だから今は俺に話させて。ね?」
「仕方ないわね。絶対よ?」
「ハイ」
仕方ないのはどっちだと言いたくなるが、十六年も親子をしていれば、いい加減――そう、親子。親子だったはずだ。
「母さん」
「なに?」
明るい声に気勢を削がれたものの、どうにか体勢を立て直す。
「さっき、生みの親って言ったよね? それってどういうこと。俺、母さんたちの子供じゃなかったの」
「てっきり、結城さんから聞いてると思ったのよ。でもね、律。血はつながってないけど、私たちはれっきとした親子よ?」
「母さん…」
不覚にも、泣きそうになる。ところが。
「それで、どうする?」
「――は?」
どうするって、何か行動を問われるようなことがあっただろうかと、律は、親子の愛を再確認する間もなく考え込んだ。そして、はたと顔を上げる。
――ひょっとして、今更に引き取るとかそういう話になる?
昼メロか一昔前のドラマのような展開が頭の中に浮かぶ律に対して、母はあっさりとそれを打ち砕いた。
「だから、電話。今かかってきてるの。出る?」
「だから」って、ほとんどつながってないから。
勿論、そんなことは時間の無駄だから言わないが、律は溜息をついて、首を振った。そんな気力は残っていない。
「そう? じゃあ、断ってくるわね」
母がそう言って背を向けると、改めて深々と溜息を吐いた。そうして、このことについて考えようと――したのだが、首を捻りながらすぐに戻ってきた母に気を取られる。
「…向こうは何って?」
「それがね、切れちゃってたのよ」
「…まあ、あれだけ待たせればな…」
機械に弱い母は、どうせまた、保留もせずに置いていたのだろう。通信障害を疑って切られても、あまり文句は言えない。
「ところで、律」
「はい!」
改まった口調に、思わず律は姿勢を正した。母の目が据わっている。
「このことを聞いたんじゃなかったら、一体、結城さんと何話してたのよ。随分と長く話してたし、そのあと挙動不審だったでしょ。だからてっきり、このことだと思ったのよ?」
律は、傍目にも明らかに言葉に詰まった。
律の父――血のつながっていない育ての親だが――は、四年前に、一年近い闘病期間を経て死んだ。
しかし、父に呼ばれて長く話を聞いたのは、決して、親子関係についてではなく、到底母には言えないが、父の恋愛遍歴だった。あの父がと思うような話で、何故こんな時にと不思議には思ったが、きっと、このことを言おうとして、言えずに終わったのだろう。
おかげで律は、今、突然に秘密を知らされた上に、母を相手に苦戦を強いられている。
「ねえ、律。正直に答えなさい」
「でも――電話だ!」
天の助けとばかりに部屋を駆け出る律だったが、受話器を取ってすぐに、後悔することになる。相手は、「生みの親」だった。
そうして気付くと、会う約束までしていたのだった。
後日のこと。
律は、件の人と会って帰るなり、母の顔を見て呻いたのだった。
「どうしよう、母さん。俺、母さんの子じゃないどころか、人間でもないみたいだ…」
「今更何言ってるのよ」
「―――え?」
冗談抜きで点目になった律に、母は、料理中で目線すら向けずに言った。
「自分をどう思ってたのよ。普通、人間は、思うだけで吹雪や氷なんて出せないものなのよ?」
その日、律は改めて、己の鈍さと、母の常識外れを思い知ったのだった。
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