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別れのとき 別れの場所 2002/10/7
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「…っ」
泣きたくなんてなかった。
泣いてしまったら、何か赦されたようで、それで終わりになってしまうようで。だから、泣きたくなんてなかったのに。
それなのに、涙は止まらない。
声が詰まる。
息が、できないくらいに――。
これしかなかったのだとわかっていても、それでも、血に濡れた両手を、固く掴んだまま離れない血を浴びた剣を、涙が濡らしていく。
村は、血に染まっていた。ユリエが薬草を摘みに行った、半日ほどの間に。
何が起きたのか、はじめは理解ができなかった。そしてその報せは、二日ほどしてから届いた。街からの旅人によってもたらされ、そしてユリエは、その旅人が来るまで、ずっと放心していた。
何の覚悟もしていなかった。
いくら人は簡単に死ぬからといって、誰がいつ死んでもおかしくはない毎日だからといって、こんな別れが訪れるとは考えもしなかった。
平穏だけが取り柄のような村で。
小規模な諍いや犯罪とも言えないような犯罪、山に住む動物の被害などはあっても、どこもが日溜りのような平穏にあふれていて。
そう言うユリエを、旅人は気の毒そうに見ていた。
――皆そう言うんだ。でもそれは、突然訪れた。それは、密やかに人の心に忍び込む。そして、人々を殺戮して回る。忍び込まれた人は、人の心を持たなくなって。
一緒にこないかと、旅人に誘われた。
だがユリエは首を振って、断った。旅人の去った後に、一人で村人の亡骸を埋めて、墓を作る。ただひとつだけ見つからない遺体は、面倒見のいいトオルのものだった。
きっと、復讐を。
それだけを胸に、村を後にした。長く伸ばして、誰からも誉められた髪は、邪魔だから切って。風にそよぐのが好きだった長いスカートも、二度とはかないと決めて。
同じようにして荒廃する国を、ユリエは回っていった。
まるで世界の最期だと。それでも生きようとする人が、妙に哀しくて、愛しかった。けれどもそれはすべて、心の奥深くに突き刺さって、表面には決して出てこなかった。
生きるために、トオルを殺すために。ユリエは、どんなことでもした。人殺しだろうと、トオルのような人でないものを殺すことだろうと。血の臭いにも、慣れていった。
そして、トオルに再会したのだ。
あの時と同じように、一人で土を掘って、墓を作る。できることなら村に一緒に埋めたかったが、それは無理だった。そしてそれ以前に、村に戻ることはできなかった。
穢れているのは、トオルよりも、自分だから。
もう自分は人ではないのかもしれないと、ユリエは思うようになっていた。
長い間押し殺した心は、隅からひび割れて、今ではほとんど動かない。トオルを殺したときに流した涙も、その意味はわからなかった。ただ、泣いていた。それは、感情だろうか。
ユリエは、立ち上がった。墓を見るのではなく、行く先を見て。
「私は、生きる。みんなの分を、生きなければいけないから。私は、死ねない」
どんなことになっても。「生きる」為だけに「生きる」。
歩き出す。
決して、後ろを振り返ることはなかった。
泣きたくなんてなかった。
泣いてしまったら、何か赦されたようで、それで終わりになってしまうようで。だから、泣きたくなんてなかったのに。
それなのに、涙は止まらない。
声が詰まる。
息が、できないくらいに――。
これしかなかったのだとわかっていても、それでも、血に濡れた両手を、固く掴んだまま離れない血を浴びた剣を、涙が濡らしていく。
村は、血に染まっていた。ユリエが薬草を摘みに行った、半日ほどの間に。
何が起きたのか、はじめは理解ができなかった。そしてその報せは、二日ほどしてから届いた。街からの旅人によってもたらされ、そしてユリエは、その旅人が来るまで、ずっと放心していた。
何の覚悟もしていなかった。
いくら人は簡単に死ぬからといって、誰がいつ死んでもおかしくはない毎日だからといって、こんな別れが訪れるとは考えもしなかった。
平穏だけが取り柄のような村で。
小規模な諍いや犯罪とも言えないような犯罪、山に住む動物の被害などはあっても、どこもが日溜りのような平穏にあふれていて。
そう言うユリエを、旅人は気の毒そうに見ていた。
――皆そう言うんだ。でもそれは、突然訪れた。それは、密やかに人の心に忍び込む。そして、人々を殺戮して回る。忍び込まれた人は、人の心を持たなくなって。
一緒にこないかと、旅人に誘われた。
だがユリエは首を振って、断った。旅人の去った後に、一人で村人の亡骸を埋めて、墓を作る。ただひとつだけ見つからない遺体は、面倒見のいいトオルのものだった。
きっと、復讐を。
それだけを胸に、村を後にした。長く伸ばして、誰からも誉められた髪は、邪魔だから切って。風にそよぐのが好きだった長いスカートも、二度とはかないと決めて。
同じようにして荒廃する国を、ユリエは回っていった。
まるで世界の最期だと。それでも生きようとする人が、妙に哀しくて、愛しかった。けれどもそれはすべて、心の奥深くに突き刺さって、表面には決して出てこなかった。
生きるために、トオルを殺すために。ユリエは、どんなことでもした。人殺しだろうと、トオルのような人でないものを殺すことだろうと。血の臭いにも、慣れていった。
そして、トオルに再会したのだ。
あの時と同じように、一人で土を掘って、墓を作る。できることなら村に一緒に埋めたかったが、それは無理だった。そしてそれ以前に、村に戻ることはできなかった。
穢れているのは、トオルよりも、自分だから。
もう自分は人ではないのかもしれないと、ユリエは思うようになっていた。
長い間押し殺した心は、隅からひび割れて、今ではほとんど動かない。トオルを殺したときに流した涙も、その意味はわからなかった。ただ、泣いていた。それは、感情だろうか。
ユリエは、立ち上がった。墓を見るのではなく、行く先を見て。
「私は、生きる。みんなの分を、生きなければいけないから。私は、死ねない」
どんなことになっても。「生きる」為だけに「生きる」。
歩き出す。
決して、後ろを振り返ることはなかった。
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