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なく 2002/9/7
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泣くのは、笑うより易しかった。
そんな易しさ、認めないと思った。
「昴、準備できてる?」
「亜由美、羽根つけるの手伝って。うまくつかない」
白のズボンに白のシャツ、白い手作りの羽。昴は、鏡に映る自分を見て小首をかしげた。後ろで羽根の位置を調整してくれている亜由美も一緒に映っている。
「ねえ、天使に見える?」
「劇やってるときはちゃんと見えるわよ、心配しなくても」
「そう?」
「うん。今は、ただの昴だけどね」
ただのって…有料のあたしとかいるわけ?
思わずそう言ってしまいそうになる。小学校からの付き合いの亜由美は、そんなことを考えたのを見透かしたかのような笑顔になった。
「心配ないって。馬鹿なこと考えてないで、行かないと高良先輩が血管切れそうなくらい緊張してたわよ」
いくら役者をやったことがないからって。
同じ条件で、尚且つ演劇のことなど全く知らない自分達のほうが落ち着いていていいのかと、昴は少し悩んだ。が、長続きはしない。
大体、最後の舞台だからと、のせられはしたものの決めたのは本人なのだ。気づくと役者にされていた自分たちとは違う。
「ほら、早く」
村娘の婚礼衣装を着て長い髪を纏め上げた亜由美は、昴を促した。
今日は、年に一回の文化祭。演劇部の上演は、「祝福のゆうべ」という創作劇だ。
ファンタジーにあるようなヨーロッパ風のごく平凡な村の、結婚式。その日の騒動――例えば、強盗が飛び込んで来たり役場の婚姻届が紛失したり――を描く。最後は、娘を好きだった天使の台詞で終わる。
亜由美がその結婚する村娘で、高良という三年生が新郎。他に、役人と強盗、村人といった役が四人ほど。昴は、初めと最後だけ羽根をつけるが、他では羽を外し、村人として振る舞う。そういう役だ。
何故入って半年も経っていない昴たちがそれなりに重要な役についたかというと、偏に、二年生の裏方好きによる。
三年生が一人、二年生が五人、一年生が四人。二年生が裏方につきたがり、その結果、一年生は本人の希望に関係なく、全員役者に回された。
――まあ、最初から役者やりたかったからいいんだけど。
昴はそう思うが、自分に天使役が回ってきたのには納得がいかなかった。厭ではないが、天使というなら、よっぽど亜由美の方が似合うような気がする。
亜由美にそういうと、「昴の方が中性的で良かったんじゃない?」とあっさりと返された。
兄や幼馴染の影響か、男の子っぽいところがあるとは自覚していたが、中性的というのは初めてされる指摘だった。男女、ならいくらでも言われたが。
「なあ、なあ! どうしよう、あんなに人がいる…!」
「そりゃいますよ。文化祭って言っても、舞台見てるしかないんですから」
「高良先輩、いいかげん観念してくださいよー」
一年生と二年生、それぞれに声をかけられ、この中での年長者は、情けない顔をした。兄のものを拝借したという持参のタキシードが似合っている分だけ、余計に情けなく見える。
昴は、この部が好きだった。
高校に入ったらどうせバイトで部活はできないからと、中学だけでも部活に入るよう勧めてくれた兄に感謝すらしている。もっとも、選んだのは自分だが。
だが、この部活動のせいで家事が充分にできず、三つ年上で受験生の兄に迷惑をかけているのは事実だ。何かと器用な兄は、全くそんな素振りは見せないが。
両親ともに事故で亡くした昴は、保護者の叔母が国内外を飛び回っていることもあり、事実上兄と二人で暮らしている。
「昴、何で落ち着いてられんの。緊張しない?」
「え? いやあ、あんまり。それにあたし、もともと目立つのって嫌いじゃないですから」
「いいなあ、俺にもそれを少し分けてほしいよ。星とかも、度胸よさそうだしなあ」
「兄貴のは、図太いだけですって」
星からも同じことを言われていると、昴は知らない。似たもの兄妹だった。
星はバスケ部で高良との接点はあまりなかったのだが、今年度は同じクラスになり、昴が演劇部に入ったことから、いくらか喋るようになっていた。下の名前で呼ぶのは、単に「月原」が二人になってややこしいからに過ぎない。
「ああーっ、緊張するっ。亜由美ちゃん、台詞忘れたらフォローよろしく」
「はい」
情けなく見えるが、それでも、ここで「役者やるなんて言わなきゃよかった」と言い出さない高良が、昴は好きだった。
好きな人たちと好きなことができる。それだけで、嬉しくなる。お手軽な自分の性格に、少し感謝したくなる。
「さようなら。――どうか、あなたが幸せであるように」
そして、舞台が始まったときからずっと無表情だった「天使」はにっこりと笑い――涙を流す。「天使」が前を見つめたまま、ゆっくりと幕は降りていった。
幕の向こうで拍手が聞こえる中で、部員と文化祭の実行委員は、道具の撤収作業にかかっていた。余韻に浸るひまはない。次の演目の時間が迫っている。
「昴、大丈夫?」
「へ? 羽根なら、大丈夫だよ?」
「そうじゃなくて」
最初、最後のところは寂しそうに笑うという演出になっていた。それが泣く演技に変わり、昴が涙を流せることが分かると、今のようになった。
亜由美は、それが悲しいことを思い出して泣いているのかと、例えば両親のことを思い出して泣いているのかと、気遣ったのだ。
だが昴は、それには気付かず不思議そうに首を傾げた。
昴は、泣かなかった。
何かあっても、泣かない。封印でもしてしまったかのように、泣けなくなっていた。
それが、演技であればいくらでも泣けるのに気づいたのは、練習中のことだった。悲しくはないのだが、涙が出る。不思議な気分だった。
「昴、後でみんなで写真撮らない? カメラ持ってきたから」
「うん」
大道具の撤去は、まだ半分ほどが終わっただけだった。
そんな易しさ、認めないと思った。
「昴、準備できてる?」
「亜由美、羽根つけるの手伝って。うまくつかない」
白のズボンに白のシャツ、白い手作りの羽。昴は、鏡に映る自分を見て小首をかしげた。後ろで羽根の位置を調整してくれている亜由美も一緒に映っている。
「ねえ、天使に見える?」
「劇やってるときはちゃんと見えるわよ、心配しなくても」
「そう?」
「うん。今は、ただの昴だけどね」
ただのって…有料のあたしとかいるわけ?
思わずそう言ってしまいそうになる。小学校からの付き合いの亜由美は、そんなことを考えたのを見透かしたかのような笑顔になった。
「心配ないって。馬鹿なこと考えてないで、行かないと高良先輩が血管切れそうなくらい緊張してたわよ」
いくら役者をやったことがないからって。
同じ条件で、尚且つ演劇のことなど全く知らない自分達のほうが落ち着いていていいのかと、昴は少し悩んだ。が、長続きはしない。
大体、最後の舞台だからと、のせられはしたものの決めたのは本人なのだ。気づくと役者にされていた自分たちとは違う。
「ほら、早く」
村娘の婚礼衣装を着て長い髪を纏め上げた亜由美は、昴を促した。
今日は、年に一回の文化祭。演劇部の上演は、「祝福のゆうべ」という創作劇だ。
ファンタジーにあるようなヨーロッパ風のごく平凡な村の、結婚式。その日の騒動――例えば、強盗が飛び込んで来たり役場の婚姻届が紛失したり――を描く。最後は、娘を好きだった天使の台詞で終わる。
亜由美がその結婚する村娘で、高良という三年生が新郎。他に、役人と強盗、村人といった役が四人ほど。昴は、初めと最後だけ羽根をつけるが、他では羽を外し、村人として振る舞う。そういう役だ。
何故入って半年も経っていない昴たちがそれなりに重要な役についたかというと、偏に、二年生の裏方好きによる。
三年生が一人、二年生が五人、一年生が四人。二年生が裏方につきたがり、その結果、一年生は本人の希望に関係なく、全員役者に回された。
――まあ、最初から役者やりたかったからいいんだけど。
昴はそう思うが、自分に天使役が回ってきたのには納得がいかなかった。厭ではないが、天使というなら、よっぽど亜由美の方が似合うような気がする。
亜由美にそういうと、「昴の方が中性的で良かったんじゃない?」とあっさりと返された。
兄や幼馴染の影響か、男の子っぽいところがあるとは自覚していたが、中性的というのは初めてされる指摘だった。男女、ならいくらでも言われたが。
「なあ、なあ! どうしよう、あんなに人がいる…!」
「そりゃいますよ。文化祭って言っても、舞台見てるしかないんですから」
「高良先輩、いいかげん観念してくださいよー」
一年生と二年生、それぞれに声をかけられ、この中での年長者は、情けない顔をした。兄のものを拝借したという持参のタキシードが似合っている分だけ、余計に情けなく見える。
昴は、この部が好きだった。
高校に入ったらどうせバイトで部活はできないからと、中学だけでも部活に入るよう勧めてくれた兄に感謝すらしている。もっとも、選んだのは自分だが。
だが、この部活動のせいで家事が充分にできず、三つ年上で受験生の兄に迷惑をかけているのは事実だ。何かと器用な兄は、全くそんな素振りは見せないが。
両親ともに事故で亡くした昴は、保護者の叔母が国内外を飛び回っていることもあり、事実上兄と二人で暮らしている。
「昴、何で落ち着いてられんの。緊張しない?」
「え? いやあ、あんまり。それにあたし、もともと目立つのって嫌いじゃないですから」
「いいなあ、俺にもそれを少し分けてほしいよ。星とかも、度胸よさそうだしなあ」
「兄貴のは、図太いだけですって」
星からも同じことを言われていると、昴は知らない。似たもの兄妹だった。
星はバスケ部で高良との接点はあまりなかったのだが、今年度は同じクラスになり、昴が演劇部に入ったことから、いくらか喋るようになっていた。下の名前で呼ぶのは、単に「月原」が二人になってややこしいからに過ぎない。
「ああーっ、緊張するっ。亜由美ちゃん、台詞忘れたらフォローよろしく」
「はい」
情けなく見えるが、それでも、ここで「役者やるなんて言わなきゃよかった」と言い出さない高良が、昴は好きだった。
好きな人たちと好きなことができる。それだけで、嬉しくなる。お手軽な自分の性格に、少し感謝したくなる。
「さようなら。――どうか、あなたが幸せであるように」
そして、舞台が始まったときからずっと無表情だった「天使」はにっこりと笑い――涙を流す。「天使」が前を見つめたまま、ゆっくりと幕は降りていった。
幕の向こうで拍手が聞こえる中で、部員と文化祭の実行委員は、道具の撤収作業にかかっていた。余韻に浸るひまはない。次の演目の時間が迫っている。
「昴、大丈夫?」
「へ? 羽根なら、大丈夫だよ?」
「そうじゃなくて」
最初、最後のところは寂しそうに笑うという演出になっていた。それが泣く演技に変わり、昴が涙を流せることが分かると、今のようになった。
亜由美は、それが悲しいことを思い出して泣いているのかと、例えば両親のことを思い出して泣いているのかと、気遣ったのだ。
だが昴は、それには気付かず不思議そうに首を傾げた。
昴は、泣かなかった。
何かあっても、泣かない。封印でもしてしまったかのように、泣けなくなっていた。
それが、演技であればいくらでも泣けるのに気づいたのは、練習中のことだった。悲しくはないのだが、涙が出る。不思議な気分だった。
「昴、後でみんなで写真撮らない? カメラ持ってきたから」
「うん」
大道具の撤去は、まだ半分ほどが終わっただけだった。
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