地球と地球儀の距離

来条恵夢

文字の大きさ
上 下
5 / 95

なく 2002/9/7

しおりを挟む
 泣くのは、笑うよりやさしかった。
 そんな易しさ、認めないと思った。

 
スバル、準備できてる?」
亜由美アユミ、羽根つけるの手伝って。うまくつかない」

 白のズボンに白のシャツ、白い手作りの羽。昴は、鏡に映る自分を見て小首をかしげた。後ろで羽根の位置を調整してくれている亜由美も一緒に映っている。

「ねえ、天使に見える?」
「劇やってるときはちゃんと見えるわよ、心配しなくても」
「そう?」
「うん。今は、ただの昴だけどね」

 ただのって…有料のあたしとかいるわけ?
 思わずそう言ってしまいそうになる。小学校からの付き合いの亜由美は、そんなことを考えたのを見透みすかしたかのような笑顔になった。

「心配ないって。馬鹿なこと考えてないで、行かないと高良タカラ先輩が血管切れそうなくらい緊張してたわよ」

 いくら役者をやったことがないからって。
 同じ条件で、尚且なおかつ演劇のことなど全く知らない自分達のほうが落ち着いていていいのかと、昴は少し悩んだ。が、長続きはしない。
 大体、最後の舞台だからと、のせられはしたものの決めたのは本人なのだ。気づくと役者にされていた自分たちとは違う。

「ほら、早く」

 村娘の婚礼衣装を着て長い髪をまとめ上げた亜由美は、昴をうながした。

 今日は、年に一回の文化祭。演劇部の上演は、「祝福のゆうべ」という創作劇だ。
 ファンタジーにあるようなヨーロッパ風のごく平凡な村の、結婚式。その日の騒動――例えば、強盗が飛び込んで来たり役場の婚姻届が紛失したり――を描く。最後は、娘を好きだった天使の台詞せりふで終わる。
 亜由美がその結婚する村娘で、高良という三年生が新郎。他に、役人と強盗、村人といった役が四人ほど。昴は、初めと最後だけ羽根をつけるが、他では羽を外し、村人として振る舞う。そういう役だ。 
 何故入って半年も経っていない昴たちがそれなりに重要な役についたかというと、ひとえに、二年生の裏方好きによる。
 三年生が一人、二年生が五人、一年生が四人。二年生が裏方につきたがり、その結果、一年生は本人の希望に関係なく、全員役者に回された。

 ――まあ、最初から役者やりたかったからいいんだけど。

 昴はそう思うが、自分に天使役が回ってきたのには納得がいかなかった。いやではないが、天使というなら、よっぽど亜由美の方が似合うような気がする。
 亜由美にそういうと、「昴の方が中性的で良かったんじゃない?」とあっさりと返された。
 兄や幼馴染の影響か、男の子っぽいところがあるとは自覚していたが、中性的というのは初めてされる指摘だった。男女、ならいくらでも言われたが。

「なあ、なあ! どうしよう、あんなに人がいる…!」
「そりゃいますよ。文化祭って言っても、舞台見てるしかないんですから」
「高良先輩、いいかげん観念してくださいよー」

 一年生と二年生、それぞれに声をかけられ、この中での年長者は、情けない顔をした。兄のものを拝借したという持参のタキシードが似合っている分だけ、余計に情けなく見える。
 昴は、この部が好きだった。
 高校に入ったらどうせバイトで部活はできないからと、中学だけでも部活に入るよう勧めてくれた兄に感謝すらしている。もっとも、選んだのは自分だが。
 だが、この部活動のせいで家事が充分にできず、三つ年上で受験生の兄に迷惑をかけているのは事実だ。何かと器用な兄は、全くそんな素振りは見せないが。
 両親ともに事故で亡くした昴は、保護者の叔母が国内外を飛び回っていることもあり、事実上兄と二人で暮らしている。

「昴、何で落ち着いてられんの。緊張しない?」
「え? いやあ、あんまり。それにあたし、もともと目立つのって嫌いじゃないですから」
「いいなあ、俺にもそれを少し分けてほしいよ。セイとかも、度胸よさそうだしなあ」
「兄貴のは、図太いだけですって」

 星からも同じことを言われていると、昴は知らない。似たもの兄妹だった。
 星はバスケ部で高良との接点はあまりなかったのだが、今年度は同じクラスになり、昴が演劇部に入ったことから、いくらか喋るようになっていた。下の名前で呼ぶのは、単に「月原ツキハラ」が二人になってややこしいからに過ぎない。

「ああーっ、緊張するっ。亜由美ちゃん、台詞忘れたらフォローよろしく」
「はい」

 情けなく見えるが、それでも、ここで「役者やるなんて言わなきゃよかった」と言い出さない高良が、昴は好きだった。
 好きな人たちと好きなことができる。それだけで、嬉しくなる。お手軽な自分の性格に、少し感謝したくなる。


「さようなら。――どうか、あなたが幸せであるように」

 そして、舞台が始まったときからずっと無表情だった「天使」はにっこりと笑い――涙を流す。「天使」が前を見つめたまま、ゆっくりと幕は降りていった。

 幕の向こうで拍手が聞こえる中で、部員と文化祭の実行委員は、道具の撤収作業にかかっていた。余韻にひたるひまはない。次の演目の時間が迫っている。

「昴、大丈夫?」
「へ? 羽根なら、大丈夫だよ?」
「そうじゃなくて」

 最初、最後のところは寂しそうに笑うという演出になっていた。それが泣く演技に変わり、昴が涙を流せることが分かると、今のようになった。
 亜由美は、それが悲しいことを思い出して泣いているのかと、例えば両親のことを思い出して泣いているのかと、気遣ったのだ。
 だが昴は、それには気付かず不思議そうに首を傾げた。

 昴は、泣かなかった。
 何かあっても、泣かない。封印でもしてしまったかのように、泣けなくなっていた。
 それが、演技であればいくらでも泣けるのに気づいたのは、練習中のことだった。悲しくはないのだが、涙が出る。不思議な気分だった。

「昴、後でみんなで写真撮らない? カメラ持ってきたから」
「うん」

 大道具の撤去は、まだ半分ほどが終わっただけだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話

赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)

私の夫を奪ったクソ幼馴染は御曹司の夫が親から勘当されたことを知りません。

春木ハル
恋愛
私と夫は最近関係が冷めきってしまっていました。そんなタイミングで、私のクソ幼馴染が夫と結婚すると私に報告してきました。夫は御曹司なのですが、私生活の悪さから夫は両親から勘当されたのです。勘当されたことを知らない幼馴染はお金目当てで夫にすり寄っているのですが、そこを使って上手く仕返しします…。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

結婚して四年、夫は私を裏切った。

杉本凪咲
恋愛
パーティー会場を静かに去った夫。 後をつけてみると、彼は見知らぬ女性と不倫をしていた。

家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。

春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。 それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

処理中です...