第十一隊の日々

来条恵夢

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一章

第十一隊のこと 5

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「よー、元気してっかー」
「なんだってあんたがこんなとこいるんですかっ仕事は?!」
「してるに決まってんだろ。何その化物見たみたいなカオ」
 うらあ、と声に出して、リツは怪我人のベッドに頭から飛び込んだ。いくらそろそろ退院とはいえ、全身の打撲やら骨折やらで病院に運び込まれた人間にやることではない。いやそもそも、病室でやってはいけないことに違いない。大部屋なのに他に人がいないことに、ルカは感謝した。
「……っ、あんたなっ、俺の入院長引かせに来たんですかもしかして!」
「まっさかー。溜まりに溜まった書類もお前を待ってるぜ?」
「あ…あれほど溜めるなって…!」
 間一髪、とても器用にベッドから起き上がらずぎりぎり落ちることもなくリツの回避に成功した青年――第十一隊勤務五年目の副隊長、フワ・ソウヤは、さわやかな青年を絵に描いたような顔に、盛大に険を浮かべてリツを睨みつけた。
 同じベッドの上で楽しげに笑うリツは、仲のいいお兄ちゃんにいたずらを仕掛けた少女のようだが、それほどほのぼのとしたものではない。とりわけ今のソウヤにとっては、地獄からの使者でもおかしくないのではないか。
 二人まとめて上司の上にとても親密でどこか張り詰めている二人の間に、まさかルカが割り入れるはずがない。虚しく、ただただ立ち尽くす。壁一枚隔てた廊下は明るくざわめいているというのに、この心寒さは何事だろう。
「…もういい。もういいです、アリの触角の先ほどにも、あんたに期待した俺が馬鹿でした」
「おー。よくわかってんじゃねーか」
「よっくわかりました。わかったんで、とにかく降りてください。邪魔です。俺の入院長引かせたところで、あんたにゃ何の得もないでしょうよ」
「そーでもないぜー? のびのびできていーぞー、小姑こじゅうといねーと」
「小姑ってのは配偶者の妹か姉でしょ。勝手に俺の性別変えないでください」
 問題はそこなのか、と期せず傍観者になったルカは思うが、口に出して突っ込む勇気はない。その間に、軽口をたたきながらも、リツはベッドを降りた。足を揃えて飛び降りるところが、やはり子どもっぽい。
 最後まで警戒した視線をリツに向けていたソウヤは、リツがベッドから離れるとようやく、息を吐いて元の位置、つまりベッドの中央に戻る。
 リツは、ルカの元に歩み寄って来たかと思うと肩に手を回し、そのまま引っ張って再びソウヤの枕元に戻った。寝転んだままびくりと、ソウヤが身構える。これも条件反射なのだろうか。
 リツが、そんな反応に気を払う様子はなかった。楽しげだが、密着しているせいで密かに胸が当たっているルカは気が気ではない。感触はいいが、それと知られたときに怒られるのか呆れられるのか。むしろ、気にすんなよーとでも笑い飛ばされた方が、落ち込む気もする。
「こいつ」
 ルカの気も知らず、リツは、一層身体をくっつけてソウヤにルカを示す。
「覚えてるか」
「…ルカ君? もしかして、本当に? 本物? 俺の可哀想な幻想とかリッさんのあくどい幻術とかじゃなくて?」
「お前な。なんだって俺がそんなめんどくせーことせにゃならん。正真正銘の本物だ」
 いや僕物ですか。
 流れでついつい口にしかけた言葉を飲み込む。ルカは何故か、冷や汗をかいた。
 入院のせいでリツよりも短く、ほんの一週間程度しかルカはソウヤとは接していないが、しかしこんな人だっただろうか。
 いつもこざっぱりとしたさわやかなたたずまいで、常といっていいほどの笑顔。体つきはがっしりとして背も高いが、不思議と威圧感がなかった。いつも穏やかで、もっと――常識人のように思っていたのだが。
 ソウヤは、リツ相手には意地でも寝たままだったというのにわざわざ身体を起こし、眼帯で覆われたせいで片目しかない青い眼で、まじまじとルカを見つめた。確かめるように伸ばした手でルカに触れると、ふっと、晴れやかに笑った。
「そうか、良かったぁ。てっきり、俺が戻る頃には、君は異動してると思ってたよ」
「だろ?」
「いやあもう、俺、この先もずっとリッさんと二人きりかなーなんて暗澹あんたんとしてたよ。猛獣使いじゃないんだからさあ」
「おいソウヤ」
「よかったよかった。大変だけど、本当に大変だけど、一緒に頑張ろうね」
 いやに実感のこもった「大変」の繰り返しもリツの目つきも気になったが、ごく自然にソウヤが手を差し出したものだから、思わずルカも手を出す。握ったその上にリツの手が重ねられ、ソウヤが顔をしかめた。
「なんですか、疫病神」
「ちょっ、頑張るなら俺も一緒だろ?」
「あんたは迷惑しかかけないでしょ。むしろ俺は、ルカ君と二人でやっていきたいくらいですよ」
「そんなこと言うとぐれるぞ!?」
「それ以上?」
 ふふん、と笑うソウヤに、リツがふくれっ面を返す。妙な緊張感はあるが、険悪さはない。こらえ切れずに笑ったルカを見て、リツが余計にむくれた。すたすたと、戸口に向かって歩き出す。
「隊長?」
「ちょっと出て来る。帰んなよ、待ってろよ?」
「はい」
 妙な念押しに内心首を傾げつつ、その背に返事をする。戸を開けるために一度立ち止まったリツは、不意に振り向くと、手を振った。
「後はたのむな、ソウヤ」
 ソウヤが応えるよりも先に、いくらか派手に音を立てて戸がスライドし、小さな力強い背中は見えなくなった。
 ぽかんと、呆気に取られたルカは、ソウヤに視線を戻した。思わず、問いかけるようなものになる。
「そこ、折り畳み椅子があるから座りなよ。それと、向かいのベッドから枕を一つ持って来てもらえると助かる。空きベッドだから遠慮はいらないよ」
「はい」
「この部屋、一人は昨日亡くなって一人が今朝容態急変で集中治療室、一人は手術中で二人は検査に行ってるしね。残り三つは今は開いてるんだ」
 ソウヤはにこやかに言うが、同室者の状態と集中治療室からの近さを考えると、ソウヤの状態もあまりよくないのかもしれない。
 おそるおそる枕を手渡すと、にっこりと微笑んだ。
「心配した? 大丈夫大丈夫、集中治療室から移るとき、たまたまここしか空いてなかっただけなんだ。ははは、怒った?」
「…いえ」
 結局、重症だったことには違いない。ルカは何も知らずのうのうと、役に立たなかった訓練をしていたというのに。ソウヤのことはただ、階段から落ちて入院したとだけ聞かされ、ルカもそれ以上は訊かなかった。
 暗い顔でパイプ椅子に座ったルカを、背に枕二つを入れて上体を起こしやすくしたソウヤは、気まずげに見遣った。
「あー。とりあえず、その死にそうなかおやめようか? それじゃあ、俺より君の方が体調悪そうだ」
「…すみません」
「いえいえ。俺が、辛気臭いの好きじゃないだけだし。本当に、俺、もう少しで退院だしね」
「でも…すみません、知らなくて…知ろうとしなくて…!」
 身体を最大限折り曲げたルカの頭上で、ぷ、と、噴き出す音がした。続いて、笑いをこらえ、こらえすぎてむせた様子までありありと判ってしまった。
 ゆっくりと顔を上げると、ソウヤが肩をふるわせ、時折痛みに呻きながら、やはり笑っていた。
 どのくらいか、黙然とルカが待っていると、徐々に笑いをおさめ、やがてにっこりと、笑顔でソウヤが顔を上げた。
「いやあ、ごめん。怒った?」
「いえ。怒った方が良かったですか?」
 挑発されているのだろうかと思いつつ、ルカが怒気なく返すと、ソウヤはまた、くすりと笑った。
「いや、お好きなように。ああ、これは嫌味じゃなくてね。リッさん、口悪いだろう?」
「はい」
「あれと同じで、性格悪いのは俺の基本だから。下手に取り繕った対応してると後々辛くなるよ、っていうのは素直な忠告」
「ありがとうございます」
「君はそれ、地?」
 素朴な疑問、と付け加えたくなるほどにあっさりと訊いたソウヤは、心なし、目を光らせている。
 ルカは肩をすくめた。
「どうでしょう。対する人によっても変わります。そういうものでしょう?」
「ふうん」
 なるほどねえ、とソウヤが呟く。
 不意にソウヤは、見舞い客が持って来たらしい果物の詰め合わせを指さした。
「むいてくれるかな。ナイフと皿はそこの引き出しに入ってるから、食べよう」
「はい。どれにしますか?」
「君、パシリとかにされなかった?」
「厭なことは断ってますよ。そこまで付き合いはよくないです。ちなみに今は、喧嘩を売られてても買いません」
「俺が上司だから?」
「怪我人の上に上司で先輩だからです。それに、信用できないのは仕方ないです。隊長にも、全然期待してなかったって言われました。ご迷惑でも、よろしくお願いします」
 とりあえずルカは、赤い林檎を手に取ってむいた。白と赤のコントラストに、つい、兎の耳を残してしまう。そのことに気付いたのは、皿にのせてソウヤに差し出した後だった。
 兎に見えるようにむかれた林檎に、ソウヤは目を見張り、笑った。
「かわいいね」
「すみません、つい。むき直します」
「いや、これがいい。小さいきょうだいでもいるの?」
「そんなところです。いちいち歓声を上げてくれるものだから、つい…」
「楽しそうでいいね」
 当たり障りのないこたえだが、ルカは、笑顔で頷いた。
 取り得もない自分を、無条件に受け容れてくれる家族たち。ルカがリツに話した入団理由に嘘はない。入団すると寮生活になってしまうのが、厭で仕方がなかったくらいだ。
 そういったつながりを知っているからこそ、ルカはもう一度頭を下げた。
「本当に、すみません。入院されていることは知っていたのに、一度も」
「いいよ。訊いたところで、リッさんも詳しいことは言わなかっただろうし」
 林檎兎を珍しそうに眺め回した末に一つをかじったソウヤは、皿ごとルカにも勧めた。爽やかな噛みごたえと、つまった果汁が口に広がる。
「本当に失礼な話だけど、俺もリッさんも、いつものようにすぐに他に行くと思ってたからね。妙に気にされても困ると思ってたんだよ。悪いね」
「いえ。本当に使えませんから、自分は。…昨日参加した実戦で、隊長に怪我を負わせました」
「あー、なるほど」
 うんうんと、ソウヤは頷いた。林檎を齧りながら。
「それで流れがわかった。早く辞めるか移れって言われて、残るって言ったわけだ。物好きだねえ」
「自分が――」
「待った、それなし。いいよ、俺だって俺って言ってるし。リッさんにしてからがあれだからね。場所だけに気を払えば十分。君も好きじゃないでしょ、それ」
「…はい」
「その方がうちには向いてるよ」
 笑いながらウサギたちを順に胃袋に送り込んでいってしまい、ルカは、追加でもう一つむいてみた。
 楽しそうなソウヤは、ルカの手元をじっと見ている。
「迷惑、でしたか?」
「え?」
 ソウヤが顔を上げるが、ルカはナイフに目を落としたままだ。半分は既に兎に向き終え、もう半分は皮を全てむこうとしている。
「ルカ君」
「――はい」
 真剣味を帯びたソウヤの声にようやく、ルカも顔を上げる。青い片目は、真っ直ぐにルカを射抜く。
「歓迎するよ。もちろん、君が努力することを前提としてだけど。庇われるだけの隊員なんていらないからね。そこのところは、わかるね?」
「はい。守られるためじゃなくて、守りたいから、兵団に入ったんです」
 ふわと、強かったソウヤの目が和らぐ。ルカは密かに、安堵の息を吐いた。
「それなら喜んで。いや本当、あの人のおもりが分散できるだけでも大助かりだよ。辞めていったうちの何人かは、リッさんに恐れをなしてだからねえ。いいのは見栄えだけだよ、あの人」
「それならどうして、副隊長はここにいらっしゃるんですか?」
「ソウヤで。敬語も平気なら省いて。…それねえ、俺もよく思うけど、どうにも気が合うんだよね。人当たりのいい振りしなくていい上司なんて貴重だし。他のところでこれだけ好き勝手言ったりしたら、下手したら即刻クビだよ」
 からからと笑うが、ルカには、ソウヤがそこまで人を選ぶようには見えなかった。入院中も、いないと知られていても言伝は多く、今も、たくさんの見舞い品が届けられている。
 ソウヤは、訝しげなルカに苦笑を見せた。
「言っただろう。性格悪いんだよ、俺。本当は。でも、それを前に出すと色々と不便だからね。そうやって八方美人やってると、建前のいらない付き合いってのは貴重なんだ。君にも期待してるよ、よろしくね」
「光栄です、ということにしておきます」
「ありがとう」
 少しの間、沈黙が降りた。気まずいものではなく、ルカは黙々と、早くも空いた皿に、皮をむいて房ごとに切り分けたオレンジをのせていく。
 そうして、ふと気付く。
「――隊長、遅いですね」
「うん。さて、本題に入らないとね」
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