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着せ替え人形
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玄関まで来て、上がってよいのかと迷っていると、母親が濡れタオルを差し出してきた。
「足と……それと、体もなるべく拭いてください。服は、もうしょうがないので結構ですから」
「あ……ありがとうございます。えっと」
「ネリウム・ペレンニスです。娘はベリス」
「ペレンニスさん、ありがとうございます」
「……すぐに支度しますから。タオルはその辺に置いておいてください」
ネリウムは目も合わせず、キッチンへ向かった。やはり、居心地が悪い。夕食をご馳走になるという大義名分を済ませたら、さっさと出ていこう。そう思いながら、念入りに足を拭いた。露出した肌の部分もごしごしと拭く。拭いたタオルが汚れているのを見て、情けなさに声も出なかった。
「お姉ちゃん! こっちに来て!」
部屋の中からベリスが駆けてきて、サラの腕を引いた。サラは連れられるがまま、リビングの横にある小さな部屋にやってきた。
ピンクと白を基調とした部屋を見て、ここがベリスの部屋だと分かった。ベリスは大きな箱を取り出して、中身を探る。あれじゃないこれじゃない、と箱から出されるのは、たくさんのおもちゃだった。
──すごい量。
サラはそのおもちゃの山を見て、ベリスがいかに親に愛されているのか分かった気がした。
「あったぁ!」
ベリスがニコニコと見せてきたのは、一体の着せ替え人形だった。ずいぶんと使われているようだったが、傷んでいるという程でもない。茶色の長い髪はツインテールにされており、可愛いリボンがかけられていた。洋服は、フリルがたくさん使われた女の子らしいデザインのものだ。
「お洋服もね? こぉんなにたくさんあるんだ!」
そう言うと、ベリスは違う箱を逆さにして中身を全部出した。色とりどりの人形の洋服が床に散らばる。どれもこれもスカートやワンピースのもので、全部可愛らしい、むしろ可愛すぎると言っていいものばかりだった。
「……可愛いね」
「でしょー? 全部ママに買ってもらったの!」
すごく楽しそうにベリスは笑う。恨めしいくらい愛されて育ったベリスを、直視できなかった。
「どれか着せてほしいお洋服ある? お姉ちゃんが言ったお洋服着せてあげる!」
「……えーっとね」
正直、早く出ていきたいし、あまり馴れ合いたくない。この子と一緒にいると──自分の惨めさが浮き彫りにされるようで。
サラは選ぶふりをしながら、適当に目についたものに指を差した。
「これがいいかな」
サラが指差したのは、スカートの部分がふんわりとした、胸元に大きなリボンがついた緑のドレスだった。
「うん! これ、ベリスもお気に入りなの!」
そう言いながら、今着ている服を脱がし、緑のドレスを着せ始めた。
「やぁだ、あんた趣味悪い!」
「え?」
突然声がして、サラは思わず返事をした。手を止めて、不思議そうに首を傾げるベリスを見るかぎり、声の主はベリスではない。考えられるのは、ただ一つ。
──この人形だわ。
サラは人形を凝視した。開口一番「趣味悪い」だなんて、失礼な人形だ。
「ねぇ、ベリスちゃん。その子、名前は?」
洋服を着せながら、ベリスは笑う。
「この子、イオナって言うんだ。お姉ちゃんは?」
「あ……私? 私は、サラ」
「サラお姉ちゃん! 名字は?」
穢れのない純粋さは、時に人を傷つける。サラはどう答えようかと少し迷って俯いた。
「名字は……分からないの」
「へぇ? 変なのね」
何気ない一言が、サラにはきつい。私は、やはり変なのか。記憶を持たない私は。
──私は、誰なの。
険しくなる表情を悟られないように顔を背けた。
「ベリスー、ちょっとお手伝いしてくれる?」
「はーい! お姉ちゃん、イオナのお着替えしててもいいよ!」
ベリスはイオナをサラに渡すと、とことことキッチンに向かった。ネリウムは、サラがベリスの部屋にいるから、安心したのだろう。他の部屋だったらきっと、何か盗まれるのではないかと気が気じゃないはずだ。
──不本意とはいえ匿ってくれた家の人のものを盗むわけはないのに。
サラは拳を握った。
「ねぇ、あんたサラって言うんでしょ?」
イオナがさも当然のように話し掛けてきて、少し焦る。サラは小さく頷いた。
「ちょうどいいわ、サラ。ちょっと違うの着せてよ。それがいいわ、その、白いタイトスカート」
イオナが言ったのは、フリルも何もついていない、シンプルなタイトスカートだった。サラは言われたとおり、背中に付いたマジックテープを外し、イオナに着せた。
「ふう。やっと落ち着いた服が着れた。ありがとね、サラ」
「えと……どういたしまして」
さっきまでフリフリの服にツインテールだったからか、ハキハキとものを言うイオナに、少し違和感を覚えた。それにしても、やっと、とはどういう意味だろう。
「あんたも信じられないでしょ? 持ち主の服のセンス! まじあり得ない!」
「ベリスの選んだ服のこと? それは……確かに偏った趣味だとは思うけれど」
「あたしこういうフリフリの服大っ嫌いなのよね! 本当、嫌になるったら!」
今着てる一番マシなのだって、他の服の付属品だし。イオナはグチグチと言う。
サラはイオナを見やる。女の子用の着せ替え人形だし、フリフリの服が似合わないわけではない。しかし、本人が気に入らないと言うのだから、何と言っても無駄だろう。
「たまにさぁ、あの子の友達の人形とかが来るわけよ。で、その子らはあたし的に好みの服着てるわけ。それがもう嫌で嫌で」
──あれ?
イオナの言葉に、引っ掛かる。
──『いいなぁ。羨ましいなぁ』。
この感情を、私は知っている? 自分にはないものを、なくても手に入らないものを、望む声。
少しずつ、頭が痛みだした。
「あたしだってさ、いろんな服が着たいのよ? シンプルなものだって着たいし、ボーイッシュなパンツスタイルもしてみたい。髪型だって、自分でどうにかしたい」
ズキン。しだいに大きくなる頭痛。
人形の声に必死にかじりつく。
「でも──あたしには選ぶ権利も、決める権利もないの。あの子が着せたい服を着せられるだけ。あたしは、いつもいつも我慢しなきゃいけないの」
痛みがピークを迎えて、サラの頭の中は真っ白になった。
* * *
「足と……それと、体もなるべく拭いてください。服は、もうしょうがないので結構ですから」
「あ……ありがとうございます。えっと」
「ネリウム・ペレンニスです。娘はベリス」
「ペレンニスさん、ありがとうございます」
「……すぐに支度しますから。タオルはその辺に置いておいてください」
ネリウムは目も合わせず、キッチンへ向かった。やはり、居心地が悪い。夕食をご馳走になるという大義名分を済ませたら、さっさと出ていこう。そう思いながら、念入りに足を拭いた。露出した肌の部分もごしごしと拭く。拭いたタオルが汚れているのを見て、情けなさに声も出なかった。
「お姉ちゃん! こっちに来て!」
部屋の中からベリスが駆けてきて、サラの腕を引いた。サラは連れられるがまま、リビングの横にある小さな部屋にやってきた。
ピンクと白を基調とした部屋を見て、ここがベリスの部屋だと分かった。ベリスは大きな箱を取り出して、中身を探る。あれじゃないこれじゃない、と箱から出されるのは、たくさんのおもちゃだった。
──すごい量。
サラはそのおもちゃの山を見て、ベリスがいかに親に愛されているのか分かった気がした。
「あったぁ!」
ベリスがニコニコと見せてきたのは、一体の着せ替え人形だった。ずいぶんと使われているようだったが、傷んでいるという程でもない。茶色の長い髪はツインテールにされており、可愛いリボンがかけられていた。洋服は、フリルがたくさん使われた女の子らしいデザインのものだ。
「お洋服もね? こぉんなにたくさんあるんだ!」
そう言うと、ベリスは違う箱を逆さにして中身を全部出した。色とりどりの人形の洋服が床に散らばる。どれもこれもスカートやワンピースのもので、全部可愛らしい、むしろ可愛すぎると言っていいものばかりだった。
「……可愛いね」
「でしょー? 全部ママに買ってもらったの!」
すごく楽しそうにベリスは笑う。恨めしいくらい愛されて育ったベリスを、直視できなかった。
「どれか着せてほしいお洋服ある? お姉ちゃんが言ったお洋服着せてあげる!」
「……えーっとね」
正直、早く出ていきたいし、あまり馴れ合いたくない。この子と一緒にいると──自分の惨めさが浮き彫りにされるようで。
サラは選ぶふりをしながら、適当に目についたものに指を差した。
「これがいいかな」
サラが指差したのは、スカートの部分がふんわりとした、胸元に大きなリボンがついた緑のドレスだった。
「うん! これ、ベリスもお気に入りなの!」
そう言いながら、今着ている服を脱がし、緑のドレスを着せ始めた。
「やぁだ、あんた趣味悪い!」
「え?」
突然声がして、サラは思わず返事をした。手を止めて、不思議そうに首を傾げるベリスを見るかぎり、声の主はベリスではない。考えられるのは、ただ一つ。
──この人形だわ。
サラは人形を凝視した。開口一番「趣味悪い」だなんて、失礼な人形だ。
「ねぇ、ベリスちゃん。その子、名前は?」
洋服を着せながら、ベリスは笑う。
「この子、イオナって言うんだ。お姉ちゃんは?」
「あ……私? 私は、サラ」
「サラお姉ちゃん! 名字は?」
穢れのない純粋さは、時に人を傷つける。サラはどう答えようかと少し迷って俯いた。
「名字は……分からないの」
「へぇ? 変なのね」
何気ない一言が、サラにはきつい。私は、やはり変なのか。記憶を持たない私は。
──私は、誰なの。
険しくなる表情を悟られないように顔を背けた。
「ベリスー、ちょっとお手伝いしてくれる?」
「はーい! お姉ちゃん、イオナのお着替えしててもいいよ!」
ベリスはイオナをサラに渡すと、とことことキッチンに向かった。ネリウムは、サラがベリスの部屋にいるから、安心したのだろう。他の部屋だったらきっと、何か盗まれるのではないかと気が気じゃないはずだ。
──不本意とはいえ匿ってくれた家の人のものを盗むわけはないのに。
サラは拳を握った。
「ねぇ、あんたサラって言うんでしょ?」
イオナがさも当然のように話し掛けてきて、少し焦る。サラは小さく頷いた。
「ちょうどいいわ、サラ。ちょっと違うの着せてよ。それがいいわ、その、白いタイトスカート」
イオナが言ったのは、フリルも何もついていない、シンプルなタイトスカートだった。サラは言われたとおり、背中に付いたマジックテープを外し、イオナに着せた。
「ふう。やっと落ち着いた服が着れた。ありがとね、サラ」
「えと……どういたしまして」
さっきまでフリフリの服にツインテールだったからか、ハキハキとものを言うイオナに、少し違和感を覚えた。それにしても、やっと、とはどういう意味だろう。
「あんたも信じられないでしょ? 持ち主の服のセンス! まじあり得ない!」
「ベリスの選んだ服のこと? それは……確かに偏った趣味だとは思うけれど」
「あたしこういうフリフリの服大っ嫌いなのよね! 本当、嫌になるったら!」
今着てる一番マシなのだって、他の服の付属品だし。イオナはグチグチと言う。
サラはイオナを見やる。女の子用の着せ替え人形だし、フリフリの服が似合わないわけではない。しかし、本人が気に入らないと言うのだから、何と言っても無駄だろう。
「たまにさぁ、あの子の友達の人形とかが来るわけよ。で、その子らはあたし的に好みの服着てるわけ。それがもう嫌で嫌で」
──あれ?
イオナの言葉に、引っ掛かる。
──『いいなぁ。羨ましいなぁ』。
この感情を、私は知っている? 自分にはないものを、なくても手に入らないものを、望む声。
少しずつ、頭が痛みだした。
「あたしだってさ、いろんな服が着たいのよ? シンプルなものだって着たいし、ボーイッシュなパンツスタイルもしてみたい。髪型だって、自分でどうにかしたい」
ズキン。しだいに大きくなる頭痛。
人形の声に必死にかじりつく。
「でも──あたしには選ぶ権利も、決める権利もないの。あの子が着せたい服を着せられるだけ。あたしは、いつもいつも我慢しなきゃいけないの」
痛みがピークを迎えて、サラの頭の中は真っ白になった。
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