6 / 27
着せ替え人形
01
しおりを挟む
パペとマペと別れて二日が経った。サラは町で食べ物を探し彷徨い歩いていたが、もう空腹で倒れそうだった。
あの公園にはあれ以来行っていない。またパペとマペを見たら、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
立っていられなくなり、サラは建物の影に座り込んだ。背中に煉瓦のひんやりとした感触が伝わる。
サラは小さくため息を吐いた。少しずつ、本当に少しずつ記憶の欠片が戻りつつあるが、決定的なものは分からずじまいだ。結局自分が何者で、何故今こんな姿でいるのかは分からない。
──シュリーマン一家。
あの女性が口にした人名と思われる単語。それを辿れば、自分に近付けるだろうか。……しかし、辿るすべがない。人は、いつだってサラの話なんか聞いてくれないのだから──。
こんな所で、空腹で倒れたまま消えていくのだろうか? 自分の末路を想像して、自嘲気味に笑った。
「──お姉ちゃん、どうしたの?」
急に声が降ってきて、サラは勢い良く顔を上げた。
そこには、4、5歳かと思われる少女がサラを見下ろして立っていた。大きな目をクリクリとさせて、興味深そうにサラを見ている。
──この子……。
サラは少女を見て息を飲んだ。この顔には見覚えがある。
『ねぇ、ママー、お人形さんにお菓子買わせてあげてー』
『もう、しょうがないわね』
そんな会話をしながら、パペとマペの芸を見ていた親子連れの娘だ。少女の方はサラのことには気付いていないようだが。
「あ……、何でも、ないの。ただ、お腹がすいているだけで」
サラがそう言うと、少女は驚いたようだった。
「お腹すいてるの? 大変!」
そう言うと、少女は自身の服のポケットを探る。しかし何も入っていなかったようで、哀しげに眉尻を下げた。すると、少し考えるようにした後、
「ちょっと待ってて!」
と駆けていってしまった。
「あっ……ちょっと」
サラは慌てて引き止めようとしたが、少女は聞く耳持たずで姿を消した。追い掛けようにも、体が動かない。サラは行き場の無い手を下ろし、ため息を吐いた。
──放っておこう。きっとあんな小さい子には何もできない。
サラはぼうっと宙を眺めた。
「──こっちこっち!」
遠くでさっきの少女が何か言っているのが聞こえた。声のするほうを見てみると、少女が母親の手をとりこちらに向かっているところだった。
──っ!
サラは目を見張る。まさか母親をつれてくるとは思わなかった。慌てて逃げ出そうとするも、少女がこちらに到着するほうが早かった。
言葉につまる。視線がかち合った少女の母親が、一瞬表情を歪めたのがわかったのだ。
「ママー、この人ねー? お腹すいてるんだって! 今、夕飯のお買物終わったでしょ? だからごちそうしてあげようよ! ねー? いいでしょママー」
少女が母親の手を揺さ振った。おそるおそる母親の顔を見上げる。固まった表情を和らげようとしているのか、頬の筋肉をピクピクとさせていた。思っていることが洩れてくるようだった。──本当ならば断りたい。だが、娘の前で人に冷たい態度はとれない。『いい母親』でいたい。
「わっ……私は、大丈夫ですから、そのっ……!」
「何でー? 大丈夫じゃないよぅ、だって、今お腹すいて動けないんでしょ? それに、お洋服も汚れてるし、可哀相だよぅ、ねぇママー?」
「え……、えぇ……そうね」
母親がぎこちなく微笑んだ。少女の厚意が、すごく痛い。
「お家もすぐそこだし、いいでしょ?」
「えと……」
「お姉ちゃん、心配しなくてもいいんだよ! ママはすっごく優しいし、お料理もすっごくうまいんだから!」
少女の無垢な思いが、母親を黙らせた。サラはばつが悪くて俯く。
「ね? ママー」
長い長い沈黙の後、母親は小さく頷いた。明らかな作り笑いだった。
「やった! お姉ちゃん、よかったね! 行こう!」
「あ……」
少女は嬉々としてスキップで先をゆく。サラは自力で立ち上がれず、困ったように呟いた。
すると、母親が無言で手を差し出した。少し迷って、サラはその手をとって立ち上がる。
「こっちです」
目を合わせずに、母親は歩きだした。母親が、サラが触れた手を服でそっと拭うのを見てしまい、サラは哀しげに俯いた。
* * *
あの公園にはあれ以来行っていない。またパペとマペを見たら、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
立っていられなくなり、サラは建物の影に座り込んだ。背中に煉瓦のひんやりとした感触が伝わる。
サラは小さくため息を吐いた。少しずつ、本当に少しずつ記憶の欠片が戻りつつあるが、決定的なものは分からずじまいだ。結局自分が何者で、何故今こんな姿でいるのかは分からない。
──シュリーマン一家。
あの女性が口にした人名と思われる単語。それを辿れば、自分に近付けるだろうか。……しかし、辿るすべがない。人は、いつだってサラの話なんか聞いてくれないのだから──。
こんな所で、空腹で倒れたまま消えていくのだろうか? 自分の末路を想像して、自嘲気味に笑った。
「──お姉ちゃん、どうしたの?」
急に声が降ってきて、サラは勢い良く顔を上げた。
そこには、4、5歳かと思われる少女がサラを見下ろして立っていた。大きな目をクリクリとさせて、興味深そうにサラを見ている。
──この子……。
サラは少女を見て息を飲んだ。この顔には見覚えがある。
『ねぇ、ママー、お人形さんにお菓子買わせてあげてー』
『もう、しょうがないわね』
そんな会話をしながら、パペとマペの芸を見ていた親子連れの娘だ。少女の方はサラのことには気付いていないようだが。
「あ……、何でも、ないの。ただ、お腹がすいているだけで」
サラがそう言うと、少女は驚いたようだった。
「お腹すいてるの? 大変!」
そう言うと、少女は自身の服のポケットを探る。しかし何も入っていなかったようで、哀しげに眉尻を下げた。すると、少し考えるようにした後、
「ちょっと待ってて!」
と駆けていってしまった。
「あっ……ちょっと」
サラは慌てて引き止めようとしたが、少女は聞く耳持たずで姿を消した。追い掛けようにも、体が動かない。サラは行き場の無い手を下ろし、ため息を吐いた。
──放っておこう。きっとあんな小さい子には何もできない。
サラはぼうっと宙を眺めた。
「──こっちこっち!」
遠くでさっきの少女が何か言っているのが聞こえた。声のするほうを見てみると、少女が母親の手をとりこちらに向かっているところだった。
──っ!
サラは目を見張る。まさか母親をつれてくるとは思わなかった。慌てて逃げ出そうとするも、少女がこちらに到着するほうが早かった。
言葉につまる。視線がかち合った少女の母親が、一瞬表情を歪めたのがわかったのだ。
「ママー、この人ねー? お腹すいてるんだって! 今、夕飯のお買物終わったでしょ? だからごちそうしてあげようよ! ねー? いいでしょママー」
少女が母親の手を揺さ振った。おそるおそる母親の顔を見上げる。固まった表情を和らげようとしているのか、頬の筋肉をピクピクとさせていた。思っていることが洩れてくるようだった。──本当ならば断りたい。だが、娘の前で人に冷たい態度はとれない。『いい母親』でいたい。
「わっ……私は、大丈夫ですから、そのっ……!」
「何でー? 大丈夫じゃないよぅ、だって、今お腹すいて動けないんでしょ? それに、お洋服も汚れてるし、可哀相だよぅ、ねぇママー?」
「え……、えぇ……そうね」
母親がぎこちなく微笑んだ。少女の厚意が、すごく痛い。
「お家もすぐそこだし、いいでしょ?」
「えと……」
「お姉ちゃん、心配しなくてもいいんだよ! ママはすっごく優しいし、お料理もすっごくうまいんだから!」
少女の無垢な思いが、母親を黙らせた。サラはばつが悪くて俯く。
「ね? ママー」
長い長い沈黙の後、母親は小さく頷いた。明らかな作り笑いだった。
「やった! お姉ちゃん、よかったね! 行こう!」
「あ……」
少女は嬉々としてスキップで先をゆく。サラは自力で立ち上がれず、困ったように呟いた。
すると、母親が無言で手を差し出した。少し迷って、サラはその手をとって立ち上がる。
「こっちです」
目を合わせずに、母親は歩きだした。母親が、サラが触れた手を服でそっと拭うのを見てしまい、サラは哀しげに俯いた。
* * *
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
彼女があなたを思い出したから
MOMO-tank
恋愛
夫である国王エリオット様の元婚約者、フランチェスカ様が馬車の事故に遭った。
フランチェスカ様の夫である侯爵は亡くなり、彼女は記憶を取り戻した。
無くしていたあなたの記憶を・・・・・・。
エリオット様と結婚して三年目の出来事だった。
※設定はゆるいです。
※タグ追加しました。[離婚][ある意味ざまぁ]
※胸糞展開有ります。
ご注意下さい。
※ 作者の想像上のお話となります。
【完結】記憶を失くした貴方には、わたし達家族は要らないようです
たろ
恋愛
騎士であった夫が突然川に落ちて死んだと聞かされたラフェ。
お腹には赤ちゃんがいることが分かったばかりなのに。
これからどうやって暮らしていけばいいのか……
子供と二人で何とか頑張って暮らし始めたのに……
そして………
あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう
まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥
*****
僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。
僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
【完結】記憶を失くした旦那さま
山葵
恋愛
副騎士団長として働く旦那さまが部下を庇い頭を打ってしまう。
目が覚めた時には、私との結婚生活も全て忘れていた。
彼は愛しているのはリターナだと言った。
そんな時、離縁したリターナさんが戻って来たと知らせが来る…。
王子妃だった記憶はもう消えました。
cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。
元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。
実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。
記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。
記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。
記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。
★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日)
●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので)
●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。
敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。
●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
目が覚めたら夫と子供がいました
青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。
1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。
「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」
「…あなた誰?」
16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。
シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。
そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。
なろう様でも同時掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる