頑張り屋

天乃 彗

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04 逃げ出さない

03

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「……すみ、ません」
「私たちは医者ではありませんから、おじいさんの記憶をどうにかすることは出来ません。直接お会いすることも出来ませんから、『頑張り』を処方することも出来かねます」
「……っ、」
「ですが」

 シーザさんは、棚の中から一つの小瓶を取り出した。そして、それを俺の手に握らせる。恐る恐る手を開くと、小瓶の中の透明な液体がキラキラと光った。

「あなたには意志がある。“頑張りたい”という意志が。私たちが処方する『頑張り』は、“頑張りたい”と願う人を絶対に裏切りませんよ」

 頑張りたい。その気持ちは確かで。その気持ちが育てば育つほど、動けなくなって。この、『頑張り』を飲めば──。

「あなたは逃げ出さない。病室から。おじいさんから。現実から。──あなた自身から」
「……逃げ出さない、」

 俺は、じいちゃんから、自分から、逃げ出さない。じいちゃんに忘れられてたとしても。それが怖くても、逃げ出さない。俺は、小瓶のコルクをそっと外した。生唾をごくりと飲み込むと、一息にそれを飲み干した。

「……扉をあなたのおじいさんの病院に繋げましょう」

 そう言うと、シーザさんは指をパチンと鳴らした。なにが変わったのか、さっぱり分からなかったけど、シーザさんはニコリ、と俺に微笑みかけた。

「さぁ、扉を開けてください。あとは、あなたの頑張り次第」
「え……」
「応援していますよ」

 すっと、心が軽くなった気がした。空になった小瓶をポケットに突っ込むと、入ってきた扉へと歩き出した。


 * * *


 扉を開けると、そこには見覚えのある光景が広がっていた。白で統一された建物。ああ、これはじいちゃんが入院している病院の廊下だ。ここの廊下の一番端の部屋にじいちゃんはいる。今の時間なら、きっとばあちゃんも母ちゃんもいるはずだ。一歩、また一歩と踏み出す足は、ゆっくり、だけど確かにじいちゃんに向かっている。扉の前に立つ。あのときみたいに、何かが割れる音はしない。

──じいちゃんは、俺を見て何を言うだろうか。

 ふと、そんなことを考える。そんなことを考えては、怖じ気づいた。……前までは。「誰だ」と言われるかも知れない。「来るな」と拒絶されるかも知れない。でも、それでもいいと思える。会えるなら。元気な姿じゃないにしても、それがじいちゃんなら、それでもいい。「俺はじいちゃんの孫だよ」と、胸を張って言ってやる。
 すうっと息を吐いてから、病室のドアをノックした。「はあい」と声がする。あれは母ちゃんの声だ。俺は、迷うことなく、ドアを開けた。ドアに背を向けるようにベッドそばの椅子に座っていた母ちゃんは、振り返った先に俺がいたことにすごく驚いたようだった。

「まあー! 隆ちゃん! よう来たね!」

 ばあちゃんが心底嬉しそうに言った。そう言えば、ばあちゃんに会うのも本当に久々で、俺は胸が痛くなった。

「……じいちゃんは?」

 俺の問いかけに、母ちゃんはベッドにちらりと視線を向けたあと、静かに言った。

「寝てるの」

 寝てると言われて、少し安心したような、がっかりしたような、何とも言えない気持ちになる。母ちゃんも、ようやく俺が重たい腰をあげたのに、と困ったような顔をした。

「起こそうか?」
「んー……」

 曖昧に返事をしながら、俺はベッドの脇に立った。母ちゃんが言ったように、じいちゃんはすやすやと眠っている。

──ああ、じいちゃんだ。

 そんなことを思った。怖くて、怖くてみることの出来なかったその顔。今、ようやくこうしてまっすぐ見ることが出来ている。最後に見たときよりかなりやせている。頬だってだいぶ痩けたし、髪の毛もほとんどなくなっている。別人みたいだ。それでも、やっぱりじいちゃんはじいちゃんで。そんな変化なんか、微々たるものなんだ。
 本当は、起こして、じいちゃんにしっかり挨拶をした方がいいのかもしれない。でも、こんなに気持ち良さそうに眠っているのを、無理矢理起こすのも忍びない。

「……いや、いいよ」
「でも……」

 母ちゃんは渋った。おそらく、せっかく会いにきたのにじいちゃんが眠っているんじゃ意味がないから、俺がすぐ帰るって思っているんだろう。

「起きるまでいる」
「……そうね」

 母ちゃんは、やっぱり驚いたようなほっとしたような顔をした。俺は母ちゃんの隣の椅子に腰掛けた。

「本当によう来たねー! 今何年生ね?」
「あ……今、高2」
「まー! 見ないうちにずいぶんかっこよくなってねぇ」

 今まで、会いにこなかったことを責めるわけでもなく、ばあちゃんは本当に嬉しそうにしている。それが申し訳なく思うと同時に、やっぱり嬉しかった。血のつながりって、そういうもんなのかな。切っても切れないような、そんな強いつながり。
 テンションの高いばあちゃんに相槌を打ちながら、じいちゃんを見下ろした。その瞬間、ピクリと手が動いて、俺は肩を震わせた。
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