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恋の苦悩

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 理久君が俺を避けている。会ってくれない。渡した携帯電話は丁寧に包装されて郵送返却された。原因は絶対にあの日だ。滝井先輩と会った日。
 大学でサークルが一緒だった二年年上の滝井先輩。友人に誘われて入ったテニスサークル。もともと高校でやっていて運動不足解消になるから楽しみ程度に参加した。熱中することがあまりなく、淡々と適当に過ごした大学生活。半年ほど付き合った女性が二人。告白されて、何事も経験かと思い付き合った。こんなものかと思う自分。別れたいと言われれば別れた。遊ぶことより税理士国家資格を取りたくて勉強メインの大学生活。滝井先輩、忘れていたけれど何かにつけ絡んできていた。人を蹴落としたいタイプの人。煩いタイプ。そういう面倒なタイプとは付き合わない。そう決めていた。
 理久君が滝井先輩と会ったときの態度。青ざめた震える様子。絶対に滝井先輩と何かあったはず。理久君が抱えている問題は、滝井先輩絡みかもしれない。あの人ならやりかねない。想像や昔の記憶で決めつけてはいけないと思うけれど、疑ってしまう。理久君が話してくれればいいけれど。
 理久君の愛らしい黒い瞳、ささやかな笑顔、柔らかい声、風呂での行為。思い出すと会いたくてたまらない。理久君を抱き締めて眠りたい。腕の中に居ないことが寂しい。理久君が使っていた掛け布団を思いっきり抱きしめる。薄っすらと理久君の匂い。会えなくなって「寂しい」ばかりが頭をよぎる。自宅のあちこちに理久君が居るような気になって、居ないと分かると心が沈み込む。公園に寄っても、自宅に伺っても会えなくて辛い。苦しくてイライラする。こんなことなら理久君を家に縛り付けておけばよかった。いやいや、俺は変態かよ、と自分にツッコむ。
 心が沈んで世の中が灰色に見える。こんな風に心が乱れるのは初めてだ。はぁ、とため息をつく。理久君が見たい。撫でまわしたい。
 明日は会えますように。

 「渡辺先生、青井さまからお電話です」
事務所勤務日。総務から声がかかる。週に二日は事務所内勤務で資料作成や企業からの依頼案件処理をしている。企業から連絡が入ることは多い。だが、青井さんと言う方がいただろうか。
「ありがとうございます。電話回してください」
話してみないと分からない。
「お世話になっております。渡辺です」
『お世話になります。私、公園管理をしています社会福祉協議会の青井です。お分かりになりますか?』
落ち着いた初老男性の声。慌てて受話器を握りしめる。理久君の職場の青井さんだ。何かあったのだろうか。
「もちろん分かります。どうかされましたか? もしかして、小野田理久君の事ですか?」
『はい。仕事中ご迷惑を承知で電話しております。先週、小野田さんが昼休みあけに土汚れだらけで職場に戻ることがありました。本人は転んだと言っておりますが、それだけの汚れにはどうも思えなくて。背中に蹴られたような靴の痕がついていました。転んで、つくでしょうか?』
心臓がドキリとする。いつの話だ? 殴らないで、と言っていた寝言を思い出す。すぐにメモをとる。
「いつの日か、日にち分かりますか?」
『火曜日です。昼を渡辺さんと食べると出かけた日です。あなたではないと思いたいのですが』
火曜日。滝井先輩と会った日だ。
「私ではありません。誓って理久君にそんなことはしない。青井さん、もしよければこのままお話うかがってもいいでしょうか? 会っていただけるなら直接お聞きしたい」
『実はあれから、小野田さんが怪我して戻ることが多くあります。昨日、仕事中に顔に青あざを作って事務所に戻りました。本人はぶつけたと言っていましたが、明らかに殴られたあとだと分かりました。これ以上は職場の仲間として黙っておられず電話をした次第です』
受話器を持つ手が震える。顔にあざ? 殴られた? 息が詰まるような衝撃。
「理久君は、理久君は大丈夫でしょうか?」
聞く声が震えた。
『すぐに冷やして対処していますよ。病院は頑なに拒否していて。あまりに痛々しくて心配なんですよ』
直ぐにでも理久君のもとに駆け付けたい。様子を見に行きたい。言葉に出来ず、沈黙。
『詳しくは会って話しましょう。本日仕事後にコーヒーショップ前でどうでしょうか?』
「わかりました。十七時半には着けると思います。連絡していただきありがとうございます」
電話を切ってしばらくは動けなかった。理久君が暴行されている。身体の奥から沸き上がる怒り。思い当たるのは滝井先輩。決めつけてはいけない。だけど他に誰がいる? 怪我は大丈夫だろうか。そわそわして午後の仕事が手に付かなかった。

 急用として一時間の時間休をとった。十七時の終業時刻後に事務所から出てくる理久君を見るため。避けられているから声をかけることはしない。理久君は、きっと大きな問題にぶつかっている。助けになるために今は情報を手にするのが先。そっと見つめていると、理久君が出てくる。下を向いているけれど、左頬にガーゼか湿布か白いものを貼っている。遠くてよく見えない。腫れているよね。痛いだろ? 声をかけたくて泣きたくなる。理久君が見えなくなるまでその場で見守った。

 「お忙しいところ、すみません」
「こちらこそ、ご連絡くださったこと本当に感謝いたします」
青井さんに心からお礼を言う。温かいコーヒーを買って俺の車で話をする。ベンチやショップ内だと話を聞かれるかもしれないから、車の中がベストだった。
「さっき、理久君を見ました。左頬、痛そうでした。見ていて辛くなりました」
「最近会っていないんですか? 少し前はあんなに会いに来ていたのに」
「それこそ先週火曜日に会ってから避けられています。連絡を取るために渡していた携帯電話も返されてしまいました。火曜日の昼に理久君の元職場の上司でしょうか、俺の知り合いでもありますが、ある人と会ってから理久君の様子が変わりました」
「火曜日、ですか。これ、見てもらえますか?」
青井さんが自分のケータイを出す。写真を提示される。
「これは暴力ではないかと思い、そっと証拠写真とってあります」
理久君の後姿。背中に数か所踏みつけたような靴の痕。後姿が「痛い、辛い」って語りかけているようで胸にモノが詰まったような苦しさを感じる。
「何でこんな……。これ、火曜日の日付ですね。あの日、昼に会ってすぐ理久君と彼が二人で話しています。昼休みに俺以外と会っているなら、彼しかいない」
許さないという怒りが湧く。俺の可愛い理久君を。
「理久君に怪我は無かったんでしょうか?」
「分かりません。汚れを落とすことはしましたが、服を脱がせて確認まではしておりません。それから、金曜日と昨日の写真です」
数枚の写真を見せてもらえる。金曜日の写真は見事に泥だらけ。頭まで泥がついている。昨日の写真は正面と横顔。左頬から目元が赤黒く腫れて、出血もある。
「顔の怪我は報告する義務があると伝えて正面から撮ったんですよ」
「これは、こんなこと、許されることじゃない……」
怒りで言葉が続かない。可哀そうで泣けてくる。
「青井さん、この写真のデーターもらっていいですか?」
「どうぞ。渡辺さん、小野田さんを助けてあげてください。私ら定年退職したようなジジイじゃできる事が限られている。どうしていいか分からんが、青い顔して耐えている小野田さんが可哀そうだ。孫のような年で気になって仕方ないんだよ。救ってやりたいと思うんだ」
青井さんの優しさに涙が零れる。理久君、君には味方がいるよ。孤独に戦かう必要も耐える必要もない。
「ありがとうございました。俺は理久君を守ります。理久君は俺にとって心が温まる大切な存在です。これ以上苦しめたくない」
「渡辺さんに会ってから小野田さんは良い表情をするようになっています。下を向いていた顔が、前を向くようになった。私と長谷さんは嬉しく思っていたんですよ」
写真データーを転送させてもらい、感謝をして青井さんと別れた。

 青井さんと相談し、理久君の顔が治るまでは事務所内で主に書類関係の業務につかせてもらうように伝えた。そうすれば、席を外すときはすぐ分かる。多分、毎日は来ないだろう。滝井先輩も仕事をしているはずだ。もし理久君が理由なく席を外し、滝井先輩と会っているようなら連絡が来る。青井さんと長谷さんが快く協力してくれた。良い人たちで良かった。加えて調査会社に依頼して理久君の身辺警護に当たってもらっている。そして滝井先輩の身辺調査も進めてもらっている。絶対に理久君は守る。
 金曜日。午後二時過ぎに連絡が入る。偶然にも担当企業から事務所に帰る途中。公園にすぐに行ける位置。調査会社のスタッフが滝井先輩との接触から動画に収めてくれている。はやる気持ちを懸命に抑える。また事故を起こしてはいけない。大丈夫、証拠になる画像もとってもらっている。でも痛い思いはさせたくない。理久君、すぐに駆けつけるから。無事でいて。
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