竜になれない竜人皇子と竜人子爵の優愛

Ⅱ 次期王となる竜人皇子と罪人の子の許愛

レイの傷

＜レイ＞
頭が重い。目を開けようとするが、まぶしくて開けられない。車酔いのような気持ち悪さ。なんだろう？　「う～」身体を動かすのにうなり声が出る。
「レイ。大丈夫？」
知っている声。何とか目を開けて、声のほうを見る。あ、オリバー様。ギクっとする。顔を見る。怒っていない。もう怒りは通り過ぎたのか。心から安堵した。
「はい」
思ったより声が出ない。ゆっくり起き上がる。あ、だめだ。眩暈がして、気持ち悪い。起き上がれない。
「ごめん。レイ。本当にごめん」
僕を支えてベッドに戻しながら、悲しそうな顔のオリバー様。
「大丈夫です」
びっくりした。理事長先生や僕を鞭で打つ大人は、誰も謝ることはなかった。殴られるのも折檻も、全部僕が受けて当然のことだと言われてきた。だから、オリバー様も気にすることはないのに。謝ってくれるなんて、優しい方だ。僕の所有権はオリバー様にあるのだから、いいのに。
寝たままで少し枕を高くして、白湯を飲ませてくれる。ぬるい水分が身体に染みわたっていくのが分かる。
「痛むところは？」
「ありません」
「しばらく寝ていたから、お腹がすいているだろう？　ゆっくりでいい。身体を起こしてみようか？」
「はい」
「では、消化にいいものを用意しよう」
じっとオリバー様を見る。あれは、怖かった。怒らせないように、注意を払おう。痛いことが少なく済むように、できるだけ良い家畜でいなくては。食欲はないけれど、食べることが正解だろう。僕の頭に、あの時のオリバー様の顔がこびりついている。優しい顔を見ながら、どうかご機嫌がいいままでありますように、と神様に願った。
「お食事をお持ちしました」
背中を支えられて起き上がる。自分の身体が重い。起きると眩暈がする。
「ゆっくりでいいよ」
「はい」
オリバー様の表情を確認しながら、お粥を口に運ぶ。大丈夫。僕は失敗していない。数口食べると、胃から逆流しそうになる。こらえなくては。オリバー様の機嫌を損ねたらいけない。上がってくるものを、喉元で懸命に飲み込む。口が震える。冷汗が出る。目が回る。
「レイ？　気分が悪い？」
いけない。気づかれている。汚したら、怒られる。
「だれか、袋を！」
オリバー様が声をかけながら、僕の背中をさする。だめ、今さすったら我慢できない！　必死で飲み込んでいたモノが、決壊する。
ぼうぜんと吐いてしまったモノを見る。全身が震える。どうしよう、どうしよう。あれは、いやだ。
「レイ……」
「ご、ごめんなさい！　ごめんなさい！」
全身の震えが止まらない。ベッドから転がり出て、這いつくばる。頭を床につけて、必死で謝る。
「もうしません！　ごめんなさい！」
怖くて頭が上げられない。オリバー様が近づいてくる。怖い顔が浮かぶ。苦しさが、痛みが、よみがえる。目が回る。
「あぁ、いやだ！　い、やだぁ！」
腰が抜けて立てない。逃げなきゃ。這いつくばったまま、必死で後ずさる。
「……！」
何か、誰か言っている。よくわからない。
外に！　どこか、どこかに早く！　目が回って方向がよく分からない。気持ち悪い。僕に伸びてくる手が見える。だめだ！　がむしゃらに暴れる。何かが割れる。痛い。床に、破片。手でつかんで、思いっきり胸に突き刺す。お願い、心臓に届いて。

もう、楽になりたい。
お父さん、お母さん。助けて。



「早く！　鎮静剤を！」
レイがパニックを起こしている。俺が近づくのは、逆効果だろう。少し距離をとり落ち着くよう声をかける。大きな花瓶のほうに行ってしまう。だめだ。怪我をする。手を出そうとするが、興奮して暴れる。数人の侍従も息をのんで見守る。花瓶が割れる。破片の上を這いずって行くレイ。「早く医者を！」叫んでいるときだった。レイの身体が倒れる。何があった？　すぐに抱き上げる。小さな両手に、花瓶のかけらを掴んで、自分の胸に突き刺している。レイの口から「お父さん……おかあさん」
ぽつりと声がした。
「レイ！　レイ！　だめだ！　死んではいけない！　だめだ！」
涙があふれる。レイが何をした。なぜ、この子ばかりが苦しむのか。なぜ俺はいつも失敗してしまうのか。
医者が駆け寄る。シャツを切り裂き、胸のガラス片を慎重に抜く。コプリと血があふれる。
「心臓までは届いていません。肋骨でとまっています。切り傷としては深いので数針縫います」
その場で医者が処置をする。破片の上を這いずった手足の傷は、軟膏とガーゼで覆うくらいで大丈夫だと言われた。
目覚めた時は、落ち着いていた。いや、緊張していたか。よく、分からない。俺が傍にいないほうがいいのか。
レイは人の社会に戻すべきなのか。ふと、そうか、と思った。俺以外の、レイが心を穏やかに過ごせる環境。

　そうだ、あるじゃないか。