分身鳥の恋番

小池 月

文字の大きさ
上 下
50 / 54
Ⅲ章「飛べない鳥と猛禽鳥の愛番」

side:羽田 咲人⑧

しおりを挟む
 穏やかな日。中庭で俺たちの鳥を遊ばせている時。

「咲人の恋人は、どんな人だった?」

突然の脩の言葉に、心臓がどきりと音を立てた。

「……脩、俺は、恋人は作っていない」

「こんなに尽くしてもらえたら、幸せだっただろうね」

中庭を元気に走り回るヤンバルクイナを見つめている。何かを感じ取ったのか脩の鳥が走るのをやめてこちらをじっと見る。

「セックス、した?」

返事が出来ない。ただ、下を向く。心臓がバクバクと嫌な走り方をする。

「僕なんか、男なのに妊娠だよ? お腹の傷、見ているだろ? 臨月になると、帝王切開でいつの間にか出産するんだ。初めが、一番つらかった。もう、あとは、苦しいのを耐えるだけ。苦しい以外に何もないんだ。僕にとって、そんなものだよ、セックスって。嫌で苦しくて気持ち悪くて、怖い。……でも、咲人にとってはきっと違うんだろうなぁ。ずっと一緒だと、思っていたのに、こんなに違う。僕と、違う」

話すうちに徐々に堪えきれずに泣いていく脩を見ていた。俺が抱きしめていいのか分からず拳を握りしめる。しばらく沈黙して、言葉を伝えようと横に居る脩を見た。

あれ? これ、ヤバい!

「脩! ゆっくり、ゆっくり呼吸するんだ! ゆっくり吐いて、吸って、ほら、俺に合わせて!」

脩が青白い顔になり呼吸がハクハクしている。冷汗が浮かび上がり胸を押さえる手が震えている。これ、過呼吸じゃないか! どんどんパニックになる脩。

「羽田さん! 南田さんをこちらに!」

駆け付ける白衣の石井医師。その姿を見て空気を切り裂くような悲鳴を脩が上げる。そうか。意識があるときに会うのは初めてだ!

「脩、大丈夫! お医者さんだ!  脩の先生だから!」

懸命に説明しても耳に入っていない。

青白く震える手で俺にしがみつき苦しさに喘ぐ脩。痛々しくて涙が出た。どうして脩ばかり苦しむんだ! パニックがひどくなる脩に医療スタッフが薬を使い鎮静をかける。

崩れるように意識を失う様子を俺はただ見ていた。

 少し先では苦しそうにもがくヤンバルクイナをシマフクロウが包み込むように抱きしめていた。

ヤンバルクイナが暴れたのだろう。俺の鳥の羽が散っている。それでも抱き留めている俺の鳥。その姿が神々しかった。

 俺は、脩を抱き締めることが出来なかったのに。

心がズキリと痛んだ。




再スタート
 「羽田さん、きっと南田さんは少しずつ苦しい事を吐露していくでしょう。気持ちを表に出すことは、とても大切な事です。羽田さんは、聞いてあげるだけでいいんです。励まさなくていいんです。ただ、静かに聞いてあげてください。苦しいことを共有することで南田さんの気持が楽になりますよ」

「……はい。俺、脩を傷つけたかもしれません。正直に言うと、大学時代にセフレや一晩だけの付き合いをしました。脩が苦しい思いをしていた時期にそんなことして、後ろめたくて……」

今日は森本医師が病院の診察に出向いていて、石井医師一人だけ。薄い青色の瞳が印象的な石井医師。イギリス人とのハーフで、日本人離れした外見。空手が似合いそうな黒い短髪の森本医師とは正反対。二人とも俺たちを包み込むように優しくサポートしてくれる。

「誰でも、そうだよ。完璧に相手の思うような恋人じゃないと思う。大切に思うからこそ嫌われたくないし、期待に添いたいと思うよね。隠したいことも、暴かれたくないこともある。南田さんは、そんな羽田さんの心を暴きたいように見える?」

少し、考える。脩はなぜ「恋人」を聞いてくる? 俺を責める風でもなかった。どちらかというと、不安?

「いいえ。脩は、俺に恋人がいたか聞くときは、不安そうでした。そう言えば、脩が風呂場でのことがあった日も、恋人を聞かれました。その時も、脩の態度からは嫉妬や憎しみや怒りは少しもありませんでした。あの脩の様子は、そうか、絶望とか悲しみ、です」

「そうか。じゃ、羽田さんが思う後ろめたい気持ちと、たずねてくる南田さんの気持がズレているのかもね。自分の隠したい気持ちに囚われず、相手がなぜそこを気にするかに目を向けたら、罪悪感が薄れるかな? 南田さんは、君を責めたり憎んだりする子じゃないと思うけどな」

「そうですね。先生が言う通りです。俺が目を逸らして、ごまかしたら、ダメですね」

「君も、素直で良い子だ。大人の都合に振り回されて、苦しい思いをした一人だ。君たち二人の生きる道を、僕たち分身鳥保護管理局が壊してしまった。同じ管理局の者として申し訳ないと思う。君たちが前を向けるように、生きる幸せな道が得られるようにサポートするから。君たちを助けようと心配している大人は沢山いるよ。こうして、頼ってくれていい。精一杯力になるから。一緒に前を向いて行こう」

優しい言葉が心に染み入る。俺より背の低い石井医師から頭を撫でられる。その温かい手がくすぐったくて嬉しくて笑ってしまった。

「俺、もう社会人です」

「もちろん分かっているよ」

何となく笑いあって、元気をもらえた。


「脩も、俺だけじゃなくて先生たちと話したりできたら気持ちが軽くなるのかな」

「いや、今の南田さんには羽田さんだけが信頼できる相手だろうね。でも、僕もぜひ一緒に話してみたいと思うよ」

いつか紹介してね、と優しく笑う。先の事を話してくれることが嬉しかった。

 この三か月、脩といることが幸せだった。きっと脩も同じ気持ちだ。俺の分身鳥から流れ込んできていた幸福感からも明らかだ。

「先生、俺は脩に寄り添ってみます。俺には脩以外に大切な存在なんてない。もし俺が間違えて躓いたら助けてください。よろしくお願いします」

また前を向いて頑張ろうと自分を励ます。


 その夜から脩が夜中に飛び起きるようになった。

悲鳴を上げて震えるから、落ち着くまで抱きしめる。

涙を流しながら「嫌だ」と繰り返す小さな声にフラッシュバックが起こっていると分かった。きっときっかけは、あの過呼吸発作だ。

あの時、脩を抱き締められなかった俺の弱さが脩の不安を煽ってしまった。空中を見つめて震える脩に「大丈夫だよ。もう終わったんだ」と繰り返す日々が続いた。

目に見えて元気がなくなっていく脩。口数も減った。ここに来た時の何も言わない脩に戻っていくようで怖い。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】碧き海の戦士と天穹の花嫁

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:12

転生悪役令嬢の考察。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:331

Decalogus

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:15

兄が度を超えたシスコンだと私だけが知っている。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:2,793

ショートストーリーまとめ

BL / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:129

異世界ライフは山あり谷あり

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:908pt お気に入り:1,548

さようなら旦那様

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:19,823pt お気に入り:180

伴侶設定(♂×♂)は無理なので別れてくれますか?

BL / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:160

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:172,724pt お気に入り:2,813

処理中です...