分身鳥の恋番

小池 月

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Ⅲ章「飛べない鳥と猛禽鳥の愛番」

side:羽田 咲人⑦

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<番鳥であること>

 「ためらい傷がありません。きっと、相当な覚悟だったでしょう」

悲しそうな石井医師。

「優しい一日だったんです。脩が話してくれて、食べてくれて……。どうして、いつ、脩はこんなこと考えたんでしょうか。全然気が付かなかった」

石井医師と森本医師とともに脩の傍に居る。手首の傷をすぐに縫合して止血。輸血と軽く鎮静剤を使ってもらい穏やかに寝ている。脩の傍に同じく意識を落としているヤンバルクイナ。俺の鳥が『誰も触るな』とずっと威嚇している。

「そうだね。南田さんの気持ちは南田さんにしか分からないよ。君のせいじゃない。こうなるかもしれないことは、十分考えていた。そして、そんな南田さんを支えることが出来るのは羽田さんだけだ。精神安定剤で感情をごまかしてしまうこともできるけど、問題を先延ばしにするだけだ。まず、南田さんの声を聞いてみて。これは番鳥である羽田さんと羽田さんの鳥にしか出来ない事だと思う」

「南田さんを我々がサポートしようとしても受け入れられないだろうね。羽田さんを精一杯支えていくから、君が少し頑張ってくれるかな? もし、君が無理だと思ったら手放してもいい。その時は向精神薬で薬剤治療しよう」

「脩を、手放すなんてできません。だけど、血の浴槽に居た穏やかな顔をした脩を思うと、少し怖い」

正直に言葉を出していた。そのまま死なせてあげたほうが良かったかもしれない。そう思ってしまう自分もいる。

「南田さんは、苦しいことから逃れたかったんだろうね。辛い現実を自覚してしまったんだろう。けれど死ぬのは今じゃなくてもできる。少し先延ばしにしてもらおう。先延ばしの時間で幸せを沢山与えてあげてほしい。苦しい事だけじゃなくて、幸せを感じてみて、そのうえで死を望むなら仕方ない。幸せを感じて生きたいと思ってくれたらいいね。救ってあげようとすると相手を追いつめるかも。羽田さん自身も苦しくなるしね。君の鳥にも伝えるんだ。番鳥にとことん愛を伝えて、生きる喜びを知ってもらおう。そのうえで死を望むならば、望みどおりにしてあげるのが南田さんのためだ」

ふと気持ちが楽になった。そうか。脩は苦しいことだらけで押しつぶされそうなのだ。苦しいことから逃れたいから、あの安堵の表情をしていたのか。苦しい事をなかったことにはできないけれど、死を思いとどまる何かを脩に持ってもらいたい。苦しい事を抱えても、それでも生きたいと思えるように。きっと、俺にはそれができる。俺と脩は番鳥だから。

 俺の考えをシマフクロウに伝える。『まかせとけ!』と心強い返事。頼りになる分身鳥だ。目標を決めた時の顔つきは、とてもカッコいい。さすが大型猛禽類。

 脩の横で何もできず無力感に陥るより、すべきことが見つかってやる気がでた。脩が目覚めたら、甘やかして撫でまわして愛していることを伝えよう。脩を楽しませてあげるんだ。脩にしてあげたいことを考えて、そっと寝ている脩の髪をなでる。

「ありがとうございました」

退室していく先生たちに声をかける。俺には彼らがいてくれて本当に良かった。自分だけでは腫れものを触るようにして、脩をさらに傷つけただろう。

「俺たちは、君と南田さんの味方だよ」

優しい先生たちの支えに心が熱くなった。



 翌日は疲れて九時過ぎまで寝てしまった。簡易ベッドから起きて、傍のベッドで寝ている脩を見た。生きている。良かった。そっと腕の包帯を確認する。血は滲んでいない。傷が開いていることはないだろう。これまで顔色や体調ばかり気にしていたけれど、今は少し違う気持ちで脩を撫でる。

 起きてくるまでにおにぎりと味噌汁を作る。自分の食事をさっと済ませる。今日は脩が起きたら目玉焼きとソーセージもつけようとワクワクした。食べられないって言うかな。脩のために、とする事が楽しく感じた。


 「おはよう」
ゆっくり目を開ける脩。鎮静剤の効果もあり十二時間以上寝て昼過ぎに目覚めた。俺を見てすぐに目を逸らし思い詰める表情。

「脩、助かって良かった。傷、痛くない?」

そっと頭を撫でる。そんな俺を驚いたように見つめている脩。

「痛み止め、飲んどく?」

「……痛くは、ないよ」

俺を見つめたまま、消えそうな小さな声。

「傷が深くて、縫合してもらったよ。四針縫っているから、糸をとるまで動かすと突っ張るように痛いかもって」
不思議そうに左手の包帯を見つめている。目の前に腕を持ってきて手を動かす脩。

「いたっ」
途端に小さな声。

「ほら、言っただろ? やっぱり痛み止め使っておこう。急な動きで痛いのは辛いだろ?」
俺を見つめたまま、コクリと頷く。

「じゃ、薬飲むためにもご飯にしよ。もう昼ご飯だよ」
笑いかけると、また不思議そうな脩。

「……これ、夢? 僕は、もう死んでいるの?」

「残念。現実だよ。ちゃんと生きている。ほら、ヤンバルクイナもシマフクロウもいる。起きられる?」

コクリと頷く脩の背中を支える。ふらつきも気分の悪さもなさそう。背中を支えながら、そっと額にキス。こういうキス、高校の頃によくしていた。また驚いて俺を見る脩に照れ笑いすると、脩が顔を染める。可愛い。

「やっぱり、夢だ」
赤い顔でつぶやく脩を抱き締める。

「夢じゃないよ。本当に現実だよ」
昨日は余裕がなくて、しっかり乾かしてあげられなかったから髪の毛が跳ねている。撫でつけても直らない寝癖に笑みが漏れた。

 そのまま抱き上げて運びダイニングテーブル椅子に座らせる。

「寒くない? 昨日、血が結構出たから輸血している。疲れやすかったり、熱っぽくなったりすることあるみたいだけど、大丈夫?」

「少し、だるい、かな……」

「起きているのは、どう?」

「今のところ、大丈夫」

「じゃ、少し待っていて」

寝室から脩の鳥を大切に運ぶ。肩から俺の鳥が『落とすなよ。宝物みたいに運んで! 振動は身体に響くから、丁寧に!』と細かく指示を飛ばす。『わかった、わかった』と返事をして過保護だよな、と笑えた。

クッションと毛布で作った鳥の巣もどきにヤンバルクイナを降ろす。俺の鳥が必死で作っていた鳥の巣。その中で寄り添う二鳥。愛らしい。

「それ、シマフクロウが作ったの?」

「そう。毛布運ぶのは何回も失敗して、でも手を出すと怒るから好きにやらせたんだ。俺の鳥、脩の鳥が大好きなんだ」

そっか、と微笑む脩。

「俺も、脩が大好きだ」

ついでに伝えると、驚いたように真っ赤になり目を背ける脩。おにぎりと味噌汁、目玉焼きとソーセージ、簡単なサラダを出す。

「こんなに、食べられないかも」

「食べられなければ俺が食べるよ」

食べられるだけ食べよう、と無理強いせず様子を見る。少しずつ口に運ぶ姿を嬉しく思う。

「ねぇ、咲人はどうして普通、なの? 昨日のこと、怒らないの?」

不安そうに聞いてくる。

「脩には生きて欲しいから、怒っているかと聞かれたら怒っているよ。でも、それだけ辛い思いを抱えている脩がいる。俺は脩の苦しさも辛さも受け止めるって決めた。そして一緒に生きようよ」

目の前の脩が震えている。その内に、震えながら声をあげて脩が泣いた。悲鳴のような声をあげて泣く脩を、抱きしめた。しばらくして、泣き疲れてグッタリする脩。

「ほら、鼻水拭くぞ」
「……それくらい、できる」
「全部やってあげたくなるんだよ」

可笑しくて顔を見合わせて笑った。

ティッシュで顔を拭いて、脩の口にそっと触れるだけのキス。そうだ。思い出した。脩は俺が笑えば笑ってくれる。俺が撫でればすり寄ってくる。素直な真っすぐな脩が愛おししかったはずだ。

脩を探すことや取り戻す事ばかりに夢中になり、脩を大好きな気持ちが置き去りにされていた気がする。そんな俺が脩を追いつめたのかな。脩、ごめんね。そっと心の中で謝った。




 「ほら、懐かしいだろ?」
「売店で買ったやつだ。初めて食べた時、驚いたよね」

牛乳を混ぜるだけの簡単デザート。ヨーグルトなのか牛乳プリンなのか微妙な食感がたまらない。よく二人で作って食べた。脩のお気に入りがピーチ味。

ここ数日、脩が喜ぶことを思いつくままに実行している。その度に「懐かしい」と笑ってくれるから嬉しくなる。食べる量も増えた。顔色もいい。

 穏やかな数日が過ぎた。中庭に一緒に歩いて行けるくらい体力もついてきた。脩が元気になる事が心から嬉しい。

そして、脩に体力がついてくると室内でもヤンバルクイナが走るようになった。羽の艶が出てきて、室内をトトトと走ると愛らしくて頬が緩む。そんな脩の鳥を俺の鳥が飛んで追いかける。『幸せ!』と心に流れ込む感情。『俺もだよ』と思いを伝える。

 脩と一緒にお風呂に入る。風呂場であんなことがあったから「もう独りで入らせない」と言い切った。ぽかんとしていた脩がそっと笑った。「昔の咲人みたい」とこぼした言葉が嬉しかった。お腹の傷跡は包み込むように洗う。脩はどうしても起ち上ってしまう俺のモノに気が付いている、と思う。だけどお互い性的な事には触れない。

 脩が自分で室内を歩くようになった。食べるようになり体力が戻ってきていると思う。

脩の周りを駆けまわるヤンバルクイナが可愛い。脩の肩によじ登って脩と微笑み合うのを見るのが嬉しい。ネットで一緒に欲しい本や服を選んで購入するのも楽しかった。穏やかな時間。脩を幸せにしているはずが俺のほうが幸せを楽しんでいた。

あっという間の三か月だった。
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