ベルズ・ナイト・カフェ

海際

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10.小さな黄金の覚悟

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 グリが怪訝な顔で少年を覗く。

「マックスって?」
「……僕の飼っている犬だよ。生まれてからずっと、兄弟みたいに育ったんだ」
「その飼い犬と関係があって、黒夜草の根を盗んだのかい?」
「……そう。生薬屋に入って、僕が盗んだ。物を盗るの、得意なんだ。後でいくらでも罪は償うから、歩きながら話そうよ。急いでるんだ」

 そう言って少年は高級そうなズボンの膝から土を払って、スタスタと歩き出した。

「えぇ、ちょっとちょっとキミ……」

 グリが引き留めようとすると、くるりと少年は振り向いた。

「僕はトッド。盗みは失敗したし、もうマックスを力ずくで逃がしてやるしかない。全部話すから、協力して」

 足早に去ろうとするトッドのお尻のポケットからは、ペンチの持ち手が顔を出していた。
 トッドの切迫した様子に、三人は顔を見合わせて追うことにする。


 ***


 鬱蒼と茂った林を、トッドは慣れた足取りでずんずんと進む。
 トッドの後を追い、息切れしながらセツが話しかける。

「トッド君。それで、君とマックスに何があったの?」
「森で遊んでる時、足を滑らせた僕を助けようとして、マックスが崖から落ちたんだ。それでマックスは怪我をして……」
「崖から落ちた……?」

 セツは青くなって、呟いた。その顔を見て、トッドは続ける。

「枝に背中を引っ掛けて切り傷になったくらいで、怪我は酷い訳じゃなかったんだ。マックスは大きくて、賢い犬だから自分で器用に崖を登って戻ってこれた。直ぐに帰って手当てしなきゃと思ったけど……怒られると思って、たまたま見つけた小屋でうじうじしてたら変な男が現れたんだ」

 グリが反応して聞き返す。

「変な男?」
「うん。ボロボロの汚れたフードを被った男だよ。そいつが塗り薬をくれたんだ。魔法薬だから、よく塗ったら傷跡も残さない薬だって言ってた。怪しいと思ったけど、帰って怒られるのが怖くて、塗り薬を受け取って使ったら、確かに小さい傷はすぐに塞がったんだ。でも、塗ったところからうっすら毛が黒っぽくなっちゃって……」
「毛が黒く……黒夜草の塗り薬か」

 グリが顎に手を当てて考え込む。ふと、レンがセツの肩に手を触れた。

「平気か?」
「え?」
「顔色が悪い」

 レンにそう言われて、セツは先程から動悸が止まないことに気がついた。

「すみません。運動不足なのかも」

 セツは心配をかけて申し訳ない気持ちで、笑顔をレンに向けた。レンはじっとこちらを見ているようだった。
 レンを気にしつつ、セツはトッドの話に耳を傾ける。

「貰った薬を塗り続けているうちに、マックスの毛色は日に日に濃くなったんだ……真っ白な犬だったのに。男がまだ小屋にいたら、どうにかしてもらうか、文句を言ってやろうと思ってマックスと小屋に行ったんだけど……男は様子が変になってた。マックスを見るなり急に笑い出して、気味が悪くて……。逃げようとしたら捕まって、マックスは檻に入れられた。助けたかったら、塗り薬の成分に使われているものを持ってこいって言われて……」
「それで盗みをしたんだね」

 グリはなるほどと、頷きながら言った。

「うん……。あいつが何をしたいのか意味が分からなかったけど、一度言われたものを渡せばそれで終わりだと思ったんだ。だけど黒夜草の根を持って小屋に行ったら、マックス以外の動物も捕まえられていて、餌に根っこを削って混ぜろと言われた。そしてあいつは真っ黒になった動物から逃がしたんだ」
「これが動物誘拐事件の発端かぁ」
「僕こんな大事になるなんて思わなかったんだ。騒ぎになるまで、黒い毛がどう思われるかも知らなかったし……。僕も共犯だって言われて、僕の家がどうなってもいいのかって脅されたんだ。僕の家が傾きかけてるってことも、あいつはなんでか知ってて……」

 利発そうだったトッドの声が徐々に震える。

「でも、僕が泥棒したのは、僕が考えてやったことだから、僕が悪いんだ」

 ごしごしと、袖で顔を拭って振り向く。顔を赤らめて、トッドはレンを睨んだ。

「僕のせいで悪く言われてるだろ。犯人じゃないのに……ごめんなさい。マックスに襲われたのに、殺さないでいてくれてありがとう」
「……いや」

 レンはぎこちなく、否定した。グリが横から呆けた声を出す。

「え? あのでっかい犬がマックス?」
「うん……。フードの男から鍵を盗んで、逃がすのに成功したのに、森を出た辺りでマックスが怯えるみたいに暴れだしたんだ。檻に閉じ込められても温厚だった犬なのに……必死に追いかけて、その先でお前たちを見たよ」

 トッドの話を聞きながら、気がつくと昨日大きな黒い犬に襲われた場所の近くに来ていた。白く咲き乱れる百夜草の花をトッドが指差している。

「これで、僕の話は全部」
「話してくれてありがとう。必ずマックスを助けよう」

 セツにはっきりと言われて、トッドは涙目になって頷いた。しかし、グリはにこにこと、全員を見渡して否定する。

「セツくんトッドくん。すぐにでもマックスを助けたい気持ちはよーく分かるよ。でも一度戻って然るべき場所に伝えて処理してもらった方がいいね。このままその小屋に行ったら、頭のおかしな犯人がいるんでしょう。子供が行くべきじゃないよ」
「でも! あの後連れていかれたマックスが檻の中で暴れて、自分で自分を傷つけてたんだ! 早く助けないと、きっと死んじゃう!」

 必死に訴えるトッドをなだめて、セツがグリを見上げる。

「……グリ、あれから丸一日経つよ。きっとマックスはずっと苦しんでる。俺達は緩和剤を持ってるじゃない。こっそり忍び込んでマックスに使ってあげられないかな」
「セツ~。ここからは本当に危険なことだよ」

 グリは困った顔でセツを咎めた。

「そうだけど……もし、間に合わなかったら? トッド君の家族が、死んじゃうかもしれない」
「セツ……」
「お願い。このまま助けに向かおう」

 セツは真っすぐにグリを見つめた。お願いと言いつつももう決めているみたいに断言されて、グリは口をへの字にした。レンに向いて、助けを求める。

「うぐ……レン様? 危ないよね? 駄目だよね?」

 セツもレンを見つめて、懇願する。

「レン様……危険があったらまた、守ってもらえませんか?」
「しかし……」
「守って欲しいです」
「……分かった」
「えええっ! よわぁ……」

 グリはあきれ返った声を出したが、まぁでもなんとかなるか、と一人で納得していた。


 ***


 昨日訪れた農場からそれ程離れていない場所に、森は広がっている。薄暗く、殆ど太陽の光は入ってこない。
 全体的にひんやりとした空気が漂っており、湿度が高い。
 どの木々も紅葉しておらず、乾いた色の葉が足元に降り積もっていて、それでもなお、空を覆いつくす程に枝葉が生い茂っていた。
 吸い込む空気は悪くないが、特別な用もなくこの森に侵入する人はいないだろう。

「動物をさらって、黒くして、返す……。犯人は一体何がしたいのかな……」

 セツが息を切らしながら呟いた。その答えを誰も持っておらず、沈黙のまま歩みを進める。
 グリが唸って、トッドに聞いた。

「そいつはどんな風貌だった?」
「うーん……浮浪者って感じの身なりだった。あ、多分尻尾があったよ。お前みたいな。色は黒っぽく見えたけど……暗かったし、先っぽしか見えなかったから分かんない。背丈もお前くらいだったと思うけど、猫背だったからもう少し高いかも……」
「ふぅん」

 グリは何か考えを巡らせているように見えた。セツは話しかけようとして、落ち葉の上で足を滑らせた。

「うわっ!」

 尻もちをつきそうになって、後ろからレンに両腕を支えられた。

「あ、ありがとうございます」

 レンは無言でセツの身体を立たせてやった。トッドが振り向いて、しーっと人差し指を口元に当てた。

「この辺、落ち葉の下がぬかるんでいるんだ。気をつけて。僕はそのせいでそこの崖から落ちそうになったから。小屋まではまだ結構距離あるんだけど……」

 トッドが前に向き直すと、頭上の木がガサガサと不自然に揺れた。

「!?」

 4人は一斉に見上げた。木の揺れは素早く遠くへ去って行く。

「な、何……?」

 セツとトッドが動揺して、グリは音の去って行った方角に耳を澄ませた。

「ん~……やっぱ君達、今から戻って。レン様、任せたよ」
「えっ、グリ!?」

 グリはそう言うなり、森の奥へと走って行った。
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