ベルズ・ナイト・カフェ

海壱

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6.非日常の通学路

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 嫌な金属音が鳴って、レンの腰にぶら下がっていた巾着が裂ける。
 中身が周囲にばらまかれ、レンは切り裂かれた衝撃で膝立ちになった。
 セツは息を飲んだ。
 レンは落とした剣を拾い上げ、再びセツを守るように黒い犬と対峙する。
 興奮状態の黒い犬の前に立ちはだかり剣を構えた。
 黒い犬はじりじりと後ずさりしていく。
 レンが下から上へと剣を振り上げて威嚇すると、黒い犬は驚いたように森の中へ逃げていく。
 レンの背中には、どう猛な爪痕が残った。
 爪が甲冑を貫通することはなく、背中の表面が痛々しく傷ついている。
 グリが震えるセツの背中に手を置いてなだめた。

「セツ、無事?」
「う、うん……」

 セツは手足が震えて立ち上がることができなかった。
 見上げると、レンがセツとグリを見下ろしていた。

「……何故とめた」
「ご、ごめんなさい。リンダさんの声を聞いて、とめなければと……」
「死ぬところだ」
「……っごめんなさい。レン様の背中が……!」
「いや……」

 フィンとリンダが追ってきた。
 リンダが深く頭を下げる。フィンは気遣うようにリンダを見やった。

「も、申し訳ございません……私のせいです……。皆さんを危険な目に……レン・シルヴァ様、危ないところを助けてくださってありがとうございます」

 リンダは再び深く頭を下げた。
 フィンも目の前にいる犯人かもしれない噂の男に戸惑いながら、頭を下げる。

「まぁでも、とりあえず良かったじゃない。誰も怪我してないんだしさ」

 レンがグリをギロリと見た。ように見えた。
 責めているようにも感じたが、グリは動揺することなくいつも通りにこにことしている。
 グリはセツを立ち上がらせて、背をさすった。

「落ち着いた?」
「うん。ごめんね。びっくりしたけど、もう大丈夫だよ」
「よしよし。怖かったよね」
「う……うん。なんかグリ、やたら優しいね」
「いつでも優しいでしょう。あ、それとも花の香りに影響されてるのかな?」
「もう。冗談言ってる場合じゃ……俺よりレン様が怪我して……」
「問題ない」

 レンはぶっきらぼうに言う。
 セツはレンとグリを交互に伺った。レンはじっとグリを見ているが、グリは気にしていないみたいだ。
 一方フィンとリンダは、突如現れたこの町を牛耳る御曹司を目の前にして、何から質問すればいいのか質問などしてもいいものか、思考が追いついていないようだった。
 セツは周囲にばらまかれたレンの持ち物に気がついて、拾い集めた。
 路地裏で使用した魔法薬や、塗り薬らしきもの。薬草が小さく束になったものなど、どう使うのかよく分からない小物が落ちている。小瓶はいくつか割れてしまっていた。
 割れた小瓶の近くに光るものを見つけ近づくと、それはアクアマリン石だった。

「あれ……これって」
 拾い上げると、見覚えのある形をしていた。
 大きな涙型のアクアマリン石。Lに贈ったものとそっくりだ。
 ふと、レンに後ろから話しかけられた。

「……破片が落ちている。拾わなくていい」

 セツの胸はどきりと鳴った。振り返って、拾ったものを渡す。

「あのレン様。このアクアマリン石はどこで手に入れたのですか……?」
「……」

 レンは無言で受け取った。

「レ、レン様……俺その石に見覚えがあって」
「……部下に貰った」

 セツはきょとんと見上げた。

「部下ですか?」
「ああ」
「そうなのですか……」

 確かにあのアクアマリン石は、Lに渡したものと酷似していた。
 似ているが、全く別の石なのか。
 Lはもしかして、レンの部下なのだろうかとセツは思った。シルヴァ家の部下ということは騎士団か、城に使えている人なのかもしれない。
 リンダと話していたグリがぽんっと手を鳴らした。

「リンダさんは何か知っているようだし、今すぐ色々聞きたいところだけれど。まずは危険な動物が現れたって、警察に知らせなきゃ」

 グリはセツの頭にそっと手を乗せた。

「後のことは大人に任せて。セツは帰った方がいいね」
「うん……あっ学校!」
「え? この状態で学校行くの? 大変な目に遭ったのだし、今日は休んだ方がいいんじゃない?」
「でも……行ってくるよ。俺は怪我した訳じゃないから。走れば間に合うしね」
「ここから走るの? そもそも危ないから一人でなんて帰さないよ。そうだなぁ。例えば誰かが学校まで送ってくれるならいいけど」

 突然ぴゅうっと高く笛が鳴った。その合図で白馬が走ってやってくる。
 レンの傍まできて、大人しく首を下げた。

「乗れ」
「え?」

 レンが手綱を引いて、セツを馬の上へと促した。
 セツがぶんぶんと首を振る。

「いやでも、そんな悪いです! 俺、馬なんて乗ったことないですし」
「お言葉に甘えて乗せてってもらいなよ、セツ。こんな名誉なかなかないよ~」

 レンはセツを両手で持ち上げて、馬に乗せた。

「わっあの」

 レンはセツの後ろに素早く乗り込んで、手綱を引いた。
 白馬が前足を高く上げて、進行方向を変える。

「うわぁっ」
「じゃ、セツ。行ってらっしゃーい! また明日ね~!」

 遊びの帰りみたいなノリで別れの挨拶をするグリの声が聞こえたが、返事を返す間もなく出発した。


***



 レンはセツのお尻を気遣っているのか、ゆっくり馬を走らせていた。
 セツは背後に人の呼吸を感じて、少し安心感を覚えた。

「あの、ありがとうございます。助けて頂いてご迷惑をおかけしたのに、送ってもらうなんて」
「……構わない」
「レン様は、どうしてあそこにいらっしゃったんですか?」
「……たまたま」
「たまたまですか……?」
「……」

 たまたまシルヴァ家のご子息が牧場にいるんだろうかとセツは思ったが、失礼かと思い聞かないことにした。
 慣れない馬の上で、セツはぐらぐらと身体が揺れた。
 レンが片手を腰に回して、セツの身体を抱きとめる。セツは少し緊張して身体を強張らせた。
 しかしそうっと壊れ物を扱うみたいに回された手は優しく、くすぐったく感じた。

「あの……アクアマリン石をくれた部下って、どんな方なんですか?」
「……」
「あ、答えにくいことならいいんですけど……!」

 アクアマリン石を贈ることは、信頼や愛の証でもあった。
 観光客にはお土産になるが、この町では家族や恋人、親友など親密な関係でのやり取りが多い。
 セツにとってもアクアマリン石をLに贈ったことは、思い切ったことだった。あの日渡しそびれていたなら、机にしまい込んでしまったと思う。
 

「す、すみません。個人的なことを聞いてしまって。背中は痛くないですか? 痛むようなら無理せず言ってくださいね」
「……ああ」

 もし自分の贈ったアクアマリン石が、Lからレンに渡されてしまったのなら想いは伝わっていないんだろう。
 Lにとってはなんでもないことだったのだろうかと、俯く。大切にすると言ってくれていたのに。
 それ以降は無言のまま、町へと到着した。


***


 凄く、目立っている。
 セツはすっかり忘れていた。このまま町に入るということはどういうことなのか。

「え!? 3番目の!?」
「うわあ! なんでこんなところに? 本物?」
「いやいや、本物な訳……な訳」
「誰を乗せてるんだ? 子供?」

 セツは汗をだらだらとかいた。レンは気にしてないようだ。

「レ……レン様……いいんですか? こんな普通に街の中を闊歩して……」
「この道以外にあるのか?」
「ないです……」
「ならいい」

 視線を集めながら、セツとレンは学校への坂道を上る。
 人々が驚きと困惑の顔に変化していくのを見ながら、セツはうつむき加減でいた。

「新聞に載るかも……」

 そんなことを呟いた頃に、学校の正門へと辿り着いていた。
 遅刻ギリギリだったが、門は空いていた。先生がこちらに気づいて口をあんぐりと開けている。
 セツが白馬から降りるのを手間取るより先に、レンが降りてセツの身体を抱き込む形で降ろしてやった。

「あ……ありがとうございます。何から何まで……」
「いい。これを……」

 レンは魔法薬をセツに渡した。

「え、これは」
「……君の方が何かと必要そうだ」

 そう言って白馬にまたがり、颯爽と去っていった。
 白馬に乗った後ろ姿を目で追ったが、どこかで幻みたいに消えた。

「幻か……?」

 水かきのついた鳥足の先生が、セツと心の声と同じセリフを呟いて目をこすった。

「おはようございます……」
「お、おう? おはよう」

 セツが挨拶をすると我に返ったように先生は笑顔を向けた。
 同じように遅刻寸前の生徒達が、ひそひそ話をしている。
 顔を上げると、窓から顔を出している生徒もいた。

「今のって噂の貴族様じゃ……」
「馬で登校……?」
「誰だあれ」
「わからん」
「あれ、一学年上のあの、留年したっていう」
「あーなんか聞いたことあるかも」
「こえー」

 さっそく噂話が広がっていることに、セツは困った顔で頬をぽりぽりとかいた。
 しかし、いつもと違う通学路を思い出して笑みをこぼす。

「ふふ……白馬にのって登校って……。変な状況だったけど楽しかったかも」

 いつもは一人で歩く見慣れた道が、今日は少しも寂しくなかったのだった。
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