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【 花の章 】―弐―

259 天満屋事件

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 暦も変わり十二月になった。
 一年で最後の月の師走だけれど、新暦に直せばもう年越しの頃なんじゃなかろうか……というほどに寒い。
 そんななか迎えた今日十二月七日は、会津藩を通して紀州藩から護衛依頼があり、斎藤さんをはじめとする私を含めた数名の隊士で護衛対象のいる天満屋へと向かった。

 今回護衛をするのは紀州藩士である三浦休太郎みうら きゅうたろうという人で、実は斎藤さんが近藤さん暗殺の報せを持って衛士を抜けてきた際、しばらくの間匿ってくれていた人でもあるらしい。
 そして今回護衛することになった理由というのが、坂本龍馬が結成した海援隊の人たちや、近江屋で坂本龍馬とともに襲撃され、数日後に命を落としたという土佐藩の中岡慎太郎が結成した陸援隊の人たちに、その近江屋襲撃の黒幕だと思われ命を狙われているからだという。

 ことの発端は今年の四月。
 海援隊が操縦していたいろは丸という蒸気船が、紀州藩の明光丸と衝突して沈没してしまったことらしい。その際、紀州藩は海援隊側である坂本龍馬の巧みな交渉術によって巨額な賠償金を払わされたので、“坂本龍馬を狙ったのは紀州藩の人間に違いない! 佐幕論者だし交渉の中心人物だったし今も何やら不穏な動きをしている三浦に違いない!”……といった具合で狙われているのだと……。

 巷ではいまだに実行犯は新選組だとも思われているし、新選組も変な恨みを買っていなければいいのだけれど……。



 ……で。
 私たちは護衛に来たはずなのだけれど、何事もなく時間が経つにつれ、次第に薄れる緊張感と最近まで斎藤さんも匿ってもらっていた仲ということもあってか、三浦さんに勧められるまま気づけば宴会と化していた……。

 そんななか、すでにだいぶ酔いが回っているらしい三浦さんが、上機嫌で斎藤さんにおかわりを注ごうとすれば、斎藤さんも顔色一つ変えず杯を差し出した。
 斎藤さんの隣にいる私も同じように勧められるけれど、丁重にお断りすればやや呆れられた。

「天下無敵の新選組が守ってくれているのだから、今夜は敵も乗り込んでなど来ないと思うぞ?」
「……あ、はい。だといいです」

 その天下無敵の新選組も、こうして一緒になってお酒飲んじゃってるからね!?
 唯一の救いは、みんな任務中という認識はまだあるらしく、防具なんかはつけたままなことだろうか……。
 半ば呆れながらも、このまま何事もなく終わればもうそれでいいや……なんて思っていたら、斎藤さんが何やらもぞもぞし始めた。

「斎藤さん? どうかしたんですか?」
「いや、暑くなってきたから少し脱ごうかと思ってな」
「……防具をですか?」
「ああ」

 ……って、ダメに決まっているでしょうが!
 そりゃあ、斎藤さんなら万が一戦闘になったとしても、お酒が入っていようがいまいが関係なく戦えるかもしれないけれど。他の人たちまで真似して脱ぎ出したらどうするのか!
 そんな心配などお構い無しに脱ごうとする手を掴めば、くるりと逆に掴み返されただけでなく、ぐっとその手を引っ張られ斎藤さんの胸に飛び込む形となった。

「ちょっ! 斎藤さん!?」

 慌てて顔を上げれば、微かに口の端を上げる顔が間近にある。

「何だ、脱がそうとしていたんじゃないのか?」
「なっ……そんなわけ――!!」

 反論したはずの声は、勢いよく開かれた襖の音に掻き消された。
 振り返れば、開け放たれた襖の前に立つ男性が一人。鋭い目で部屋を見渡し三浦さんを捉えると、手にした抜き身の刀を構えて叫び、一直線に動き出す。

「三浦氏は其許か!」

 それら一連の動作は実際にはほんの一瞬だった。
 恐らくいち早く反応したのは斎藤さんだけれど、私が乗っかったような体勢が明らかに邪魔をしていて慌てて飛び退いた。
 頭で考えるより先に身体が勝手に動いていて、片手で自分の身体を支えながら、もう一方の手を三浦さん目掛けて目一杯突き出す。

 直後、響くのは刃鳴りと三浦さんの後頭部が窓枠に強打する音。
 それらを合図に一瞬で騒然とする部屋の中、追撃の気配を感じて振り返るも、男は身体から血を吹き出しながらゆっくりとその場に崩れ落ちた。抜き放ったばかりの刀を元に戻す斎藤さんが、低い姿勢のままこちらを見る。

「怪我はないか」
「わ、私は大丈夫です。それより三浦さんが」
「……いや、俺も大事ない」

 片手を上げ大丈夫だという仕草をするも、頬から顎の辺りにかけて切っ先が掠めたのか、赤い線とともに僅かに血が滲んでいる。
 ただ、斬れた頬そっちのけで後頭部を押さえるその姿に、致命傷は免れたもののちょっと申し訳ない気持ちになっていれば、残る襖が勢いよく蹴破られ、十数名の男らが一気に雪崩れ込んできた。

「琴月! 三浦さんを連れて上へ行け!」
「は、はいっ!」

 私が三浦さんを庇うような体勢で返事をしたことで、敵も自身の狙いがどこにいるのか把握したらしい。私たち目がけて一気に距離を詰めようとするも、それを阻止するように斎藤さんが割り込んだ。すぐに他の隊士らも応戦するも、敵の数はざっと見てもこちらの二倍。嫌でも一対複数は避けられず、敵の刃が斎藤さんの腕を掠めたのが見えた。
 直後、誰かが灯りを消したのか部屋の中は暗闇と化した。

「さ、斎藤さん!?」
「ここはいい! 早く行けっ!」
「は、はいっ!」

 護衛対象が討たれては意味がない。斎藤さんも他の隊士たちも心配だけれど今は指示に従うしかなく、下に敵がいないとも限らないので三浦さんに屋根へ上がるよう促し、次いで自分も後を追う。
 夕方には見えていた月も、今は沈んでしまって星明りだけが頼りの中、脱出したばかりの二階の窓からは、剣戟の音だけでなく食器の割れる音や人の声、様々な音が入り混じって響いている。

 今の私がすべきことはこのまま三浦さんを少しでも安全な場所へ誘導することで、たとえ人数的には圧倒的に不利だったとしても、護衛対象を放りだして戻ることは許されない。
 それでも……部屋も外も暗いからこそ、乱戦だからこそ撹乱するくらいは出来るかもしれない、と逆さまに窓から頭だけを出し、出来る限り低い声で叫んだ。

「三浦を討ち取ったぞーっ!」
「何ッ! やったか!?」

 そんな敵の声が聞こえるも、ダメ元とはいえ速攻で嘘だとバレたら意味がない。
 あとはただみんなの無事を信じて、三浦さんとともに屋根伝いにその場を離れた。



 だいぶ目も慣れて騒乱の場所からも離れたところで、三浦さんが手拭いを傷に当てがっていることに気がついた。

「すみません、傷の具合はどうですか……? それと……勢いよく突き飛ばしてしまってごめんなさい」
「何を言う。おかげで命拾いしたぞ」
「……はい」

 そんな会話の途中、複数の足音が近づいてきて緊張が走るも、手にした提灯から応援に来た新選組だとわかり、屋根の上から集団に向かって手を振り声をかけた。

「こっちー! こっちですー!」
「誰だっ!?」

 先頭を走るのは永倉さんと原田さんだった。
 ただ、向こうからは顔がよく見えないようで、思いっきり威嚇されているのがわかる。

「永倉さん、原田さん、私です。春です!」
「何だ、春か! なら一緒にいるのは三浦さんか?」
「はい、三浦さんは無事です。だから急いで天満屋へ向かってください!」
「わかった!」

 永倉さんと原田さんが走り出し、二手に分かれ残った隊士らの協力を得て三浦さんを屋根から降ろすと、そのまま三浦さんの護衛も任せて私も天満屋へと急いだ。



 天満屋へ着くと、すでに戦闘は終わっていたのか斎藤さんが外に出ていた。

「斎藤さん! 大丈夫でしたか!?」

 斬られていた腕を取って確認するも、斎藤さんは痛がる素振り一つせず平然と答えた。

「お前のおかげで助かった」
「……へ?」
「お前が脱ぐのを止めてくれただろう。だから斬られずに済んだ」
「あっ……よ、よかったです」

 つまり、防具をつけていたからということ。あのまま脱がせていたらと思うとぞっとする……本当によかった。

「ところで、三浦を討ったと叫んだのはお前か?」
「あー……はい。一か八か騙せたらいいなと思ったのですが……失敗でしたか?」
「いや。よくやった」

 そう言って、斎藤さんは口元をほころばせながら頭をぽんぽんと叩いた。
 どうやら敵は、あの台詞を信じてすぐに引いていったらしい。とはいえ、乱戦ゆえに最初は私の声だと気づかず、斎藤さんを含め新選組側も焦ったとも。
 何はともあれあのまま長期戦となれば厳しく、応援が駆けつける前に壊滅していたかもしれないので助かったと。



 今回、護衛という任務自体は成功したかもしれない。最初に斬り込んできた襲撃者もその場で討ち取った。他にも、数名に傷を負わせた手ごたえはあったらしい。
 ただ、およそ二倍も違う人数差は、当然こちらも無傷で終わらせてはくれなかった。
 その場で二名の死亡が確認され、重傷者含む複数の隊士が負傷した。そして死亡したうちの一人は、まだ二十五歳の、二度目に江戸へ行った際に入隊した近藤さんの従弟いとこにあたる人だった。
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