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【 花の章 】―弐―

249 初雪の京

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 翌、十一月三日。
 寒い朝のうちに石部宿を出て、草津を越え大津についた。
 歩き続けている間はほどよく身体も温まるけれど、今日は雲が多いせいかあまり気温が上がらず、ここ大津で休憩のために足を止めれば一気に寒さに襲われた。
 そういえば、江戸に行っていたせいですっかり忘れていたけれど、今年の炬燵開きはすでに過ぎている!?

「早く炬燵に潜りたい……」
「お前のそれ、毎年恒例だな」

 土方さんが呆れながら言うけれど、だって寒いものは寒い!
 冷気から一番遠い隅の方で震えていると、何やら入り口の方が騒がしくなった。見れば、懐かしい顔がこちらへ近づいてくる。

「山崎さん!」
「春さん、それから副長も、おかえりなさい。皆さんご無事で何よりです」
「おう」
「ただいまですっ!」

 そう返事をすれば、山崎さんは自身の羽織を脱ぐなり私の肩に掛けた。

「今日は一段と寒いですからね」
「でも、それだと山崎さんが……」
「大丈夫ですよ」

 実は……と、眩しい笑顔を浮かべる山崎さんが手荷物の中からもう一着羽織を取り出して見せれば、土方さんがぼそりと呟いた。

「なら最初からそっちを渡せばいいじゃねぇか」
「わかってないですね、土方さん」
「あ?」
「きっと山崎さんはあえてこっちをくれたんです。こっちの方が温まってるから。……ですよね、山崎さん?」
「ええ。春さんは人一倍寒がりですからね」

 ほら当たった!

「どこの姫様だよ……」
「土方さんも、もっと丁寧に接してくれてもいいで――って、イタッ!」
「悪ぃ。手ガ滑ッタ」
「なっ!」

 山崎さんも過保護が過ぎると思うけれど、こんな風にすぐデコピンしてくる土方さんもどうかと思う!



 休憩を終え大津宿を出ると、山崎さんをはじめ二十名ほどの隊士たちが迎えに来てくれていたせいか、新入隊士と合わせるとかなりの大人数になった。
 みんなで残りの帰路を進みながら、土方さんが山崎さんに問いかける。

「状況は?」
「実は……慶喜公が政権返上を奏上したその日、薩摩と長州に討幕の密勅が下されていたようです。そこには会津、桑名両藩の討伐も添えられていたとか」
「天子様はまだお若い。勅とはいえ討幕派の公家らが裏で動いてそうだな」
「おそらく……」

 ただ、大政奉還が勅許された事で討幕の名目は消失、武力でもって幕府を討ちたかった薩長にとっては慶喜公に先手を打たれた形になったのだと。
 それに、政権が戻ってきたからといって今すぐ朝廷に政が務まるはずもなく、それを見越してか、慶喜公が将軍職の辞職願を出すも引き続きの将軍職を勅許されたらしい。

「実質、表向きは今まで通りってわけか」

 だったら……このまま何も変わらなければいい。
 “大政奉還”と言えば次に来るのは“王政復古の大号令”じゃなかった?
 ここまで変える事の出来なかった歴史が、いよいよ大きく動き出している気がして仕方ない……。
 気づけば視線は地面を映していて、このままでは余計なもまでこぼしてしまいそうであえて上を見れば、頬に冷たいものが触れた。
 ふわふわと、灰色の空にいくつもの白い影が舞っていた。

「……雪!?」
「初雪ですね」

 視線を上げた山崎さんが教えてくれれば、土方さんもつられて上を向く。

「どうりで寒いわけだな」
「ですね……」

 もうそんな季節なのかとため息にも似た息を吐き出せば、雪が舞う空中に白い気体となって消えていった。



 屯所へつくと鉄之助くんが出迎えてくれて、手際よく部屋まで荷物を運ぶのを手伝ってくれる。廊下を進みながら、土方さんが問いかけた。

「総司の様子はどうだ?」
「昨日は一番組を率いて巡察にも出てましたが……調子の良い時と悪い時を繰り返している感じです」

 やっぱり安静にはしていないんだ……。調子がいいとすぐ動くから、反動でまたぶり返したりしているのかもしれない。沖田さんらしいと言えばそうなのだけれど……。
 土方さんも察したようにため息をつくと、ご苦労だった、と鉄之助くんを労った。
 そうして久しぶりの部屋へつくと、いつもの場所にはすでにアレが用意されていた。

「炬燵!」
「はい。副長に言われていたので」

 どうやら出立前に、用意しておくよう土方さんが頼んでいたらしい。

「これから忙しくなりそうだってのに、寒い寒いうるせぇからな」

 つっけんどんに返されるも、今日みたいな日はなおさら嬉しいわけで。
 前もって頼んでくれていた土方さんと、用意してくれた鉄之助くんへお礼を言ってさっそく潜ろうとするも、大事な約束を思い出した。守らなければどんな倍返しをされるかわからないし、何より自分の目でその姿をちゃんと確認したい。
 出立時の沖田さんとの会話を聞いていた鉄之助くんが、気をきかせてくれたのか私から荷物を取り上げた。

「琴……あっ、えっと……は、春先生。ここの片づけは俺に任せてください」
「え、あ……ありがとう」
「……すみません。総司先生にそう呼ぶように言われて……迷惑ですか?」
「あっ、そうなんだ。ううん、全然! 好きに呼んでくれていいよ!」
「ありがとうございます」

 総司先生、かぁ。名前で呼ばせるようにしたという事は……沖田さんも鉄之助くんを信頼しているって事だよね。
 なんだか二人のやり取りを想像して微笑ましい気持ちになる。
 ところで……こうして近くで顔を合わせると目線の高さが違う事に気づき、片方の手を目の前の頭頂にぽんと乗せてみた。

「鉄之助くん、背、伸びた?」

 前まではほぼ同じくらいだったのに、少し見ない間にほんの少し鉄之助くんの方が高くなっている。

「か、かもしれないです」
「やっぱりそうだよね? そっかぁ、これからどんどん伸びそうだね」

 って、顔を背けられてしまったのだけれど、その頬が赤い。
 照れている? ……あっ、これのせいか! と慌てて手をどけるも、鉄之助くんが潤んだ瞳で見つめてくる。

「春先生が子ども扱いできなくなるくらい、俺、もっと大きくなりますから」
「あ……ハイ。なんかごめんね? つい……」

 童顔と背が低い事もあってか、ここでは私がそういう扱いをされる事が多いから……可愛い弟ができたみたいでつい、ね……。
 そんな私たちのやり取りを見ていた土方さんが、ぷっと吹き出した。

「お前ら、団栗どんぐりの背比べはその辺にしてさっさと動け」
「あっ、そうでした。ちょっと沖田さんのとこに行ってきます! 鉄之助くんごめん、あとはよろしくお願いします」
「はい。任されました」

 そうして沖田さんの部屋を目指し、部屋の前でさっそく声をかければ返事があった。だから入室したのだけれど……。
 布団の上で状態を起こしているにもかかわらず、ほんの少し開いた障子の先を見るばかりで、何度呼びかけても振り向くどころか一向に返事すらない。

「沖田さん……?」
「……」

 いつの間に止んだのか、障子の向こうの景色に雪はもう舞っていなかった。
 それでも、空気は相変わらず冷たい。

「今日は冷えるので、閉めときますね」

 障子を閉めて振り返れば、口をとがらせ見るからに拗ねた表情の沖田さんと目が合った。

「僕が一番って言ったのに……」

――帰ってきたら、一番に僕に会いに来てくださいね?――

 出立前にそう言っていたから片づけは鉄之助くんに任せ、こうして着替えすら後回しにして来たのだけれど。
 そんなことより――

「どうしてすすむさんが一番なんですか……」
「……え?」

 え? いや、待って。一番も何も山崎さんは大津まで迎えに来てくれただけなのだから、それをカウントするのは間違っていると思う!
 だから丁寧に説明するけれど、わかってますよ、と言うわりには不機嫌のまま……。
 正直拗ねる理由もわからないのに、勝手に約束を破った事にされて理不尽な仕返しまでされたくはない!

「えっと……山崎さんは迎えに来てくれただけで、私から山崎さんに会いに行ったわけではないですからね?」
「ふ~ん?」
「だって見てください、まだ着替えてもないんですよ? こうして自分から誰かに会いに行ったのは、沖田さんが一番です!」
「……じゃあ、二番は鉄くんです?」
「へ? ……お、沖田さんですっ!」

 必死に訴える姿がおかしかったのか、沖田さんが吹き出した。

「あはは。冗談ですよ。春くん、おかえりなさい」
「……はいっ。ただいまです!」

 久しぶりに見た笑顔にほっとしながら布団の横に腰をおろすと、沖田さんが軽く咳き込んだ。咄嗟に背中をさするも、着物越しに伝わるのは以前よりも気持ち骨ばった感触だった。
 やっぱり……。

「沖田さん、ご飯、ちゃんと食べてますか……?」

 もともと無駄な肉などなかった身体もその顔も、以前に比べて少しだけ痩せたように見える。

「あれ食べろこれ食べろって、うるさく言う人がいませんでしたからね~」
「なっ……ちゃんと食べなきゃだめじゃないですか! それに、昨日は巡察にも行ったって……無理だけはしないでくださいって言いましたよね!?」

 どうして大人しく休んでいてくれないのだろう。無理をするから、こうして翌日に体調を崩してしまうんじゃないの……?

「それはほら、一番組の副組長さんが不在だったので、組頭の僕が率いるしかないじゃないですか~」
「っ……」

 やっぱり無理やりにでも江戸へ連れていくか、私もここへ残るべきだったのかもしれない……。沖田さんの性格は、私だってある程度理解していたのだから……。
 結局、また間違えたのだと思い知らされると同時に、押し寄せる悔しさと無力さと後悔が、意思に反して俯いた先の私の着物に丸い染みを作った。
 不意に、両側から伸びてきた手が私の頬を包み上向かせた。

「冗談が過ぎましたね……。すみません」

 謝罪を口にしているはずなのに、目の前の顔はなぜか満足げに微笑んでいる……。沖田さんは、時々本当に意地悪だと思う。

「確かにあまり調子が良くない日もありますけど、今日こうして横になっていたのは非番だったのと、いつも一緒に甘味屋へ行ってくれる人がいなくて暇だったからですよ~」
「すみませ――」
「それに、こうしてたら春くんは僕の事をたくさん心配してくれるでしょう?」
「あ、あたり前じゃないですか!」

 思わず声を張り上げたせいで溜まっていた涙があふれると、頬に触れていた手のひらで拭われた。

「すみません。自分から送り出しておきながら、寂しかったのでついいじめすぎてしまいました。でも安心してください。春くんが思っているより、僕は動けますから」

 それは……安心させるつもりがあるのかないのか……。どれが本気でどれが冗談かもわからないし、あるいは全部ただの強がりかもしれない……。相変わらず、沖田さんらしくてわかりにくい。
 言葉を発せずにいると、目の前の顔が今度は悪戯っぽく微笑んだ。

「……怒らせるか泣かせるか悩んだんですけど、どちらも見られて僕は満足です」
「なっ……」

 沖田さんめっ!
 慌ててその手から逃れれば、沖田さんは悪びれる様子もなくおかしそうに笑いながら、江戸での事を訊いてきた。

「あっ……そういえば、おみつさんからこれを預かってきました」
「姉さんから?」
「はい、高麗人参だそうです」

 懐から取り出すと、気を遣わなくていいのに……なんて苦笑しながらも、どこか照れくさそうな表情をしながら大事そうに受け取ってくれるのだった。
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