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【 花の章 】―弐―
248 大政奉還
しおりを挟む多摩で数日を過ごしたのちに再び近藤さんの家へ戻って来ると、土方さんと井上さんが近藤さんの養父である周斎先生を訪ねると言うので同行した。
周斎先生は中風というのを患って以降半身が麻痺していて、年齢もすでに七十歳を超えている。もっぱら眠っている時間が長く、ここ最近はそれが顕著なのだと。
この日も挨拶を交わしたらすぐに眠ってしまい、奥さんと少し話をしてからお暇した。
夕暮れ間近の帰り道、木枯らしが吹くなか井上さんが残念そうに言った。
「勇さんも会いたいだろうに……」
「近藤さんが帰れたのは……確か三年前の一度だけだからな……」
土方さんが言うように、近藤さんが江戸へ帰れたのは私が初めて江戸へ行った時の一度きり。局長という立場にいるから長い時間留守にするわけにもいかず、そう簡単に帰ることも出来ない。
「せめて二泊三日くらいで往復出来ればいいのに……」
「無理だな。寝言は寝てから言え」
思わず呟いてしまえば速攻で土方さんに突っ込まれるけれど、優しい井上さんが苦笑しつつもフォローしてくれる。
「案外、春の時代になれば無理な話じゃなかったりしてな?」
「はい。日帰りも可能です……」
『は?』
二人揃って鳩が豆鉄砲を食ったような顔で見つめてくるけれど、飛行機や新幹線を使えば無理な話じゃない。
「ったく、どんな生活してたんだよ……」
いつものように土方さんが呆れるけれど、当たり前のようにこの距離を徒歩で移動する方が衝撃的だし、何より……それを三度もやっている自分に一番驚いている!
翌日。
土方さんと井上さんが出かけると、入れ替わるようにして沖田さんのお姉さんであるおみつさんがやって来た。人づてに沖田さんの事を聞いたようで、その顔は血の気が引き不安一色だった。
部屋の中で向かい合わせに座ると、おみつさんが訊いてくる。
「琴月さん。総司が……総司が労咳というのは本当ですか?」
「……はい」
「っ……そう、ですか」
かろうじてそう答えたおみつさんは、顔を背け着物の袖を目元にあてがうと、泣くつもりはなかったと言わんばかりに、ごめんなさい、と呟いた。
どうしようもなく胸が締め付けられ、口を開けば私まで泣いてしまいそうで、心の中で謝る事しか出来なかった……。
それでも時間とともに少しづつ落ちついて、沖田さんの話をして、帰る頃になるとおみつさんが懐から何かを取り出した。
「総司に、これを渡してください」
「……これは?」
「高麗人参です。ほんの少しですが……」
漢方とかで使われているやつだっけ。結構高価なものだった気がする。ほんの少し……と言っているくらいだし、この時代ではかなり高価なのかもしれない。
この時代の労咳は死病で、特効薬なんて存在しない。それはたぶん、おみつさんもわかっているはずで……。
それでも、たとえ僅かだとしても希望がもてるなら……そんな気持ちはみんな一緒なんだ。これにはおみつさんの気持ちが詰まっているから、わかりました、と大切に預かった。
順調に新入隊士も集まり、帰京の目途も立った。
出立を数日後に控えたこの日はおたまちゃんとゆっくり遊んでいると、出かけていたはずの土方さんと井上さんが大慌てで帰ってきた。
「おい、大変だっ! 慶喜公が政権を返上したらしいぞ!」
「え……」
去る十四日、第十五代征夷大将軍徳川慶喜公が朝廷へ政権返上を奏上、翌十月十五日、天皇より勅許がおりたのだと。
それってつまり、大政奉還……。
やっぱり、全ては歴史通りに進んでいる……?
言いようのない不安に動揺していると、視界の端から伸びてきた手が頭上に乗り、左右に激しく動いた。
「ちょ……髪がぐちゃぐちゃになるじゃないですかっ!」
「辛気臭ぇ顔すんな。とりあえず、京へ戻るぞ」
「……はい」
「明日には立つ。準備しとけ」
「はい……って、明日!?」
不安なんて感じる暇もなく、急遽前倒しとなった出立の準備に追われるのだった。
翌、十月二十一日。
あと数日はゆっくり遊べるはずだったおたまちゃんに、本当はもっと遊びたかった……と泣かれてしまった。彼女なりに精一杯我慢していたのだと思うと、もっと一緒に遊んであげればよかった、と後悔した。
そんな私たちのもとにやって来た土方さんが、おたまちゃんの頭をぽんと優しく撫でた。
「たま、そう泣くな。次来る時も、またこいつを連れてきてやるから」
「ほんと!? ありがとう、としぞーおじさん!」
「おじ……。なぁ、たま……そこはお兄さ――」
「はるおにいちゃん、またきてね!」
もちろんだよ! と返せばすかさず睨まれる。
「お前のせいだぞっ!」
「としぞーおじさん! はるおにいちゃんをいじめちゃだめ!」
「そんなんじゃねぇだ――」
「としぞーおじさん!」
あ……撃沈した。さすがは近藤勇の愛娘、たくましい。
けれど、涙の別れにならずに済んだのはきっと土方さんのおかげなので、笑顔で挨拶を済ませてからしょぼくれた背中を押す。
「全員揃ったみたいですし、そろそろ出立しないとですよ? としぞーおじさん」
「おまっ……覚えとけよ!」
「嫌です」
さっそく馬鹿野郎とデコピンが飛んでくるけれど、いつもの土方さんに戻ったのでまぁよしとしよう……。
近藤さんの家をあとにすると、新入隊士らおよそ三十名を引き連れて品川宿にある釜屋で昼食となった。
いろんな人がここまで見送りに来てくれていて、その中には捨助さんもいる。そして、捨助さんが私の隣で一緒に食事をしながらちょっとだけ不満そうに口を開いた。
「泰助も行くんだってな」
「そうみたいですね」
泰助とは、井上さんのお兄さんである井上松五郎さんの次男、井上泰助くんのことで、つまりは井上さんの甥っ子だ。
武士としての修業を積ませたい、と入隊する事になったのだけれど、なんとまだ十一歳。さすがに幼すぎる。だってまだ小学生……まぁこの時代に小学校なんてないけれど。
当然戦力にはならないので、近藤さんの小姓にするらしい。
「はぁ……本当は俺だって行きてぇのに……」
捨助さんが呟いた。
「それは――」
「わかってる」
新選組に入りたいとわざわざ京まで言いに来るくらいなのに、長男だからという理由だけで入れさせてもらえないのだから、頭ではわかっていても納得しきれなくても仕方がないと思う。
それでも、捨助さんは笑顔を浮かべて私に向き直った。
「俺は多摩を守る。お前ともそう約束したからな」
「はい。ありがとうございます」
「だからまた来いよ」
「はい!」
同じように笑顔を返せば、捨助さんは視線を逸らして後頭部を掻いた。
「でもまぁ……実は……親の説得もまだしてるんだけどな」
そうだったんだ!
さすがにここまでくると、そろそろ認めてあげてもいいんじゃないのかな? なんて思う。
「認めてもらえるといいですね?」
「……おう」
私の返事が意外だったのか、捨助さんはちょっとはにかむように笑うのだった、
釜屋を出ると、新入隊士らを引き連れ帰路につく。
大政奉還の報を受け、土方さんは早く京へ帰りたそうだけれど……人数も多いしそもそも徒歩なので、劇的な短縮は難しい。
それでも、出立から十一日後となる十一月二日には石部宿についた。ここが最後の宿泊地となるので、明日、草津と大津を越えれば久しぶりの京となるのだった。
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