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【 花の章 】―弐―

222 正月の居続け②

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 他の隊士たちは三木さんらとともに帰り、角屋に残ったのは伊東さんと永倉さんと斎藤さん、そして私だけだった。
 伊東さんは私たちを見て満足そうに微笑むと、綺麗な所作で手を出し座るよう促す。揃って着席すれば、伊東さんが話し出すより先に口を開いた。

「みんなに分離の話をした時……どうしてであることを言わなかったんですか?」
「見せかけ? 春、そりゃどういう意味だ?」

 永倉さんの驚きように、私の方が驚いた。
 古参の副長助勤である永倉さんが知らないということは、分離の本当の理由を知っているのは、あの日あの場にいた人たちだけなのだろうか。
 ここで話すべき内容ではなかったのかもしれない……と恐る恐る伊東さんへ視線を戻せば、ほんの少し眉尻を下げ、困ったように微笑んでいる。
 けれどもすぐ、いつもの穏やかな表情に戻った。

「安心してください。私を信じてこの場に残ってくれた永倉君と斎藤君になら、お話しても問題はないでしょう」
「どういうことですか……?」

 首を傾げる私たちに向かって、伊東さんはあの日と同じ説明をし始める。
 分離は、“新選組”という名のままでは得ることが出来ない、薩長の動向を探るためであること。
 そして、そこで得た情報を再び新選組へ戻すためであることを。

 みんなの前でそれを話さなかったのは、間諜同然である以上情報漏れを防ぐためであり、伊東さんを信じてこの場に残った二人になら、話しても問題はないだろうとも。

 二人は伊東さんの考えを聞いても否定することなく、むしろ、新選組のことをそこまで考えてくれていたのかと感心するほどだった。
 話の終わり、伊東さんが二人に向かって口外しないよう念を押せば、二人も黙って頷く。
 そんな一連の様子は、伊東さんは二人を、二人は伊東さんをお互いに信頼しあっているみたいで、何だか少し複雑な気分になる。

 いつか分離する日が来たとして、二人がついていってしまったら……そんな不安にかられてお酒なんて全然進まない。
 それなのに、三人のペースは落ちることなく時間ばかりが経過した。

 そんな中、ついに伊東さんが眠りに落ちた。
 永倉さんも相当出来上がっているけれど、まだちびちびと飲んでいる。
 斎藤さんは……多少顔が赤い気がするけれど、行灯の淡い灯りだけではいまいちよくわからない。ただ、いまだ姿勢を崩すことなくきっちり座って飲んでいる。

 伊東さんに羽織をかけながら眠っていることを確認すると、二人に向き直り思い切って訊いてみた。

「お二人は、どうしてこの場に残ったんですか?」
「ん~? 門限は伊東さんが何とかしてくれるって言うし、斎藤も残るって言っただろう? なら、飲まなきゃ損だと思ってな」
「損、ですか……」

 酔っているからこその回答だと思いたい……。
 気を取り直して、最初に名乗り出た斎藤さんに視線を移す。

「今日は伊東さんの奢りらしいからな」
「だよなぁ。せっかくの正月くらいパァーっとな」

 二人がお酒大好きなのは知っているけれど、まさか本当に、もっとお酒が飲みたかったから?

 その前に、そもそもの集まりは天皇を偲ぶ会だったはず。目の前の二人をみていると、目的がすり変わっている気がして問いただせば、永倉さんがしれっと言い放つ。

「なぁに言ってんだ。勿論、そのために飲んでるんだぞ~? だからほら、春も少しは飲んどけ」

 そう言って杯を手渡してくるけれど、今度は斎藤さんも止める気はないらしい。
 永倉さんが、満面の笑みを浮かべながら私の杯を満たした。

「それにな、伊東さんの話は聞いていて面白いし、ためになることも多いんだぞ」
「そうですか……」

 裏表のない永倉さんだからこそわかる。それは、本心で言っている言葉なのだと……。
 再び沸き起こったモヤモヤした感情も、これ以上の踏み込んだ質問を躊躇ってしまう自分も誤魔化すように、なみなみと注がれたお酒を一気に飲み干した。

「おお、良い飲みっぷりだな。ほら、もう一杯」

 続けざまに注ぐ永倉さんの顔も、黙々と飲み続ける斎藤さんの顔も。ついでに畳に転がる伊東さんの穏やかな寝顔も見ていると、だんだんと腹が立ってくる。
 自分で決めたこととはいえ、門限を破ってまで残った私の心配はいったい何だったのか!

 あふれそうな感情ごと飲み干しやけ酒上等でおかわりを要求すれば、今度は斎藤さんが注いでくれた。

「伊東さんももう起きないだろう。明日はおぶってやるから、たまには気にせず飲めばいい」
「ええ、飲みますよ! 飲みますけどね! 一人で歩けるので大丈夫ですっ!」

 こうして、三人で飲み明かすことになったのだった。





 窓に張られた障子が淡く光りだし、おぼろげに夜明けが近いのだと思った記憶はある。
 じきに伊東さんも起きるはずで、そうしたら早いうちに全員で屯所へ帰ろうと思った記憶もある。
 あるのだけれど……おかしい。

 いつのまに眠ってしまったのか、気づけばお昼どころか西日が差し込んでいて、そんな西日に照らされる三人が揃ってお酒を飲んでいた。

「……って、帰らないんです、かッ!?」

 勢いよく身体を起こして声をかけるも、激しい頭痛に両手で頭を押さえてうずくまった。
 つい唸り声まであげれば、伊東さんの心配そうな声が降ってくる。

「琴月君も二日酔いですか?」
「なに~! なら、春も飲むと良いぞ~。ほら!」

 顔を上げてみると、永倉さんが満面の笑みを浮かべながら杯を差し出している。
 これはもしや、迎え酒というやつ?

 お酒のせいでこうなったのに、さらに飲んで本当に良くなるのか……。ちょっと試してみたい気持ちはあるものの、そこはグッと堪えて断った。
 というか、すでに呂律の怪しい永倉さんのその赤い顔は、どうみても夕日のせいではないし、“春”と言って迎え酒を勧めてくる時点でだいたい察しがついた……。
 昨夜はみんなかなり飲んでいたし、伊東さんや斎藤さんも飲んでいるということは……。

「みなさんも二日酔いなんですね……」

 図星のようで、永倉さんは頭の後ろを掻きながら豪快に笑い出す。便乗するように、伊東さんも苦笑した。
 けれども斎藤さんだけは手にした杯をグイッと飲み干すと、涼し気な顔でしれっと言い放つ。

「俺は普通に飲んでいるだけだが」
「……え」

 さすがというか何と言うか……いや、斎藤さんらしいというべきなのかもしれないけれど。
 私の頭痛が少し落ちついてから帰ることになり、伊東さんが差し出してくれたお茶をすすった。

 思えばそれが間違いだった……。
 私がお茶を飲む間、永倉さんの迎え酒は止まるどころかすっかり泥酔していて、“帰りたくない、もっと飲みたい、伊東さんの奢りなのに!”と駄々までこね出す始末。

 みんなで説得を試みるも断固として立ち上がろうとせず、結局、もとを辿れば自分に付き合わせたことが原因だから、と言う伊東さんに押し切られ、もう少しだけここにいることになってしまったのだった。



 それから半刻も経てば、すでに日は沈み外も暗くなっていた。
 あろうことか、永倉さんに次いで伊東さんまで本格的に酔ってしまい、こっちもこっちで再び帰りたくない、などとさらに杯をあおる。
 そして、残る頼みの綱だった斎藤さんまで、参謀である伊東さんの決定に従う、と言い出した。

 ただお酒が飲みたいだけ? それとも、そう見えないだけで実は相当酔っている?
 何にせよ、さっきまでこっち側だった人たちの腰は重くなっていて、一対三という状況になっていた。

 そんな中で説得を続けるも時だけが無情に過ぎ、すっかり夜も更けてしまえば今すぐ帰るのは難しくなる。
 仕方なく朝イチの帰営を訴えれば、伊東さんが赤い顔で爽やかに微笑んだ。

「連日の無断外泊です。このまま帰れば、揃って切腹を申し付けられるかもしれませんね」
「……え」

 いやいやいや……そんな大げさ……え?
 さらっと怖いことを言われた気がするのだけれど!?

「安心してください」

 ど、どの口が言うのか!
 けれども慌てる私とは正反対に、伊東さんは悠長に話し出す。

「例えそうなったとしても、私が全て引き受けますから」
「……はい?」
「規律を乱したことに対するみせしめならば、参謀の私一人でも効果は充分でしょう。あなた方の助命は必ず果たします。その代わりと言っては何ですが、もう少し私に付き合ってもらえませんか?」

 酔っているのかどこまで本気なのか……いまさら帰ったところで切腹になるのなら、いっそ開き直ってこのまま飲み続けたいという。
 言いたいことはわからなくもないけれど、永倉さんの迎え酒を本気で止めるなり私がもっと早く起きていれば、今頃みんな屯所に戻っていた可能性は高い……。
 それに、伊東さんただ一人に押しつけるのも違う気がする。

 とはいえ……永倉さん斎藤さんまで開き直ってしまい、こんな状況で三人を置いて帰ることも出来ず、結局、翌日も丸一日角屋で過ごすことになったのだった。

 そして、ここへ来て四日目となる一月四日の朝、ついに屯所から迎えの隊士がやって来た。
 あの近藤さんが、それはもうカンカンに怒っているらしい。
 何だか急に帰りたくなくなるけれど、ようやく三人の重い腰も上がり、揃って帰営するのだった。



 屯所へつくなり局長室へ直行で、近藤さんと土方さんの前に、悪戯をした子供が叱られるかのごとく並んで正座する。
 恐る恐る見上げた近藤さんの顔は、ちょっとした悪戯では到底すまないくらい引きつっていた。
 そして、事の顛末を訊いた近藤さんは途端に怒りをあらわにし、いまだ酔いが抜けきらない永倉さんと目が合うなり、怒りをぶちまけるように切腹を言い渡した。

「ちょっと待て。何で俺だけなんだ!?」
「それは……訊けば連日の居続けとなったのは、永倉君の度を越した迎え酒が原因みたいじゃないか!」
「否定はしないがだからってな……いや、近藤さん。あんたまさか、前に俺が非行五箇条を書いた事まだ根に持ってーー」
「新八っ!」

 永倉さんの言葉を遮ったのは、土方さんの鋭い声だった。
 どちらか一方を咎めるでもなく、有無も言わさぬ視線と声音で告げる。

「沙汰は追って下す。それまでは各々謹慎を言い渡す。近藤さんも今はそれでいいな?」
「お、おう……」

 土方さんに気圧されたのか、あんなに怒っていた近藤さんがたじろぎながらも頷いたことで、一旦はこの場も収まった。
 そして、沙汰が決まるまでのその間、伊東さんは近藤さんの部屋で、斎藤さんと私は土方さんの部屋、永倉さんも別の部屋でそれぞれ謹慎することになったのだった。
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