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【 花の章 】―弐―
218 慶応二年、煤払い
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十二月になった。
今年も残すところあと一ヶ月、寒さは厳しくなる一方で雪がちらついた日もあった。
そして五日には、天皇の強い意向を受けた慶喜公がついに将軍となった。
第十五代征夷大将軍、徳川慶喜。私の記憶が正しければ、確か江戸幕府最後の将軍だったはず……。
そんな中、屯所では“アメリカ風”というものが流行っていた。
主な症状は高熱と強い倦怠感、そして、ほとんどの病人が筋肉や関節の痛みを訴える。
冬のこの時期にみられるそんな症状は、高確率でインフルエンザだと思うのだけれど、みんな口を揃えてアメリカ風だという。
何でも黒船が来航した十年くらい前、同じような症状の病が大流行したらしく、異人が持ち込んだせいだとそう呼ぶようになったとか。
そして迎えた今日十三日は、毎年恒例年に一度の煤払いの日。
今朝は今までと比べ物にならないほど寒くて、布団から出ることすらままならず震えながらくるまっていたら、痺れを切らせた土方さんに容赦なく剥がされた。
「ひぃッ! か、返してくださいっ!」
「いつまで丸まってる気だ!? とっとと起きろ!」
そうは言っても寒すぎる!
布団の上で丸まったままガタガタと震えていたら、手を捕まれそのまま引っ張りあげられた。
「ちょっ!? お、鬼ッ!」
言葉を選ぶ余裕もなく抗議してみるものの、否応なく起こされた身体は思うように力が入らない。
そのまま崩れ落ちそうになれば、すぐさま抱きとめるようにして支えられた。
「おい、どうした?」
若干慌てた様子の声音にゆっくりと顔を上げれば、間近で見つめてくる顔の眉間にはみるみるうちに皺が寄る。次の瞬間、おでことおでこがくっついた。
「ち、ちか――」
「すげぇ熱じゃねぇか!」
「……へ?」
「何で気づかねぇんだよ!」
あれよあれよと今度は布団へ戻されると、剥がしたばかりの掛け布団を肩口までしっかりと掛けてくれる。
「すぐに良順先生を呼んでくる」
「でも、今日は煤払――」
「馬鹿。んなもんいいから大人しく寝てろ」
起きろと言ったり寝てろと言ったり……どっちなのかと問いただそうにもガチガチと奥歯が鳴るほどの震えは止まらない。
言われてみれば……と熱があることを自覚をした途端、一気に悪化した……。
眠っていたのか、目を開けると良順先生の顔が見えた。
時刻はまだ午前中で、どうやら本当にすぐ呼びに行ってくれたらしい。
いまだ高そうな熱とだるさに加え、少しづつ出始めた咳は風邪症状そのものだけれど、どうにも身体が痛くて仕方がない。特に節々が……。
痛みを感じ始めた時は、昨日の沖田さんの稽古が一段と厳しかったせいだと気にもとめなかったけれど、ここまでくるともうインフルエンザとしか思えない。
問診とあわせて丁寧に診察をしてくれた良順先生にも訊いてみた。
「やっぱり、インフルエンザですか?」
「ほう? 印弗魯英撒を知っているのか」
「い、いんふりゅえんざ……?」
突然の可愛らしい響きに思わず聞き返せば、良順先生は土方さんに筆と紙を借りて何やら書き始めた。
書き終えるなり見せてくれたその文字は――
“印弗魯英撒”
どことなく“夜露死苦”といった当て字を連想させる文字列は、さっき聞いた響きと違って全く可愛げがない。それどころか、諸外国が撒き散らしたと皮肉っているようにも見える。
訊けば、蘭方医である伊東玄朴がオランダ語訳の医学書を日本語に訳したという医療正始に、印弗魯英撒も記されているのだという。
「アメリカ風だろう」
そう言ったのは土方さんで、良順先生も頷いた。
確かに屯所内でも流行っているし、症状も同じだから移ってしまった可能性は高い。
そして、印弗魯英撒にしろアメリカ風にしろ、症状を聞く限りやっぱり私の知っているインフルエンザと同じものだと思う。
良順先生の指導で、しばらくは屯所内にある病室での隔離も決まった。
ウイルスを撒き散らす前にさっさと移動しようと身体を起こせば、じっとしてろ、と土方さんがすぐ隣で膝をつく。次の瞬間、布団丸ごと身体が宙に浮いた。
「ちょ!? じ、自分で歩けるんでおろしてくださいっ!」
「うるせぇ。病人は大人しくしてろ」
咄嗟におりようともがいてみるものの、掛け布団にまでくるまれた身体は大して力も入らず全く歯が立たない。
ならば……と良順先生に助けを求めるも、すでに帰り支度を整え襖に手を掛けていた。
「私はこれで失礼するが、春はしばらく安静にな」
良順先生の顔はどこか笑いを堪えていて、さっさと襖の向こうに消えてしまうから自力で歩くことは叶わないのだと悟った。
諦めてくるまれたまま部屋を出れば、明るく降り注ぐ太陽に反して頬に触れる空気は想像以上に冷たい。
揺られながら進む屯所内はいつもより賑やかで、煤払いに励む隊士たちの姿が目に入る。同時に、ちらちらとこっちを見ている視線にも気づく……。
申し訳ない気持ちと寒さと恥ずかしさ。隠れるように首を竦めれば、井上さんの心配そうな声がした。
「それ……春、なのか? どうしたんだ?」
「病室へ運ぶ。アメリカ風らしい」
「あぁ、近頃流行ってるからなぁ。かわいそうに」
そう言って頭を撫でる手につられて顔を出せば、井上さんが優しく微笑んだ。
「あとで卵入りのお粥でも作ってやろうな」
小さく頷いて返事をすれば、去って行く背中がすぐに立ち止まり、そして振り向いた。
「そういや、病室は一杯だったと思うぞ」
「そうか、わかった」
再び井上さんを見送りしばし黙った土方さんは、仕方がねぇか、と呟くなりその場で踵を返す。半ばさらし者のごとく来た道を戻される私は、結局、自室で療養することになるらしい。
元の場所に布団ごとおろされると、冷たい手拭いをおでこに乗せられるのだった。
気づけばまた眠っていたらしく、話し声が聞こえて目を開けた。
徐々にはっきりとする視界に現れたのは、両脇から覗き込む斎藤さんと藤堂さんの顔で、土方さんの姿は見当たらない。
「起きたなら丁度良い。井上さんから粥を預かって来た」
「アメリカ風だって? 少しでもいいから食べた方がいいよ」
正直お腹は空いていないけれど、卵も入っているであろう井上さんお手製のお粥を一口も食べないのは忍びない……。
のそのそと重い身体を起こすと、斎藤さんが背中に腕を差し入れ補助してくれる。脇に置いてあるお椀に手を伸ばせば、なぜか藤堂さんに先に奪われた。
「寒いんでしょ。そのままくるまってていいから」
「じ、自分でッ……」
若干咳混じりの掠れた声は小さすぎて聞こえなかったのか、藤堂さんは匙で掬ったお粥をふーふーと冷まして私の口元に差し出してくる。
子供じゃないうえに恥ずかしくて、催促されるも渋っていれば斎藤さんの意地悪な声がした。
「雛は口移しじゃないと食べられないか?」
「なっ!? さ、斎藤さん!?」
そんなわけないし! 雛じゃないし!
藤堂さんは藤堂さんで、なぜか匙と私の顔を交互に見ているけれど、真に受けて実行しなくていいからね!?
勢いのままパクリと食いついて飲み込めば、案の定、斎藤さんがくくっと喉を鳴らした。
「詰まらせても知らんぞ」
「誰のせいだとッ……」
「春、慌てなくてもちゃんと食べさせてあげるから」
「だ、大丈夫ですッ! それより移るといけないんで、もう戻ってください」
当たり前のことを言ったつもりなのに、二人は口を揃えて気合がどうのと根性論を持ち出し、移らないと言い切った。
そんなもので対策出来れば苦労はしない。
けれど、取り付く島もなく二匙目を差し出された。
こうなったら、と早く食べ終えることでこの状況の脱出と二人の退出を試みるけれど、だるさと時折出る咳で、思った以上に食が進まない。
半分ほど食べたところで身体の方が音を上げ始めれば、今年も畳担当の永倉さんと原田さんがやって来た。
藤堂さんを探してここへ辿り着いたと言う永倉さんが、藤堂さんに向かって苦笑する。
「平助。油ばっか売ってると今日中に終わらないぞ?」
「春がアメリカ風だって聞いたから、少し様子を見に来ただけだよ」
「様子見るっつーか、お前らイチャついてるようにしか見えねーぞ?」
「ちょ、左之さん! 何言ってるの!?」
普段は鋭い突っ込みを入れることが多い藤堂さんだけれど、時々その立場は逆転する。
今も面白がってからかい続ける原田さんに対し、藤堂さんは必死に反論しているけれど……色素が薄くて高めの位置で結った短い毛先を揺らすその姿は、やっぱり子犬みたいだ。
……って、何だか睨まれたような気がするのは気のせい!?
誤魔化すように布団へ逃げ込んだところで、今度は山崎さんがやって来た。
土方さんに用があるというけれど、生憎、私が起きた時からずっといない。どこにいるかもわからないと告げるも、山崎さんは布団の横で腰を下ろして私の手を握る。
や、山崎さーん?
「移るといけないので、あんまり近づかない方が……」
「お気遣いありがとうございます。でも、私のことは心配いりませんよ」
そう言って眩しい笑顔を向ける山崎さんは、熱や痛みを和らげる効果があるからと、掌から肘の辺りまでを優しく揉み始めた。
こんな時に山崎さんの過保護が発動しないわけもなく、一応の忠告はしたし……とされるがままになっていれば、身体も少し楽になった。
このままもうひと眠りする前に水分補給をしていれば、突然、襖が音を立てて開くから驚いて派手にむせた。
「今日の副長室はやけに賑やかですね~」
そう言って部屋に入って来たのは沖田さんで、いまだ咳き込む私と目が合うなり、どこか不安そうな表情で駆け寄り山崎さんとは反対側に腰を下ろした。
「……春くん? いつからですか?」
いつからと訊かれても、むせたのはたった今だ。
沖田さんもゆっくりと背中をさすってくれてようやく治まるけれど、布越しに伝わったであろうその熱さから、高い熱まであることを知った途端私の手を強く握りしめた。
そして、すぐに返事をしなかったのがいけなかったのか、沖田さんは余裕なく山崎さんを問い詰めだした。
「丞さん、春くんの熱はいつから? 咳は? 他の症状っ……いや、病名は!?」
「アメリカ風だそうです」
「あ……。なんだ、アメリカ風?」
「はい。アメリカ風です」
なんだ、とはなんだ……。確かにアメリカ風……おそらくただのインフルエンザだけれど!
そんなことより、万が一にも沖田さんに移すわけにはいかない!
「沖田さん、出て行ってください」
「酷い……。みんないるのに僕だけ出てけだなんて」
「う、移るといけないからです! それに、みんなにも言いました!」
「僕だけ除け者なんて悲しいじゃないですか~。誰かさんと同じ部屋にいるせいで、春くんまで血も涙もない鬼になっちゃいましたか?」
なっていないし、同じことをみんなにも言っているってば!
なんとかして沖田さんの説得を試みるも、再び襖が勢いよく開いた。
「てめぇらうるせぇぞ! 人の部屋で何してやがるっ!」
「あれ、誰かさんが戻って来ちゃいましたね~」
誰かさんこと土方さんは、じろりと沖田さんをひと睨みしてから部屋全体を見渡すと、最初の怒鳴り声から一転やたら低く通る声で訊ねた。
「てめぇら、煤払いは終わってるんだよなぁ? まさかとは思うが、こんなところで怠けてるわけじゃねぇよなぁ?」
「嫌だなぁ~。終わってるに決まってるじゃないですか~」
当たり前のように沖田さんは言ってのけるけれど、速攻で終わったのは例年通り自分の部屋だけだろう。
煤払いしなければならない場所は他にもたくさんあるはず……。
あそこの掃除もするか! とか、大事な用を思い出した! とか。
ベタな言い訳が聞こえればみんな今のうちとばかりに部屋を飛び出していく。
唯一、沖田さんだけが部屋に残った。
「あ~あ、宝探しがしたかったのになぁ~」
「宝探しだ? 人の部屋から勝手に金品を盗もうものなら、士道不覚悟で切腹させるぞ」
「大丈夫ですよ~。一銭の価値もない物なんで」
「は? おい、総司。てめぇまさか……」
沖田さんがにっこりと微笑めば、鬼ごっこが始まった……。
これはもしかしなくても、“豊玉発句集”のことだろう。
裸足のまま境内へ降りて行く二人を見送ると、ようやく静かになった部屋の中、とりあえずゆっくりと眠りにつくのだった。
今年も残すところあと一ヶ月、寒さは厳しくなる一方で雪がちらついた日もあった。
そして五日には、天皇の強い意向を受けた慶喜公がついに将軍となった。
第十五代征夷大将軍、徳川慶喜。私の記憶が正しければ、確か江戸幕府最後の将軍だったはず……。
そんな中、屯所では“アメリカ風”というものが流行っていた。
主な症状は高熱と強い倦怠感、そして、ほとんどの病人が筋肉や関節の痛みを訴える。
冬のこの時期にみられるそんな症状は、高確率でインフルエンザだと思うのだけれど、みんな口を揃えてアメリカ風だという。
何でも黒船が来航した十年くらい前、同じような症状の病が大流行したらしく、異人が持ち込んだせいだとそう呼ぶようになったとか。
そして迎えた今日十三日は、毎年恒例年に一度の煤払いの日。
今朝は今までと比べ物にならないほど寒くて、布団から出ることすらままならず震えながらくるまっていたら、痺れを切らせた土方さんに容赦なく剥がされた。
「ひぃッ! か、返してくださいっ!」
「いつまで丸まってる気だ!? とっとと起きろ!」
そうは言っても寒すぎる!
布団の上で丸まったままガタガタと震えていたら、手を捕まれそのまま引っ張りあげられた。
「ちょっ!? お、鬼ッ!」
言葉を選ぶ余裕もなく抗議してみるものの、否応なく起こされた身体は思うように力が入らない。
そのまま崩れ落ちそうになれば、すぐさま抱きとめるようにして支えられた。
「おい、どうした?」
若干慌てた様子の声音にゆっくりと顔を上げれば、間近で見つめてくる顔の眉間にはみるみるうちに皺が寄る。次の瞬間、おでことおでこがくっついた。
「ち、ちか――」
「すげぇ熱じゃねぇか!」
「……へ?」
「何で気づかねぇんだよ!」
あれよあれよと今度は布団へ戻されると、剥がしたばかりの掛け布団を肩口までしっかりと掛けてくれる。
「すぐに良順先生を呼んでくる」
「でも、今日は煤払――」
「馬鹿。んなもんいいから大人しく寝てろ」
起きろと言ったり寝てろと言ったり……どっちなのかと問いただそうにもガチガチと奥歯が鳴るほどの震えは止まらない。
言われてみれば……と熱があることを自覚をした途端、一気に悪化した……。
眠っていたのか、目を開けると良順先生の顔が見えた。
時刻はまだ午前中で、どうやら本当にすぐ呼びに行ってくれたらしい。
いまだ高そうな熱とだるさに加え、少しづつ出始めた咳は風邪症状そのものだけれど、どうにも身体が痛くて仕方がない。特に節々が……。
痛みを感じ始めた時は、昨日の沖田さんの稽古が一段と厳しかったせいだと気にもとめなかったけれど、ここまでくるともうインフルエンザとしか思えない。
問診とあわせて丁寧に診察をしてくれた良順先生にも訊いてみた。
「やっぱり、インフルエンザですか?」
「ほう? 印弗魯英撒を知っているのか」
「い、いんふりゅえんざ……?」
突然の可愛らしい響きに思わず聞き返せば、良順先生は土方さんに筆と紙を借りて何やら書き始めた。
書き終えるなり見せてくれたその文字は――
“印弗魯英撒”
どことなく“夜露死苦”といった当て字を連想させる文字列は、さっき聞いた響きと違って全く可愛げがない。それどころか、諸外国が撒き散らしたと皮肉っているようにも見える。
訊けば、蘭方医である伊東玄朴がオランダ語訳の医学書を日本語に訳したという医療正始に、印弗魯英撒も記されているのだという。
「アメリカ風だろう」
そう言ったのは土方さんで、良順先生も頷いた。
確かに屯所内でも流行っているし、症状も同じだから移ってしまった可能性は高い。
そして、印弗魯英撒にしろアメリカ風にしろ、症状を聞く限りやっぱり私の知っているインフルエンザと同じものだと思う。
良順先生の指導で、しばらくは屯所内にある病室での隔離も決まった。
ウイルスを撒き散らす前にさっさと移動しようと身体を起こせば、じっとしてろ、と土方さんがすぐ隣で膝をつく。次の瞬間、布団丸ごと身体が宙に浮いた。
「ちょ!? じ、自分で歩けるんでおろしてくださいっ!」
「うるせぇ。病人は大人しくしてろ」
咄嗟におりようともがいてみるものの、掛け布団にまでくるまれた身体は大して力も入らず全く歯が立たない。
ならば……と良順先生に助けを求めるも、すでに帰り支度を整え襖に手を掛けていた。
「私はこれで失礼するが、春はしばらく安静にな」
良順先生の顔はどこか笑いを堪えていて、さっさと襖の向こうに消えてしまうから自力で歩くことは叶わないのだと悟った。
諦めてくるまれたまま部屋を出れば、明るく降り注ぐ太陽に反して頬に触れる空気は想像以上に冷たい。
揺られながら進む屯所内はいつもより賑やかで、煤払いに励む隊士たちの姿が目に入る。同時に、ちらちらとこっちを見ている視線にも気づく……。
申し訳ない気持ちと寒さと恥ずかしさ。隠れるように首を竦めれば、井上さんの心配そうな声がした。
「それ……春、なのか? どうしたんだ?」
「病室へ運ぶ。アメリカ風らしい」
「あぁ、近頃流行ってるからなぁ。かわいそうに」
そう言って頭を撫でる手につられて顔を出せば、井上さんが優しく微笑んだ。
「あとで卵入りのお粥でも作ってやろうな」
小さく頷いて返事をすれば、去って行く背中がすぐに立ち止まり、そして振り向いた。
「そういや、病室は一杯だったと思うぞ」
「そうか、わかった」
再び井上さんを見送りしばし黙った土方さんは、仕方がねぇか、と呟くなりその場で踵を返す。半ばさらし者のごとく来た道を戻される私は、結局、自室で療養することになるらしい。
元の場所に布団ごとおろされると、冷たい手拭いをおでこに乗せられるのだった。
気づけばまた眠っていたらしく、話し声が聞こえて目を開けた。
徐々にはっきりとする視界に現れたのは、両脇から覗き込む斎藤さんと藤堂さんの顔で、土方さんの姿は見当たらない。
「起きたなら丁度良い。井上さんから粥を預かって来た」
「アメリカ風だって? 少しでもいいから食べた方がいいよ」
正直お腹は空いていないけれど、卵も入っているであろう井上さんお手製のお粥を一口も食べないのは忍びない……。
のそのそと重い身体を起こすと、斎藤さんが背中に腕を差し入れ補助してくれる。脇に置いてあるお椀に手を伸ばせば、なぜか藤堂さんに先に奪われた。
「寒いんでしょ。そのままくるまってていいから」
「じ、自分でッ……」
若干咳混じりの掠れた声は小さすぎて聞こえなかったのか、藤堂さんは匙で掬ったお粥をふーふーと冷まして私の口元に差し出してくる。
子供じゃないうえに恥ずかしくて、催促されるも渋っていれば斎藤さんの意地悪な声がした。
「雛は口移しじゃないと食べられないか?」
「なっ!? さ、斎藤さん!?」
そんなわけないし! 雛じゃないし!
藤堂さんは藤堂さんで、なぜか匙と私の顔を交互に見ているけれど、真に受けて実行しなくていいからね!?
勢いのままパクリと食いついて飲み込めば、案の定、斎藤さんがくくっと喉を鳴らした。
「詰まらせても知らんぞ」
「誰のせいだとッ……」
「春、慌てなくてもちゃんと食べさせてあげるから」
「だ、大丈夫ですッ! それより移るといけないんで、もう戻ってください」
当たり前のことを言ったつもりなのに、二人は口を揃えて気合がどうのと根性論を持ち出し、移らないと言い切った。
そんなもので対策出来れば苦労はしない。
けれど、取り付く島もなく二匙目を差し出された。
こうなったら、と早く食べ終えることでこの状況の脱出と二人の退出を試みるけれど、だるさと時折出る咳で、思った以上に食が進まない。
半分ほど食べたところで身体の方が音を上げ始めれば、今年も畳担当の永倉さんと原田さんがやって来た。
藤堂さんを探してここへ辿り着いたと言う永倉さんが、藤堂さんに向かって苦笑する。
「平助。油ばっか売ってると今日中に終わらないぞ?」
「春がアメリカ風だって聞いたから、少し様子を見に来ただけだよ」
「様子見るっつーか、お前らイチャついてるようにしか見えねーぞ?」
「ちょ、左之さん! 何言ってるの!?」
普段は鋭い突っ込みを入れることが多い藤堂さんだけれど、時々その立場は逆転する。
今も面白がってからかい続ける原田さんに対し、藤堂さんは必死に反論しているけれど……色素が薄くて高めの位置で結った短い毛先を揺らすその姿は、やっぱり子犬みたいだ。
……って、何だか睨まれたような気がするのは気のせい!?
誤魔化すように布団へ逃げ込んだところで、今度は山崎さんがやって来た。
土方さんに用があるというけれど、生憎、私が起きた時からずっといない。どこにいるかもわからないと告げるも、山崎さんは布団の横で腰を下ろして私の手を握る。
や、山崎さーん?
「移るといけないので、あんまり近づかない方が……」
「お気遣いありがとうございます。でも、私のことは心配いりませんよ」
そう言って眩しい笑顔を向ける山崎さんは、熱や痛みを和らげる効果があるからと、掌から肘の辺りまでを優しく揉み始めた。
こんな時に山崎さんの過保護が発動しないわけもなく、一応の忠告はしたし……とされるがままになっていれば、身体も少し楽になった。
このままもうひと眠りする前に水分補給をしていれば、突然、襖が音を立てて開くから驚いて派手にむせた。
「今日の副長室はやけに賑やかですね~」
そう言って部屋に入って来たのは沖田さんで、いまだ咳き込む私と目が合うなり、どこか不安そうな表情で駆け寄り山崎さんとは反対側に腰を下ろした。
「……春くん? いつからですか?」
いつからと訊かれても、むせたのはたった今だ。
沖田さんもゆっくりと背中をさすってくれてようやく治まるけれど、布越しに伝わったであろうその熱さから、高い熱まであることを知った途端私の手を強く握りしめた。
そして、すぐに返事をしなかったのがいけなかったのか、沖田さんは余裕なく山崎さんを問い詰めだした。
「丞さん、春くんの熱はいつから? 咳は? 他の症状っ……いや、病名は!?」
「アメリカ風だそうです」
「あ……。なんだ、アメリカ風?」
「はい。アメリカ風です」
なんだ、とはなんだ……。確かにアメリカ風……おそらくただのインフルエンザだけれど!
そんなことより、万が一にも沖田さんに移すわけにはいかない!
「沖田さん、出て行ってください」
「酷い……。みんないるのに僕だけ出てけだなんて」
「う、移るといけないからです! それに、みんなにも言いました!」
「僕だけ除け者なんて悲しいじゃないですか~。誰かさんと同じ部屋にいるせいで、春くんまで血も涙もない鬼になっちゃいましたか?」
なっていないし、同じことをみんなにも言っているってば!
なんとかして沖田さんの説得を試みるも、再び襖が勢いよく開いた。
「てめぇらうるせぇぞ! 人の部屋で何してやがるっ!」
「あれ、誰かさんが戻って来ちゃいましたね~」
誰かさんこと土方さんは、じろりと沖田さんをひと睨みしてから部屋全体を見渡すと、最初の怒鳴り声から一転やたら低く通る声で訊ねた。
「てめぇら、煤払いは終わってるんだよなぁ? まさかとは思うが、こんなところで怠けてるわけじゃねぇよなぁ?」
「嫌だなぁ~。終わってるに決まってるじゃないですか~」
当たり前のように沖田さんは言ってのけるけれど、速攻で終わったのは例年通り自分の部屋だけだろう。
煤払いしなければならない場所は他にもたくさんあるはず……。
あそこの掃除もするか! とか、大事な用を思い出した! とか。
ベタな言い訳が聞こえればみんな今のうちとばかりに部屋を飛び出していく。
唯一、沖田さんだけが部屋に残った。
「あ~あ、宝探しがしたかったのになぁ~」
「宝探しだ? 人の部屋から勝手に金品を盗もうものなら、士道不覚悟で切腹させるぞ」
「大丈夫ですよ~。一銭の価値もない物なんで」
「は? おい、総司。てめぇまさか……」
沖田さんがにっこりと微笑めば、鬼ごっこが始まった……。
これはもしかしなくても、“豊玉発句集”のことだろう。
裸足のまま境内へ降りて行く二人を見送ると、ようやく静かになった部屋の中、とりあえずゆっくりと眠りにつくのだった。
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