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【 花の章 】―弐―

214 伊東さんの考え

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 九月二十六日、夜。
 近藤さんの休息所へ向かうため、土方さんと二人で屯所を出た。

 葉擦れの音を寂しげに響かせる風は冷たく、今夜は一段と寒いけれど、私の足取りが重い最大の原因は他にある……。
 羽織の前を掻き合わせながら、隣を歩く土方さんに訊いてみた。

「やっぱり帰ってもいいですか?」
「自分で行くって言っちまったんだろう? 伊東さんの腹ん中を知れる良い機会だとでも思って諦めろ」

 そうは言っても正直行きたくない。
 近藤さん、土方さん、伊東さん、そして伊東さんと旧知の仲である篠原泰之進さんで、情勢について語らうらしい。
 そして私も、伊東さんの強い誘いを断りきれず参加することになってしまったのだった。



 休息所へつくと、近藤さんのお妾さんであるお孝さんが出迎えてくれた。
 少し前に伊東さんたちも到着したらしく、土方さんに次いで部屋へ入れば伊東さんと目が合って、若干驚いた様子で微笑まれた。

「やあ琴月君。少々強引に誘ってしまったので、来てくれなくても仕方がないと諦めていたので嬉しいです。今日は是非とも君の意見も聞かせてください」
「ご期待に添えるとは思えませんが、よろしくお願いします……」

 もしかして、すっぽかしても許された?

 今からでも踵を返したい気持ちをぐっと抑え、用意されていたお膳の前に着席すれば、さっそく先の長州征討の是非を巡って意見が飛び交った。
 私はと言えば……とにかく息を潜めて存在感を消し、ほんの少し聞き耳を立てながら黙々と箸を進めることを決め込んだ。

 元々長州征討には反対だった伊東さんや篠原さんは、長州をただ排除するのではなく、寛大な処置を取ることで国がまとまり政局も安定するのだと訴えた。
 対して近藤さんと土方さんは、朝敵にまでなるほどのことをしてきたのだから、長州征討は妥当だったと主張する。

 一見、両者の意見は相反するもののように聞こえるけれど、共通する部分がないわけじゃない。
 どちらも天皇を敬う思想は持ち合わせているし、幕府が掲げる公武合体を支持する近藤さんたちと同じく、伊東さんも朝廷と幕府は手を取り合うべきだとも考えている。
 だからその点においては、闇雲に攘夷だ倒幕だと騒ぎ立てる輩と伊東さんは少し違うのだと思う。
 けれど、誰をまつりごとの中心におくのか……そこが決定的に違う。伊東さんは天皇を中心にと考えているし、近藤さんたちはあくまでも幕府を中心にと考えている。

 しばらくの間議論は平行線を辿るも、所詮は過ぎてしまったこと。ここでいくら論じたところで戦の結果は変わらない。
 当然のごとく話題はこれからの話へと発展し、今後、新選組はどうあるべきかを巡って今まで以上に白熱した。



 早くお開きになればいいのに……と思いながら杯に口をつければ、突然、伊東さんに名前を呼ばれ驚いた。
 驚きついでに一気に飲み込んだせいでむせるけれど、心配しつつも落ち着くのを待ち改めて訊いてくる。

「今後、新選組はどうあるべきだと思いますか?」
「ど、どう……と訊かれても……」

 いずれ江戸幕府はなくなり新選組もなくなってしまう。
 そうならないためにはどうすればいいか……なんて、それがわかるほど歴史を知っていれば、今までの会話にも進んで参加しているわけで……。
 ため息と同時に出そうになったあくびを噛み殺せば、伊東さんが微笑んだ。

「質問を変えましょうか。新選組以外、幕府や薩長の人々も含めてどうあるのが理想だと思いますか?」

 もしかして、伊東さんの前でも何度か口にした台詞を言わせようとしているのだろうか。
 正直、こんな場では言いたくないしどうにかしてやり過ごしたい。緩やかに迫りくる睡魔を追い払いながら、適当な言葉を探してみるけれど……。

「春? 俺も春の考えを聞いてみたいぞ」

 近藤さんにまで期待のこもった大きな笑窪を向けられたら、これ以上すっとぼけるのは心苦しい……。

 そもそも口で言うほど簡単でないことはわかっている。ここよりも遥かに平和な私のいた時代でさえ、みんながみんな仲良く出来るわけじゃないのだから。
 ましてや命を懸けてまで白黒はっきりさせようとしている人が多いこの時代、それがどれだけ難しく、甘っちょろくて生温いのかということを、嫌と言うほど思い知らされてきたから。

 それでも、だからこそ……。
 思想だの志だのそんな大層なものじゃなくて、漠然とした願いにも似たものだとしても。
 心からそう思うから……。

「みんな仲良くすればいいのに、そう思っています……」

 予想通り、篠原さんは呆れたような顔をしていた。
 けれども近藤さんと伊東さんだけは、笑顔でうんうんと頷いてくれている。

「すみません、甘っちょろくて」
「いや、春らしくていいと思うぞ」
「ええ。誰もがあなたのような思想を持っていれば、大きな争いなど生まれないでしょうから」

 それは褒めているのか、内心ではただの理想論だと貶しているのか。いまだ伊東さんの言葉を素直に受け取れない私がいる……。
 爽やかに微笑まれれば何となく申し訳ない気分になり、伊東さんからのお酌を断りきれず促されるまま一気に飲み干した。

「今日は無礼講といきましょうか」

 そう言って再び空の杯を満たそうとするけれど、その辺でやめておけ、と土方さんが私を睨んだことで伊東さんの手は止まった。
 ……って、どうして私を睨むのか。私が要求したわけじゃないのに!

 お酒を置いた伊東さんはやや居住まいを正して近藤さんと土方さんを見ると、穏やかな口調で話を戻した。

「お二人ならば先の戦を見てお気づきになったのでは? 攘夷が倒幕へと変わりつつあるのです。何か手を打たねば、今のままでは幕府が倒れた時に我々の道も閉ざされるかと」

 淡々とそんなことを口にした伊東さんに向かって土方さんがふんと鼻で笑えば、近藤さんはやや表情を硬くして腕を組んだ。

「将軍不在ではあるが、長きに渡って続く徳川幕府がそう簡単に滅ぶとも思えんが」
「ですが、最悪を想定して考えておく必要はあります。今後は、幕府よりも先に薩長の動きを把握すべきかと」
「間者なら都度放ってある」

 そんな近藤さんの言葉に、伊東さんが頷いた。

「ええ。しかしながら、それだけでは危険を伴ううえに限界があります。かといって、真正面から訊いたところで答えてくれるはずもありません。彼らにとって新選組は――」
「何が言いてぇ?」

 土方さんが痺れを切らせたように遮るも、伊東さんは嫌な顔一つせず続きを口にする。

「新選組で得られないのであれば、別の組織として情報を得るのです」

 明らかに鋭さを増した土方さんの視線に臆することなく、例えば……と前置きをしたうえで伊東さんは一度目を伏せ、すっと呼吸を整えてからゆっくりと瞼を開けた。

「分離した、と見せかけるのです」

 伊東さんが放ったその単語に、部屋の空気はピンと張り詰め嫌でも私の鼓動を跳ねさせた。

 方針の違いで分離したと見せかけ薩長へ歩み寄り、そこで得た情報を密かに新選組へ戻す……と言うけれど。
 近藤さんが低く唸りながら考え込めば、土方さんは嘲笑うかのように僅かに顎を上げた。

「“脱走”と違って聞こえは良いが、俺には幕府と共倒れする前にここを出て行く、そう言ってるようにしか聞こえねぇんだが」
「おや、それはいささか心外ですね。そのようなことはありませんよ」

 相変わらず土方さんの視線も嫌味もものともせず、伊東さんは言葉とは裏腹に爽やかに微笑み返す。
 さらに何か言おうとした土方さんを近藤さんがたしなめれば、土方さんは不機嫌さを収めることなく押し黙りそっぽを向いた。
 そんな姿に近藤さんは一瞬だけ眉尻を下げるも、すぐさま伊東さんに対して難しい表情を向ける。

「伊東さんが言わんとする事は理解出来る。だが、おいそれと認められる話ではない事も理解していると思うのだが」
「ええ。ですから、そのような方法もあるという話です。選択肢は多いに越したことはありませんから」

 兄が言っていたように、伊東さんは本当に新選組を二分してしまうのだろうか。
 だとしたら……分離後、近藤さんの暗殺を企み伊東さんは……。
 そのすぐあとには藤堂さんが……。

「……させない」

 思わず言葉にしてしまったけれど、どうやら聞き取れなかったようで、近藤さんと伊東さんが私に向かって首を傾げた。

「分離なんてする必要ないです。情報が欲しいのなら、私が潜り込みます」
「あなたが新選組を大切に想っているのは知っています」
「だったら――」
「だからこそ、なのですよ。政局が不安定な今、我々はあらゆる事態を想定してそれに対応する道を模索しなければならないのです」

 伊東さんが言っていることはわかる。参謀として最悪のシナリオを想定したうえで、そうならないための選択肢の一つを示したに過ぎないということも。
 わかっている……。
 わかっているけれど……。
 伊東さんの口から聞きたくはなかった!

 うっかり口を開けば駄々をこねるだけの子供染みた言葉しか出ない気がして、唇を噛みただ拳を握った。
 そんな私に向かって伊東さんが苦笑する。

「私はあなたともありたいのですが……そう上手くはいきませんね」

 仲良くって、やっぱりバカにしている?

 ……ダメだ。今は伊東さんの言葉をいつも以上に勘ぐってしまう。
 このままでは会合を邪魔してしまいそうで、無礼を承知で立ち上がった。

「すみません。少し席を――」
「悪いが今日はここまでにしてくれねぇか」

 被せるように言って立ち上がった土方さんが、私の側へ来て腕を掴んだ。

「餓鬼が悪酔いしてるみてぇなんでな。手がつけられなくなる前に連れて帰る」

 ガキじゃないし悪酔いもしていない。だいたい、手がつけられなくなるほど迷惑をかけた覚えなんてない。
 いつもなら速攻で出るはずの文句が出てこないのをいいことに、土方さんが腕を掴んだまま歩き出した。

「帰るぞ」
「わっ、ちょ、土方さん!?」

 強引に引っ張られながら見た近藤さんと伊東さんは、私たちを咎めるどころか苦笑を浮かべて見送っていて、ちょうどいいからこのまま退散することにした。



 外へ出た途端冷えた空気が容赦なく肌を刺し、酔いも眠気も一瞬で吹き飛んだ。
 しばらく歩いた先でようやく開放されると、隣を見上げて訊いてみる。

「出てきちゃっていいんですか? この距離なら私一人でも帰れますけど……」
「構わねぇよ。んなことより……」

 そう言って私を見下ろす顔が、何やら意地悪に微笑んだ。

「みんな仲良くと言った側から、伊東さんに噛み付いてたな?」
「あれは……」

 あんな話を聞かされたら嫌でも警戒するし……。
 そりゃあ、傍から見れば確かにちょっと矛盾していたかもしれないけれど!

「どうせ何も知らないガキの甘っちょろい戯言ざれごとですよーだ」

 何だか痛いところを突かれた気がして反論の代わりに舌を出して誤魔化せば、ぷっと吹き出されたあげくなぜかおでこを弾かれた。

「イタッ! 何するんですか!?」
「うるせぇ。確かに甘っちょろいが、貫くこうとする心意気だけは褒めてやってんだよ」
「そ、それはどーも!」

 ……って、褒めているのにデコピンなのは納得がいかない!
 いかないのに、何だか妙に気恥ずかしくなってそっぽを向けば、何がそんなにおかしいのか、笑いながら叩くように頭を撫でられるのだった。
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